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安倍君、積極的平和主義はどこに行ったんだ? [国際]

アホノミクス、いやアベノミクス等、勝手な造語で自身のネームバリューを挙げようとしているかに見える安倍晋三が打ち出してきた言葉が積極的平和主義というものだが、要するに、紛争を武力では解決しないという姿勢を変えて、同盟国や国連の活動においては武器どころか武力行使を行う、そう言っているのと同じなのだ。
 う~ん、これのどこが平和主義という言葉と合致するのだろうか、普通の人ならそういう疑問を持つのではないだろうか。その普通の人が持つ疑問がこの言葉を使ったというか作って言い出した安倍晋三の真の姿を現している、そう思うのだが、今の北朝鮮情勢なども安倍晋三の真の姿を現している。
 今回のリスクの高まりにおいて安倍晋三は積極的平和主義の“せ”の字も言っていない。それどころか北朝鮮問題としての危機を煽ることどころか、日本国民を危機に陥れるかのような,北朝鮮がアメリカと対峙する中、アメリカの前にしゃしゃり出て、北朝鮮の武力行使の矛先を日本にも向けさせようと躍起になっている感がある。
 安倍晋三の動きは素人が見ても平和主義を標榜している人間とは思えないのだが、韓国の密漁船を捕捉しようとした日本の巡視船に対して軍艦を対峙させるなど、とてもまともとは思えない韓国の藩基文が事務総長を務めた(もっとも、在任中、何もしていないと有名だったが)、国連という舞台で、北朝鮮に圧力をかけるべく安保理による制裁決議を国際社会に発信して行わせようとしているのだから、北朝鮮にとって、日本はまさに敵国としか映らない。実効性のない安保理決議の為に、わあわあ騒ぎまくって、結果が出ないどころか、日本という国の印象だけ突出させる演出は何のためだろうか。
 話変わるが、日本の外交官についての話、単に噂話レベルではなく、現実の話として閣下と呼ばれるのが当たり前のごとく、大使など何をしているのか、そういうものがあるのだが、積極的平和主義というなら、軍事面よりもむしろ外交面に、より成果が表れるのが普通なのではないだろうか。しかし、安倍政権下ではより、軍事面での整備に軸足が移っているように見えるのだが、安倍晋三、自身のできの悪さ、全く認識できていないようだ。
 日露戦争でのロシア軍の捕虜達が山口県で日本の将校に連れられて温泉治療に通っていたという話を祖母や母親からよく聞かされた。第二次大戦に移行する関東軍や旧日本軍の時代には敵国だけでなく日本人の命でさえ粗末にする、そういう風潮になったようだが、日露戦争や第一次大戦までは日本にも敵味方の人命を粗末に扱う考え方はあまりなかったようなのだが、その人命を粗末にする考え方の下での第二次大戦を主導した政府の考え方のど真ん中にいたのが岸信介であり、戦後もそれを引きずりさらには安倍晋三に引き継がれている、というのは言い過ぎだろうか。
 しかし、戦国の時代でさえ天下統一に名を挙げる武将の数々は自らの兵の消耗を避け、敵を調略し、敵の兵の人命までも損なうことなく勢力を広げていくという見事な戦いを進めている。
 勢力的に自国が危ういとみれば敵国同士を闘わせたり、有事には調略で兵の損耗を避けたり、そういう中には単に軍事力に頼るのではなく外交努力等折衝力、説得力のある部下を使っての戦略が功を奏しているのだが、安倍晋三、自身でそういう事までもできると思っているのだろうか。まあ、岸信介のような、350万の日本人の命を損なう戦争に責任も何も感じずに生きた人物のDNAを持つ人間には、人名を損なうなど平気なのかもしれない。

岸信介が国を割るほどに強引に推し進めた日米安保。今、北朝鮮の核兵器保有という脅威を迎えて、日米安保に安住して、全世界への平和推進という戦後日本が武力の放棄を宣言した精神を広める努力を怠った結果が、今、ここに現れているような気がする。多くの外交官がふんぞり返ってきた一方で首相自らが駆け回ったって、継続的な平和外交などできはしない。安倍という人物が国民の血税を、自身の名誉欲を満たすためだけに行く先々でばら撒く事が、果たして、相手国の為になったり日本国民の為になったりあるいは世界の平和に貢献していると言えるだろうか。日本のODA援助が相手国には正しく伝わっておらず、日本の資金で建設されるインフラ等の建設に、受注した中国企業の中国人が大勢働いているという事情が相手国国民には中国の援助でインフラ整備されていると誤解されている事も多いと報道されている現状、いかにも浅はかな安倍政権の現状を映し出しているとは言えないだろうか。こんな人物が日本の総理大臣? もう辞めてもらいたい、そう思うのは私だけだろうか。

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無責任国家が国連安保理事国とは?! [国際]

以前、日本の安全保障絡み、特に集団的自衛権絡みで同盟国による武力紛争あるいは戦争に巻き込まれるよりも国連至上主義で、国連の枠組みの中での国際貢献という事がもてはやされたことがあったが、しかし、北朝鮮問題を始めとする世界のリスクになりそうな話や現実に武力紛争の起きている地域の解決に向けての国連安保理での話し合いの実効性はどうだろうか。

そこには自国の国益優先で決して人命など頓着していない、そういう大国主義の裏側が透けて見える。

日本も国連至上主義などと言っても、国連自体がしっかりした組織として人類の平和と繁栄を旨とした実効性のある組織として動こうという形にならない限り安易に国連至上主義などと言わない方が良いかもしれない。

つまり構成国やその活動の内容を見れば国連安保理など顔をしかめたくなる内容の論議しかされていない、そういうものだからだ。

今は、日本が直面している北朝鮮による核の脅威、そういう事での国連安保理がどのように、この危機に対応しようとしているのか、というと、これまたロシアとか中国という全く世界的に見ても平和とは無縁の二か国の国益優先の理事国二か国の無責任国家の行動で、危機が長期化、先送りされて、さらに増大するという、日本にとっても世界にとっても大変な状態になりつつあるのだが、日本にとってマイナスの行動しかしてきていないロシア、中国の経済に日本国民が果たして貢献する必要があるのだろうか、安倍晋三のばらまき外交を見ているとそういう気がしてならない。
武力でなく、話し合いで解決を、そういう主張が一見もっとものように見える、ロシアと中国の姿勢が、今、今までにない危機を東アジアにもたらしているわけだが、ロシアと中国が、この危機に責任を全く感じていない、そして言う事と言えば、以前と同じことしか言っていないが、この結果で、東アジアに新しく核武装したとんでもない“ならず者国家”が出現した、そう見ている日本人も多いのではそう思うのだが、結局、共産主義なる妄想にとらわれた国家の行き着く先は、人類の平和と繁栄とは真逆の武力による国民への締め付けを行い周囲に危機をもたらす独裁国家の出現でしかなかった、そういう事になるのだが、既得権にとらわれるレベルの低い人間が多数、政府内に出現するとこれは共産主義だけでなく民主主義を標榜する国家内でも同様の事が起こり得る。そういう国家の集合体の国連に我々は何を期待して、国連至上主義なるものを標榜するのだろうか。
話し合いによる解決をなどと、いかにも平和を愛する国家のようなふりをしてきたロシアや中国が国連の制裁決議など全く頓着せずに、平気で決議を破っていながら、その一方でいっぱしの口をきいて事態を悪い方にしか向けていない、そのお先棒を担いでいるのに、危機どころか有事について、その責任が当事者あのアメリカにある、などと予防線を張る、こういう国家や国連の常任理事国が、本当にそのまま常任理事国として大手を振っていいのだろうか、そういう気がする。もちろん国連分担金なども日本よりはるかに少ない拠出金でいながら、平然としている。つまり日本の危機、あるいは将来生じる危機的な事態に関して、その事を本当に憂えて、日本や世界の平和について、対処しようという将来について望みを持てる政治の光明が現政権には持てないのだ。
我々はまさしく今、安倍晋三という首相と北朝鮮問題という内憂外患状態にあるのだが朝鮮人国家や中国人国家あるいはロシアという国家が隣にあると不幸、そういう事だろうか。

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安倍晋三の政治手腕を信じてはいけない。 [所感]

安倍晋三の政治手腕を信じてはいけない

 安倍晋三の内閣支持率、下がっているようだが、実力を考えると高すぎる。
 ここに来て安倍内閣の体質が分かってきたと見えて、低落傾向だが、それでも一桁とはなっていない。

 自身の身内である旧戦犯の岸信介の事しかやっていないように見えるのに、相変わらずの支持があるのは、それにとって代わる受け皿がない、そのように国民が思っているからだろうか。

 しかし、何かというと、経済の安倍のような事で支持率回復をしてきたが、今の景気回復の助走は民主党内閣の時のものであり、決して実体を伴う経済運営(例えば国民の年金の原資を人質にした株への投資など虚業に足を突っ込み決して安定したものなどと言えないどころか、実態が明らかになった時、我々国民が驚愕する事態が起こる)の結果だとは言えない事は、アベノミクスを“アホノミクス”と揶揄する人たちによって語られているから、敢えて、ここで言うまでもないだろう。

 首相お膝元の内閣府で発表される経済状況は、“経済協力開発機構(OECD)加盟国35カ国での国際順位は前年より1つ下がり、20位となった。”というものに代表されるように日本の経済成長率はせいぜいが1%を0.1とか0.2%上回るかどうかというレベルなのに対して欧州諸国など3%近辺で推移しているという、日本の経済運営など決して誇れるようなものではないのだ。

 であるのに“経済の安倍”のようなことを言っては、実際には戦前の体制へと逆行するかのような社会の仕組み、特に警察国家へともっていって国民への縛りを入れる事ばかりしている。

 では、それだけ旧体質の事、例えば、情、義、信、忠等の人としての資質を重んじるかと言えば、森友学園問題に象徴されるように、教育内容を絶賛していたはずの自身が、その信を裏切るような事をやって、当事者の籠池氏から恨みを買う事になっている。

 言っている事とやっている事は違うし、安倍晋三という人物が本当に信じるに足る人物か、そういう事になる。

 では、少し前に強引に成立させた安保法案や、集団的自衛権とも絡む日本の外交・安全保障に対する言動はどうなのだろうか、そう見てみると、むしろ民主党政権時代の菅直人首相当時の自称中国漁船の挑発という武力行使への日本政府の対応の方が国民への安心感はあったかもしれない。

 この事に関しての私の感覚は、中国という国は火傷をしない限り、次から次へと自分たちの利益を求める行動を起こしてくる、そういう背景まで読んで対応しなければならないところ、あまりに弱腰に過ぎた、これがその後の尖閣への領海侵犯行動の常態化へとつながった、そう思っている。

 そういう目で見ると、安倍外交は強腰で安心感があるように一般の人は思うかもしれない。しかし、安倍晋三の言動が日本国民の安全安心を損なったことは確かであるし、今後もその事は危惧される。

 どういうことか覚えていない人もいるだろうから、その事に少し触れるが、ジャーナリストやあるいはボランティアその他で中東の紛争地帯に出かけている人たちがいる。

 私の感覚では、賛成できない行動だが、その中で武装勢力に摑まった人がいる、まさにその時に同じ中東の、それもすぐそばの国に行って、テロには屈しない、あるいは、武装勢力側から見れば敵対行動をとる、そのように宣言したかのような声明を発せば、遠い、日本の国会答弁とは違って、自分たちのテリトリーで敵対行動を宣言されたとみなされる。

 結果、武装勢力にとらわれていた日本人が処刑されるという結果につながったのだが、私はこの安倍晋三の政治的センスのなさ、どうして自民党の中で問題にならないのか不思議でならなかった。いや、自民党レベルの話ではなくわざわざ国民の一人を絶命させる処刑への後押しをしたのだから、国民レベルでの疑問提起があってしかるべきだったと思う。

 アメリカでさえ、中国や北朝鮮の国際的慣例から見ればどうかと思う自国民の拘束に対して、慎重な行動を取ったり元大統領を派遣して釈放させるなどの行動をとっているのに、何故、自己責任だからと、日本人であるにもかかわらず、危険に曝されている、その人命への執着を放棄するどころか、絶命へと後押ししたのだろうか。

そしてこのところの北朝鮮のミサイル及び核開発に伴う緊張の中で、ミサイル発射の都度、過剰に反応して、北朝鮮がアメリカを相手に発言している中、わざわざアメリカの前にしゃしゃり出て、日本に対する重大な脅威とかなんとか、言っているこのセンスは何だろうか。

 北朝鮮は日本に対するミサイル攻撃について“日本の米軍基地”そういう限定発言だったはずだが、五月蠅いハエのように、ミサイル発射実験の度に安倍がしゃしゃり出るものだから、とうとう、日本が焦土になるという話まで行きついてしまった。

 実際にそういう事が起こらない事を見切っての北朝鮮の話だが、しかし、本当に起こるか起こらないかは誰にもわからない。それはそうだろう、誰だって武力衝突が起これば、そして核を前面に押し出そうとしている国が戦争になれば想像を絶する惨事となる、そういう事が分かっていながら武力を前面に押し出そうとしている連中のやることだからだ。

 であるのに、何故、安倍晋三はわざわざアメリカの前に出て北朝鮮の矢面に立つ? 中国などを見れば反吐が出るほどの国家エゴを国際社会で出しているが、安倍晋三のそれは、むしろ日本国民の生命財産を危険に曝す行動で、決して国家エゴなるものではなく、したがって、浅慮の人物たちからでさえ共感を得られるものではないだろうし、まあ一種の国民へのテロという事だろうか。

 北朝鮮のやっている事は決して正当化されるものではない。しかし、戦争回避の努力もせずに宣戦布告書を出した日本、そしてそこに名を連ねた岸信介を信奉するような人物が、明確に平和的解決へと導けるわけでもないだろうに、何故、多くの経験、スタッフを持つアメリカの前にしゃしゃり出て、より緊張を煽るなど何を考えているのだろうかと思う。

 350万余の戦死者を出していながら、その総括もできない既成政党の指導者に1億3千万の国民の生命財産を守るという気概が本当にあるのだろうか。森友学園問題で、自身や夫人が少しでも関与してれば首相も国会議員も辞める、そのように大見得を切った割には、素晴らしい、そう称賛していた教育方針を実施していた森友学園の理事長を切り捨てたかのような対応。いつか我が身に及ぶのではないかと、国民が思っても不思議ではないのだが、さて、そういうところまで見ている国民はどれだけいるのだろうか。

悪いが、行政トップとして合格点を上げられないような人物のしでかした結果を尻拭いする事だけはしたくない。何故ならば安倍晋三が登場してきた時から、その器でないこと指摘してきている私には、彼を首相としている責任はないからである。

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航空機座席はファースト? エコノミー? [日記]

旅行好きの私、と言ってもあまりに早期に仕事を辞めてしまったので、先立つものがなく、海外どころか国内の旅行も、御無沙汰、そういうところなのだが、そういう私にとっては、海外へのファーストクラスでの渡航など夢のまた夢である。

そういう私の目にある方のブログでのファーストクラスの話が飛び込んできたので、少しばかり書いてみたい、そう思った。

、もう、かなり経つだろうか、航空機の中で、乗務員がエコノミーの客に話しかける場面か何かで、乗務員が乗客のサラリーマン風の人物(小林薫)にどういう用で乗っているのか、尋ねて、仕事と答えられて、え? エコノミーで? と今時仕事での飛行機利用がエコノミーなんて、どれだけ三流の企業なんだろう、というような内容のテレビCMが放映されていたことがあった。

え? 世の中の企業って、エコノミークラスでの出張なんてしないの、そう思ったものだ。私が初めて海外への渡航で利用した飛行機の座席は、自分で手配したのではなかったのでわからなかったが、シャンパンが飲めたりしたので、同行した同僚曰くエグゼクティブクラス(今はこういうクラスはない? ビジネスに統一?)だと言っていた。

海外に出ること自体が初めての事でもあり、色々な事に思いを巡らしていたせいか、座席のクラスなど頓着していなかった、いや考える余裕もなかったので、会社に優待してもらっていた事への感謝などもあまりしていなかったかもしれない。渡航先では通訳もいたり、当時ほとんど英語を話せなかった(いや、今でも不自由しますが)私にはありがたい話で、その後、転職をして後、いかにその当時の会社に大事にしてもらっていたか、感謝の気持ちが足りなかったかもしれない、振り返るとそういう気持ちになる。

ところが飛行機利用回数が少なくても、少し余裕が出てくると、おかしな乗客のいるエコノミーよりはビジネスとかファーストクラスの方がいい、そのような気になりだした。

まあ、親方日の丸、というほどのでかい企業ではないものの、自身の貢献度からすればビジネスくらいは当たり前、そういう気になってくるもので、多忙な中での出張だと、エコノミーから座席が埋まってくるという定説を覆すような時もあり、必然的にビジネスに乗ったり、利用航空会社によってはファーストクラスにも乗れる場合があったり。

しかし、私の場合、飛行機利用で食事を楽しみにする割には、飲み物サービスが始まる前からほとんど寝てしまっていたり、上のクラスのサービスの恩恵などボーディング前の待合室さえも駆け込みのチェックインだったりで利用できず、まあ、エコノミー相応か、自身でそう思うようになっていた。
まだ、務めていた時代にエコノミー利用での出張をしたら「君はビジネスクラスで出張していいのに、それを知らせなくて申し訳ない、次からはちゃんとビジネスを手配するように」そう言われた事があった。
その会社ではマイレッジが貯まり易く、上のクラスに変えて出張している人物などもいたが、私自身は、もうファーストとかビジネスとか面倒くさくなって、社用でもエコノミーでも全く気にもしなくなっていたのだが、そういうものでステータスを感じる人もいればそうでない人もいるのが世の中なので、まあ、航空会社の利益に貢献はしないかもしれないが、こういうもので他人への特権を感じるよりは、他の追随を許さないという余人をもって代えがたい仕事をするという事に集中したい、サラリーマン生活の最後の方では、そう思っていた。
エコノミーと一口に言ってもエコノミーでさえも内容に差があるらしいのだが、飛行機に乗るのは目的ではなく手段の一つであり、楽しいあるいはリラックスできるに越したことはないが、所詮、庶民の一人、分相応に、そういう事だろうか。

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これでいいの? 自民党支持者の皆さん! [所感]

日本国民には色々な考え方の人がいて、憲法も思想信条の自由を保障している。だから、色々な政党があって、それを支持するのも自由だとは思う。

しかしねえ~、こんな国会議員や閣僚、自分たちの代議員として国会や行政に携わらせて、いいのかねえ、そういう御仁が自民党にいるのだが…。

もちろん野党にもおかしな議員はいるし、そもそも国会議員や行政というもの安倍晋三という首相にして、理解しているとは思えないのだから、まあ、おかしなのがいっぱいいるのは当たり前か、そうは思うのだが。

しかし、安倍晋三の命を受けて教育分野にまでおかしなものを持ち込もうとしている、その本人たちが、李下に冠を正さず、そういう事すら実践できていないし、故事や諺など古きよきものなどと昔の体制や近代民主主義の時代にふさわしくないものを復活させようというもの、現実には天に唾するものだと思いますがねえ。

今回、ここで言いたかったのは、具体的に言えば、これは自民党国会議員なの? 自民党国会議員ってそんなに頭が悪いの? それとも、痛くない腹(本当は痛い腹)を探られたくないときの脛に傷を持つ人物特有の、相手攻撃、そのものを行った国会議員の事なのだが、放置するには重大事、私にはそう思えるので、取り上げたのですが。

少し前に「保育園落ちた、日本死ね」そういう内容のブログが話題になり、待機児童問題や保育園の受け入れ容量の問題が出て、それに応えない行政が批判される形となり、多くの組織で慌てて、その対策を講じなければならない話になった。

この時、平沢勝衛という元警察庁長官(安倍晋三首相の元家庭教師としても有名で、安倍晋三は平沢勝衛でなければ自分も東大に行っていたと冗談めかして言っている)の国会議員が「文章が乱暴だ」とその訴える内容には言及せずに、その表現や表現方法についてのみ言及し批判していた。

国民の代わりに国会という場に出ている人物が、こういう事も理解しきれない、そんなのでいいのか、そう思いますが、平沢勝衛は、テレビへの露出度の多い国会議員で、視聴者はあまり嫌味を感じないタイプの政治家だと思う。

しかし、そういう人物でさえ、こういう反応だったのだから、そして東大出身の官僚、さらに官僚上がりの政治家にしてこの程度の理解力なのか、そういう驚きの方が勝ってしまうのだが、やはり、こういう感覚の政治家を放置してはいけない、そう思う。

いやいや、ところがである、森友学園問題を強引に幕引きをしたかのような政府・自民党の対応だったが、そこに加計学園問題が降って湧いてきた時に、いきなり、その実態を表すに近い資料の問題で、その資料の存在を証言する前文科省次官の証言が出た時に、その存在の有無や、更に同様趣旨の資料の存在の調査に言及するどころか、証言した前事務次官の退任時の経緯(それも何の証拠もなく決めつけ、事実関係を国会委員会での閉会中審査で問われると、担当者からの伝聞、とトーンダウン)を何の脈絡なく披露したり、プライベートの素行(心象としては自身に心象として悪い話を事実とありのままに認めた前次官の方がはるかに人間的にりっぱに見える)などを取り上げて、批判に終始し、問題の資料の存在の有無を取り上げるレベルでもない、あるいは怪文書とまで明言。

結果的にどちらに非があったか。もちろん、前次官の証言通りに、問題の概要を表す省内資料は存在していた、その時点で自らの言動の非を認め、前次官に謝罪すべきところ、そういう事もしていない。

これで政府の重要閣僚である官房長官などと言うのだから、いくら安倍晋三のおかしな懐古主義を支持したって、あなた自身が礼儀すらわきまえられない人物で、礼節など言及する資格がないんじゃないの? そういうところだと思いますが、この張本人の菅義偉。おかしくないだろうか。

安倍晋三のための政治ではないし、内閣でもない。国民のための政府であるべきところ、それに少しでも疑義が生じるならば、首相に諫言するとか、そういう事でなければ、おかしな大人の代表として子供に顔向けできないのではないか。

そういう教育の根幹のところで踏み外している人物を自民党支持者たちは、国民の代表として国会に送っていいのだろうか、考えてほしい。もちろん、私はこんな人物、支持する気はないが、こういう事一つ一つやっていかないと、おかしな体質が定着してしまうのではないだろうか。

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安倍晋三の体質を表す,安倍晋三絡み。 [所感]

安倍晋三の体質を表す安倍晋三絡みとは?

安倍内閣支持率低下を受けて“丁寧に”を前面に国会閉会中審査に対応した安倍だが、私がここのブログで指摘したように「李下に冠を正さず」という、そういう言葉まで使っている。

一応、中国の諺も知っているんだ、そういう事のようだが、意味は知っているの?

森友学園問題では、素晴らしい教育が行われている、そういう類の言葉が森友学園の教育に関して安倍晋三自身から発せられている。籠池氏の戦前あるいは古い時代への郷愁のような教育を褒めたたえた、そういう事だが、あれだこれだと、籠池氏絡みで、安倍晋三夫妻の名前が挙がることになったのは、彼らが全く、関係なかったからではない、そういう事については否定できないだろう。いや、むしろ積極的に関与したからこそ、夫人付きとも言える役人の名前や対応した資料が出ていることからも言える。

籠池氏の言い分、つまり安倍晋三夫妻に裏切られた、そういうものは差し置いても小学校建設他が止まってしまったのは、当たり前の話であり、結局、森友学園が小学校建設を進める、その過程におかしなことがあった、そういう事だろう。

次に加計学園の獣医学部新設について、全てについて文科省の肩を持つわけではないが、文科省の通常の審査では通らない、そういうものを戦略特区という搦め手での認可を取るというのは、戦略特区の設置の考え方にしっかり沿っていなければ、かえって、おかしなことをやったと取られる、つまり李下に冠を正した、そう取られるのは、当然と言える。

ではだれが冠を正したのか? それが当の戦略特区の責任者である安倍晋三というのであれば、何をか況や、そういう事になる。

先端の事をやるのか、既得権益を主張する業界への風穴を開けるのか等、色々な観点から考えて、戦略特区の対象としてふさわしい、そのように思えるどころか、首を傾げるものが満載の加計ありきの認可が進められようとしている、その加計とは何ぞや。

加計学園理事長の加計孝太郎は安倍晋三の“腹心の友”という間柄。
え? やっぱり安倍晋三に絡んだ話なんじゃん。
一部、おかしな主張をする月刊誌、週刊誌で、何故、加計学園が問題になるのか、一部のマスコミの情報操作だ、などとふざけたものがあったが、そもそもの国家戦略特区の意義づけというものを考えていけば、わざわざ、これだけの名前や支援体制を取る以上、おかしなことがあってはいけないはずだが、文科省の役人と官邸、内閣府のやり取り等見れば、やはりおかしな要素を含む許認可を強引に通そうとしている、そのように見える。

そういうものを安倍晋三が主導する国家戦略特区の会議に諮るのは、ちとまずいんでないかい、晋三君に加計孝太郎君。

さて、最後に、防衛大臣を辞任した稲田朋美。
彼女を防衛大臣に抜擢したのは誰あろう安倍晋三自身だ。将来の首相含みで重要閣僚を経験させるという、その一環が現内閣での防衛大臣としての入閣。

 しかし、既にいつ北朝鮮を相手にアメリカが武力行使をしてもおかしくない緊張状態に日本もあるというのに、防衛通でもない人物を安倍晋三という個人の見解だけで重要閣僚につけて良いのだろうか。

そもそも、戦後の政府の組閣内容自体がおかしいのだが、それを平然と受け入れている国民もなんだかなあ、と思う。

当選5回組だからそろそろ、どこかの省の大臣にとか、そりゃ違うだろ。
そもそも、私に首班指名してくれれば、こういう政策で国民に還元しますとか、あるいは、私の国家観あるいは国家像はこういうもので、その実現の為に私はこういう政策を打っていきたいし、そのためのスタッフとしてこういう人たちを任用します、そういうものに対して、国民が負託する、そういうものであり、あるいはそれが代議員制であれば、国会議員がそれを支持して国会で指名する、そういうもののはずだが、今の国会や内閣は、国民を向いていないから、おかしな構図が存在し、とても適任とは思えない人物が内閣に入ってしまう。

長い前置きになったが、国の組織や役人が一部の利益のために動いてはならない、そういう憲法の精神や自衛隊法に触れる事を平気で口にしていながら、その事を指摘されても、それを聞いた方の解釈の問題として、誤解を受けかねない、などと強弁する、そういう人物が国民の税金で食っていいはずはない。
 森友学園問題でも、野党をなめたのか、事実に反する答弁をして、事実が明るみに出ると、その後修正をしているが、これで弁護士なのだという。弁護士法には社会正義の実現という要素が存在する。そういう事さえも失念しているような人物、もっと言えば、大事な話でさえも記憶にない、そういう人物に重要閣僚などこなせはしないし、こんなのに将来首相になってもらいたいなどと思う人物など稀有だろう。

 よくまあ、こんな人物を選んだものだと、選んだ選挙区の人たちの顔を見てみたい。まさか、次の選挙でも当選させることなどないよな、そう思うのだが、こんな人物の資質も見抜けなかった選挙民だから、今後も当選させて、議員として出てくるのだろうか。

さて、こんな人物を重要閣僚としたのは安倍晋三自身なのだが、そういう意味ではっきりと、安倍晋三絡み、そう言えるのは皆さんもお分かりだろう。

つまり安倍晋三という人物は決して、国民の方を向いているのではなく、自身の中の偶像を追っているに過ぎない人物で、とても政治家とも言えない人物なのだが、しかし、そういう事さえわからないのが今の日本国民という事なのだろうか、それとも、わかっているよと、結果を出してくれるのだろうか。

稲田朋美って人間としておかしいよね。 [政治]

稲田朋美が防衛大臣の職を辞するという記者会見を、特別防衛監察結果の内容
に触れた言葉とともに見た。

ん? なんかおかしくないか?

稲田朋美が言ったのは「防衛省、自衛隊にとって大変厳しい、反省すべき結果が示されました」というものであり、その防衛省自衛隊の不祥事の責任を取って、自身が辞任する、そういう態度なのだ。

だいたい南スーダン派遣の自衛隊がPKOとして活動する、そのもともとは道路などインフラの施設の整備等が目的であり、駆け付け警護など新たに付与された役割を本当に負えるのか、そういう状態下で現地では戦闘行為が頻発しだしていた。

そして、問題になった日報では、政府軍と反政府軍の戦闘行為が自衛隊を含む多国籍のPKO部隊駐屯地を挟んで行われた、それも単に銃撃レベルではなく戦車を繰り出しての砲撃まで行われたというものであり、戦闘内容がどこまで具体的に表現されていたかはわからないが、NHK特集で放映されていた通り、派遣されていた自衛隊員は死を覚悟、多くの隊員が遺書を書いたという。

南スーダンへのPKO派遣は、野党の追及を受けないように、一人の死者をも出さないうちに帰国させるという、そういう事で帰還が決まったという裏話があるが、さもありなんと思う。

その日報で書かれた戦闘行為の解釈についても派遣されている自衛隊員の神経を逆なでするような稲田朋美の国会答弁が行われているが、この人物に自衛隊指揮の能力などありはしない。

安倍晋三は、平気で相手の神経を逆撫でするようなことを言ったり、簡単に金を拠出する話や自衛隊を海外派遣する姿勢を見せているが、自衛隊員も国民の一人であり、国民のための自衛隊員であることを忘れてはいけない。

自衛隊員一人の命でさえ殉職させる事のないよう、政治は機能すべきであり、単なる駒と考えてもらっては困るのである。戦前のような、虜囚の恥かしめを受けるくらいなら自決しろ、などというような、兵士を人間として扱わないような、そういう風潮が政治の世界に蔓延っては困るのである。
 ありもしない事をでっちあげて、次から次に嘘をでっちあげて私を罪に落とした警察と比べれば、東日本大震災の時の自衛隊の活動は皆が頼もしく思ったものであり、自衛隊がそれこそ本当に全国民に認められた組織になった時だったと思う。

それは原発の燃料棒のメルトダウンという驚愕の結果を免れるためには燃料棒の冷却をせねばならない、そのために、強力な放射線を浴びる可能性がある、という覚悟の上でのヘリでの上空からの冷却水の投下(実際には焼け石に水で実効性がなかった)という、まさに身を捧げた決死の覚悟の行動を我々はテレビ放映で見ている。

そういうものを政治家の方がより、身近に感じなければならないはずなのに、戦闘行為という言葉一つを言葉遊びのように、政治的戦術の中で解釈をし、自衛隊員の命というものに思いを馳せない与党政治家、いや、現実の防衛大臣として、とんでもない人物だった、そういう事になるのだが、そういう人物だからこそ、自分の事を棚に上げて、防衛省・自衛隊にとって大変厳しい結果になったという類の記者会見で、辞職の理由を語ったという事だろう。

舛添要一前都知事が第三者の厳しい目で、と自身が選任した弁護士による調査をマスコミに披露した時にマスコミから大バッシングを受けた、それと同じ構図で、自分が指示した監察は、自身に責がある内容については、詳細・事実は語られないものだと思うのだが、こういう事、よほど国民をバカにしていなければやれない事だと思う。

「あんたが隠蔽に加担しなかったという事実は証明されていないんだよ」

防衛省、という言葉の中には防衛大臣も本来であれば含まれるものだと思うけど、自身が指示した特別防衛監察の結果なので、自身は厳しい指摘を受けた対象にはなっていないという事なのね。でもそりゃ違うだろ!

健さんの母校甲子園出場?! [所感]

今年も球児たちの夏、高校野球の夏がやってきた、そのように新聞の各地区の予選を見て、出場校の期待などしていたが、だんだん興が削がれていった。

まあ、毎年の事なのだが、全国私立高等学校甲子園野球大会と言い換えた方がいいような内容だからなのだが。

かつてはそれぞれの地区に戦前からの、勉学でも名門と言われるような強豪の公立高校もあった。だが、しかし、最近のように野球専門学校化したような私立高校には予選レベルで歯が立たなくなって、なかなか甲子園出場がならない。

私立高校が悪いというのではない。後述するが認める部分もある。しかし、例えば、横浜高校を率いていた監督、あるいは近年で言えば、毎年、選抜や選手権の優勝を争うような大阪の私立高校の監督を公立高校が引き抜けるかと言えば、否である。しかし、その逆は然りである。

かつて埼玉県の上尾高校と言えば、甲子園出場が珍しくない公立高校として埼玉県内では強豪校であった。しかし、その監督が浦和学院に招聘され、今や浦学は甲子園出場の常連(今年は決勝で敗退)。

長崎の清峰(今年、久しぶりの県予選決勝進出も敗退)という公立校を優勝させ全国的に知名度を上げさせた監督も招聘されて山梨学院の監督となり、今や、山梨県では甲子園出場が当然視される強豪校となっている。

もちろん、自前で監督が育って、甲子園出場常連になった私立校もあるだろう。
だが、古くはジャイアンツの原辰徳と親子鷹として有名になった東海大相模の監督のように甲子園優勝監督として招聘される、その例が前述のように相変わらず、続いての全国私立高校野球甲子園大会化したような大会を見ると、公立校の監督の悲哀を感じざるを得ない。

あっという間に記憶の彼方に行ってしまった佐賀北高の監督のように全国優勝して脚光を浴びるのは、今や稀有なのだが、それだけに選抜8強に私立高校二校が残った福岡の大会を勝ち上がった公立の東筑高校の甲子園出場は、各地区予選の強豪公立校の敗退を見てきた私には、一度萎えた今年の甲子園大会への興味が再度湧いた祝い事とも言える。

本当に個人の趣味でこのブログを書いているが、たいした学校でもないのにプライドばかりの地区進学高校に入学したばかりの突っ張っていた私には、同級生の「健さんの信奉者で、健さんは地区の英雄。高校(東筑)でも番長をしていた」という言葉が妙に頭に残っていて、東筑とはどういう学校だろうか、そう思っていたのだ。

当然の事ながら、どこかの私立のバカ学校だろう、そう思っていたのだが、なかなかどうして、福岡県内では有数の、そして硬派の県立高校だったのだが、その硬派の典型が高倉健、そういう事なのだ。東筑で番長を張るというのは、腕力が強いだけでは番を張れない。頭もよくなくてはいけないのだ。もちろん、あの健さんの人間性を見ている御仁には、東筑の番の意味もお分かりだろうと思う。

イチローとも関わりのあるプロ野球元阪急の監督をしていたちょい悪親父としても名を馳せた仰木彬氏(故人)もOBであり、まあ、OBなどを見ると、私立校なにするものぞ、そういう気概が伝わってくる学校のように思える。買い被りかもしれないが…。

私立校の悪口ばかりを書いたように思えるので、一言、付け足したいが、私の母校、たいした学校でもないのにプライドばかりで、ん十年前の私の在籍時と同様、未だに「今年の国公立大学への進学実績は百二十余名です」などと同窓会に来た校長が報告するのだが、部活動その他については、言及しない。東筑など三百数十名が国公立大に進学していたころもあったように思う。そういう学校を知れば、たかが進学実績ばかりを吹聴する校長など、まあ、低レベルの学校相応、そのようにしか見られないか。

同期の人物曰く、相変わらず官尊民卑。今時違うのではないか、という感想。したがって野球部の指導も指導教師の言うとおりにやっていればいい、そのレベルであり、校風としては、クラブ活動に身を入れず、勉強に専念しろ。とまあそういうところでしょうか。

つまり指導教師の指示に沿っての練習と試合という、この殻を抜け出せなければ、たまたま指導教師の役割について教師のレベルを超える実力はつかず、まあ、この数年は一回戦負けも多い。これで、甲子園には強豪校として出ていたころもあるというのだから、笑ってしまいますが。

ところが、ところがである、一方の私立高校はというと、今時、監督の指示に頼った試合をしていては、甲子園では勝てない、として、自分たちで考える野球、いや、教育の一環として考える場合、練習の時から自分たちでプランを立てる、そのように公立高校など及ばない実践をしている。

他地区から編入してまで甲子園出場を目指す私立校など応援する気もしないが、あれだ、これだ創意工夫を凝らして切磋琢磨して、甲子園に出てくる学校ならば公立、私立の隔てなく、地区の代表校として応援したい。

でも、健さん、あの世から母校出場を見守っているだろうか。

接待とうな重 [所感]

接待などと書いたが、実はそのような大げさな話ではなく、取引先と同道した時の昼食の話なのだが…。

皆さん、土用の丑の日、商売人の宣伝文句に乗せられて鰻を食べられたのだろうか。

物心がついてから“うな重”なるもの食した経験がないままに、社会人として安給料で働いていた私は、しかし、あまり金に執着したことがなく、いや、これは貧乏人の典型で金離れが良いというか、月末に、少しでも手元に残っていると、昼休みとか終業後に卓球の相手をしてくれた会社の先輩にいわゆるコース料理を驕るなど、とことん貧乏人の典型の生活をしていた。

だからと贅沢をしていたというわけではなく、分相応に慎ましく、だが、預貯金をするわけではなく、月末に金が残っていると、翌月の仕事へのチャージとしてショーレビューを同期入社の同僚と銀座に見に行って、その後、貧乏人には豪華なディナーに行ったり、そういう生活をしていた。

いや、寮生活をしていた関係で食が保証されていたことが大きかったのかもしれない。先輩の寮生など、寮の食事を当てにせずに結構近くのスナック等に通っていたりしたので、本当は安給料という事ではなかったかもしれない。そういうわけだから、仕事上でなければ自ら外食、そういう選択をすることも少なく、鰻を食する機会もないままに、2,3年は経っただろうか。

それがある時、本当にどういうわけだか、急に鰻を食べたくなって、わざわざ少しばかり距離のあるJRの駅前にあるうなぎ屋に一人で行った。別に贅沢をしよう、そういう気はなかったのだが、肝吸い付きの“上”を頼んだ。食べてから思ったのは、自身が良く覚えていないだけで、鰻は食べたことがある、そういう事だったが、せっかくの肝吸い、汁だけ飲んで肝をそのまま残してしまった事が後で、やっぱり誰かに連れてきてもらうんだった、そういう後悔につながった事である。

 という事で、その後、取引先との同道などを含めて、鰻を食する機会も増え、普通に食べていたのが、体質が変わったというか、鰻の油を受け付けなくなり、鰻を食べると下痢をするようになってしまった。いや、常にではないが、そういう傾向が強くなった、という事。

さて、取引先と同道という事だが、正確に言うと、私が勤務している会社が発注した部品や装置の技術的打ち合わせ、あるいは納入についての査察が主であり、相手は設計部門の人物が帯同することもあるが、営業担当者が同行するのである。

、もちろん、そういう事が常ではなく一人での行動も多いのだが、取引先の営業マンが同行する場合など、手っ取り早い昼食というのが、うな重なのだ。うな重はたいていの人にとって昼食でなくとも御馳走の部類に入るのだろう。夜は夜でもっと豪華な接待ディナーなど考える営業さんもいるので、たかがうな重、そういう風に見る向きもあるかもしれない。

 だが、自身の体調で、そういう接待の食事を断り続けていた時に、数社の営業さんから言われた事がある。「お客さんをだしにして申し訳ありませんが、実は自分達が食べたいので、受けてくれませんか」と。もっともそういう言い方をしてこちらが気兼ねなく接待を受けられるようにするというものもあったかもしれない。

 しかし、こちらとしては、意地汚くは育てられていないので、接待のような相手持ちの食事をしても、おいしいものの味が半減したり、食べた気にならない、そういう事の方が多かった。自腹であれば、好きなものを選べるのに、昼食も含めて相手の接待になるとだいたい事前に設定されているために、こちらに選択肢がなく、昼食としては、私の方はかつ丼の方がボリュームがあってお新香なども食べられる、そういう庶民派なのだが、うな重さえあてがえば御馳走、そう思ってくれるという営業マンが主流の時代、そういう時代に私はサラリーマンをしていたのかもしれない。

もちろん今とは違って、回らない寿司屋も接待の場所としては多かったが、本当に食った気がしなかった。

 他人の金で飲食するのが好きな人間ばかりではない事、もう少し世間が知れば、おかしな人物が行政の上に立つ事もないのではないだろうか。私の父親は相当の上流階級の出身者だったが、貧乏しても金には潔癖であり、仕事上でも私心を持つような人物ではなかったのだが、私が同じような道を歩いて初めて、そういう人物が世間には少なく、したがって、かえって誤解を受けやすい、そういう事が分かったのだが、おごられ過ぎても金銭感覚がマヒするのと同様、権力の座に長くついていると、自分中心で行政が回るのが当たり前のようになり、常識が分からなくなるのかもしれない。誰の事かって? 皆さんご存知の人物とその周囲の取り巻きの事しか思い浮かばないでしょ。

くそ役人 [所感]

くそ役人、などと書くと“そういう下品な言葉を使うから訪問者が増えないし共感を得られないんだ”と、内容いかんに関わらず、批判を浴びるかもしれないし、特に自民党の国会議員や閣僚のような知能レベルの人たちには相容れないだろうと思うが、まあ、本質を見失う役人や政治家辺りにはわからない話である。

たぶん、このブログを訪問される方の中にも役人あるいはかつてそうだったという方もいるかもしれない。たぶん、そういう方はここで書く対象とは外れているだろう、そう思う。何故ならば、くそ役人と言われる連中ならばこのブログを見に来るほど常識人ではないし、出世もしているから、そんな暇はない、そういう事だろうか。いやいや、出世していない御仁が悪いのではなく、日本の行政では国民を向いていない方が出世するという、たぶん国語の能力で言えば、相当に低レベルの人たちが官僚としては出世する、それが日本の行政社会、そういう事だろうか。

さて、森友学園や加計学園の問題で、自民党の国会議員や閣僚、そして政府の役人という連中の国会答弁、多くの人は見苦しい、そのように見たのではないだろうか。

不思議な事にくそ役人たちは、ある事について、黒、そのように首相あるいはその周辺で決まったら、それが国民の利益に反する事でも、いや、明確に法に触れることでさえも皆で、黒を通そうとする。

私の裁判で、本人たちが“地方公務員”としていわゆるその身分を隠す警官たちを含めて、訴追に回った人物たちや彼らの説得に応じた民間人たちを含めて、それこそ、四面楚歌というくらいに、私を罪に落とそうと、皆が同じ方向で証言や職務を遂行していた、その事を森友学園や加計学園問題でのくそ役人たちの答弁を見て思い出したのだが。

以前、このブログでも“李下に冠を正さず”という中国の諺を書いた、その諺を安倍晋三が持ち出して、自身について、今回の問題で国民から疑惑をもたれるのは当然、そういう事で丁寧に説明していきたいかのような話をしていたように思うが、だいたい、この諺の真意で言えば、安倍晋三の首相在任中は、加計学園の問題が、首相の主導する国家戦略特区対象になること自体がアウトになるのに、安倍晋三の神経はどういうものなのだろうか。

「“ずぶずぶの関係”などというような下品な言葉を使うべきではない、そういう事だから民進党の支持率が上がらない」などと、質問の内容には答えずに、質問者が使った言葉を引用して、その批判を、上から目線で偉そうに、支持率の問題まで引っ張り出して口封じに近い答弁をした、そういう人物を国民への奉仕者たる役人が勝手に忖度して国民の利益を損なうあるいは一部の利益を図る、こういう事が許されていいのだろうか、そういう事が問われているのに、一様に黒を守り続けるくそ役人とは、いったいどういうものだろうか、それこそ、マスコミ各社は、このくそ役人たちの生い立ちや過去の言動を新聞記事で扱う犯罪者たち並に報道してはどうか?

 頭が悪く、論理的に訴追できなかったくせに権力で人を罪に落としたくそ役人たちの体質を見ると、この連中では本当の行政などできない、このように思うわけですが、“記憶にない”などと平気で言うくそ役人など、大事な事に関しての記憶力さえ持てないのだから、“余人をもって代えがたい能力を持つ人物”として税金で雇う必要があるのだろうか。即刻罷免するのが筋ではないだろうか。

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