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淋しかった夏祭り [日記]

見知らぬ土地に来てから48年。
しかし、私自身は仕事でほとんど住んだことはなく、週末とか長期休暇など仕事が休みの時に帰省するだけで、この地でのイベントなど参加した事もなかった。

ところが今年、町内会の班の当番が回ってきて高齢の母親の代わりに私が行事の労役に駆り出されるのだが、先週末、土、日と二日間、町内会の夏祭りの道路規制(町内の道路を歩行者専用にする)各5時間ずつに当番として出たのだが、これが何と淋しいものだった。

ひょっとしたら道路規制に駆り出されている人数の方が夏祭りを目当てに来場する人数よりも多いのではないか、そういう気がしたのである。

同じ組で担当した人物から昔は山車も2台(今回は1台)で子供の数が多くて引けずにあぶれる子供もいた、そういう話が出ていたのだが、とにかく規制された道路をたまに人が通る、それが祭りの担当者だったりで、露店も本部近くの飲食店の自店の前の出店が数店。街路灯がぽつんぽつんのメイン道路。

前出の人物曰く団塊世代ジュニアがいなくなったら、ほとんど寂れた、らしい。
しかし、暑さだけは半端ではなく、たった二日間であるのにふだんの生活に余計なものが入ると、死ぬ思いというか、こんな思いまでして祭りを続けたい、そう思う人は減っていくだろう、そういう感が強かった。

私の子供の頃と較べれば日中など山車を引くにしろ御輿を担ぐにしろ、暑すぎる。数年前までは日中山車を引いていたようだが、今年の暑さを考えるともう日中は限界だろう。
かと言って夜間ならばいいと言えるほど、気温は下がらず、私などもう開き直って汗臭いのをクール何とかという噴霧器で誤魔化して凌いでいたが、体調の悪い時はこういう手伝いも負担だ。

私のところの町内会の住人の数自体は増えているようだが、そのまま年齢が高い方にシフトしていっているだけのようで、お年寄りはよっぽどのことがない限り祭りになど出てこないし、だいたい、町内会の役員自体も、もう何年といわず、二十年も顔ぶれが変わっていないのではないか、という段にいたっては、このままその連中が夏祭りの幕引きを行う、そういう事になるだろうか。

私の小学校から高校まで一緒だった友人が毎年故郷の祇園に飛行機で飛んでいっては参加して山笠を担いでいるというのだが、国の重要無形民俗文化財という触書なので、さもありなんだと思うが、町内会レベルの夏祭りは少子高齢化と共にどんどん消えていく運命にあるのだろう。

町内会の夏祭りは小さなお子さんを持つ家庭が近場で祭りというものを体験させる良いチャンス、ということなのだと思うが、こういうものの復活はテレビドラマのようにはいかないようだ。

余談だが私が大人の女性がきれいだと思ったのもまだ学校にも上がっていないころに田舎の夏祭りに一緒に行った隣家のお姉さんの浴衣姿だったのだが、そういう体験をする機会がなくなるこれからの坊や達、生まれてくるのが少し遅かったかなあ。

裁判官の質 [司法]

多くの国民から反対の声が上がり、国会にもデモがかけられている安保法制。

憲法違反と、自党主張の合憲の声を聞くつもりだった自民党提案の憲法学者からも意に反した内容の話が出て失態を演じた自民党が、それでも学者の意見と政治は違うとごり押しした安保法制。

その安保法制の合憲の根拠の一つとして砂川事件の最高裁判決がある。
しかし、この判決の解釈もそうだが、内容も本当に貧弱というか、国民の税金から報酬を得ている連中の仕事ぶりとは言えない。

契約社会などとアメリカを始め欧州諸国と仕事をする場合、安易な契約を結ぶと問題が起きた時にそれこそ担当者は自身の企業からさえ訴追をされかねないのが民間企業で働くサラリーマンなのだが、その一般のサラリーマンよりもはるかに高給で身分保障も手厚い裁判官連中が、こういう仕事ぶりなのか、そう思う。

三権分立は国民の為に国家として機能する、その最低線のシステムである、私などはそう習っている。裁判所が違憲審査をしなければ誰がやるのか?

あるテレビ番組に出ていた元最高裁調査官だったという裁判官経験者が、裁判官をさして曰く「法衣を着た役人・官僚でしかない」

役人・官僚と言うことは人事権を政府、つまり行政に握られた行政の下に位置する機能、そういう事になる。
何のことはない、自ら裁判所の地位を貶めてきた、これが裁判所なのだ。

たまに下級裁判所で違憲の判決が出ることがある。
立派だと思う、そう言いたいところだが、本音は、違憲の判決が自身の出世に関わらない事案、そういう事だ。

いや、本当にごく稀にしっかり職務をまっとうして違憲判決を出している場合も下級裁判所においてはある。本分なのに、そういう判決を出した人物はその後、出世の道が閉ざされるとかで、ずっとドサ回り。退職する頃には人間としてもいじけてしまって、マスコミ等で堂々と論陣を張ることのできない人物になってしまう。

おかしな組織であり、馬鹿な事だと思う。
こんな組織だったら、潰せばいいと思う。存在するから、人は期待し、機能していると勘違いまでしてしまう。

今どころかだいぶ前でもAI(人工知能)の方が人間の裁判よりもはるかにましな判決を出せるレベルになっている事、皆さんはご存知だろうか。

今の裁判官は、権力の圧力に屈しないように身分保障されている。
しかし、強欲な裁判官諸氏は身分保障では飽き足らないらしい。出世が保証されていないと、正しい判決を下さない、らしい。

我々国民としては行政の暴走・横暴の歯止めの一つ、いや、最後には憲法違反として、この法律を葬ってくれるのが司法だと思っている。ところが裁判所が何を勘違いしているか、身分保障はおかしな判決を下したり冤罪判決を出そうが自分たちは失職しないとばかりに、傲った職務態度を取る拠り所としているのだから何をか況んやであり、この馬鹿裁判官達、今すぐに罷免すべきであり、AIに置きかえるべきである。

AIなどにできはしないなどと勝手に思うなかれ、前例主義の日本の裁判所の判決などAIはもっと忠実にしかも最適なケースを引っ張り出してくるし、前例のないケースで強引に自分たちの権力を振り回す裁判官達と違って、新たなケースでは無理矢理おかしな判決を下す事はない。

人間らしさとか温情などと上から目線で被告人やら当事者達を睥睨して刑期裁量等を自身の権力を誇示する武器にしているおかしな裁判官達よりもAIの方が、公平無私。公平無私であれば今の裁判官達の職務内容であれば他のことは些事ではないだろうか。

とにかく国民のことを最優先で考える事をしない司法であるならば、そして、代替するものがあるならば代えるべきである。長いこと権力に安住し、国民を顧みなかった組織には相応の報いをすべきである。初期投資は掛かるが、監査組織を含めても維持費は現裁判所に掛かる費用とは比較にならないほど安くなるし、それこそ財務状況の改善に大いに貢献すること間違いなし。

弁護士の質 [司法]

裁判に関わって初めて知る日本の司法、と言うところだろうか。

テレビドラマなどで、それこそ、理詰めで論陣を張り勝利を勝ち取っていく弁護士。我が母にして、テレビのようにはいかないのか、そのように、不満を当の弁護士にぶつけても弁護士自身は、(テレビドラマのようにはいかない、と)返す言葉がない、そういう事だったが、「あんたが弁護士になれば良かったわね」これは私の母親の正直な感想である。

確かに、今の私ではテレビのようにはいかないかも知れないが、進路選択を考える若い頃であれば、論陣を張ることでは誰にも負けなかった、そう思うし、正義感も人後に落ちなかった、と思う。しかし、その正義感で考えた時に日本だけでなく司法の世界というものに違和感を覚えていたことも事実であった。

私の場合、メカとか創造性とかいうことで模型の大砲や戦車、地雷とか、武器の知識のない中、自分で色々考案しておもちゃを作ったりしていた、その延長で物作りを志向していたので暗記に頼る現システムの文系には全く興味を覚えなかったのだが。

さて、その私の事案でも、民事で、不当な提訴、そして理由のない賠償金額の値上げなど、ホームページで社会派の弁護士と名乗る割にはおおよそ反社会的提訴をした弁護士。

弁護士会には弁護士活動を通じて社会正義を実現する、そのようにうたっている。
しかし、実態はそのような崇高なものからは遠い。
でありながら社会的地位が高いとして、社会からは一般人よりも高い見識を持つ人物としてみられている。

その弁護士が最近、高齢者や認知症などの成年後見人でありながら、実は管理しなければならない預金等の横領で捕まるケースが増えている。

弁護士など法曹界の人物は特殊なものを手段、対象とした職業の人間なのだが、その職行選択の時の気持ちはどうだったのだろうか、そう思う。

西日本のある弁護士はレイプで訴えられた依頼人の代理人として、その被害者に告訴を取り下げなければ、問題のレイプの場面の映像が世間に出回る、と脅迫としか取れない交渉を行っている。

私の事案で刑事弁護を専門にしていた弁護人でさえ依頼人の利益を最大に考える、これが弁護士の職務、そのように考えていた。
私はまず、社会正義の実現、それが最優先で来るのではないか、そう疑問を呈したが、どうも彼らの頭の中では、それが一番ではないようなのだ。

刑事専門の弁護士にしてこれでは、前述のようなおかしな弁護士が輩出されるのも仕方ない、そういう事なのだろうが、社会あっての弁護士であり、弁護士の職務だからと反社会的行為を正当化するな、これが私の弁護士への姿勢である。

東芝、歴代3社長辞任の報道で思う事 [経営]

東芝の不適切会計の話で以前、この企業を取り上げた時にアメリカ発の科学的経営なるものにも触りとして述べたが、もちろん文系の人間には多少、難易度が高いとしても読解力のある人間(通常は文系人間の方がその力があると勘違いされているようだが)であるならば十分に理解できる内容のものがそのアメリカ発の科学的経営手法としてもたらされている。

東芝がその導入をした代表的企業の中の一つ、そして失敗した企業の代表、としてもつとに有名なのだが、成功例を聞いたことがないので、日本人がそれだけ理解力のない人種だったかと、私など経営のプロとして優良企業のモデルを作りたいと思っていた人間としては、実態を知って愕然とした。

活字になったものテレビで報道陣とやり取りした内容などはまさしく東芝が導入した科学的経営手法に則った経営の如く見える。
しかし、本来、チャレンジなどと簡単に言われるような数値目標などではなく、根拠があって始めて語られる数値になるはずなのだが、所詮、この程度の経営陣であれば、こういう話になる、それがこのアメリカからもたらされた科学的経営手法なるものの正体なのだ。

正しく理解した人間とやり方が似ているようで非なるもの、それを指摘する人間がいなかったのか、声を挙げられなかった、そういう事なのか。

会社は誰のものか、そういう話がホリエモンの台頭期にあったが、企業文化によって色々解釈はあるだろう、そう思う。
しかし、サラリーマン社長のものでない事だけは確かだと思うのだが、その辺も、今、騒がれている安保法制法案をごり押しする政府・与党の感覚と似ているような気がする。

してみると、日本人とはあまりおつむの良い国民ではない、そういう事なのか、あるいは行政にしろ著名企業にしろトップには頭の悪い人間が来るような社会システムが構築されている、そういう事なのか。

大きな企業での事業部や本部を預かる人間の肩を持つわけではないが、為替一つで企業業績が大きく変わる現代社会において、社会的要因を業績に織り込まない企業はないことは衆知の事実である。つまり、そういう外部要因をどれだけリスク要因から外せる策を講じているか、講じてきたか、そういう事が経営というもののファクターの一つであって、それは経営者が当事者意識を持って株主・従業員に説明していけるものにしていかなければ経営者の意味はない。

私の見るところ円高で安易に中国への工場シフトをしたり金型のノウハウをまで中小企業から取り上げて中国企業に渡したり、日本の大企業はとんでもないことをしてきている。
そういう中にあってアメリカの原子力関連企業を買収した時の東芝はそれなりに経営というものをしていたと言えるかも知れない。

しかし、リーマンショックも東日本大震災も受難したのは東芝だけではなく多くの企業が受難している。そういう事を考えれば、こういう時こそ、全社挙げて知恵と工夫で乗り切る、そういう風を起こすことこそ経営者の醍醐味ではないだろうか。

自身が被害者であるかのような感情に支配されての八つ当たり的バッシング経営ではどんな企業でも業績を落としていく。基本の基本でおかしな経営が続いたようだが、業績回復のためにと、今度は下請けいじめと捉えられるようなコストダウン等無理はしないでもらいたい。

今までにないようなコストダウンに成功しましたなどと言って、実態は納入企業に無理な価格で納入させたなどと言う笑えない日本的企業文化はもう時代にそぐわないと思うが、いかがか。

安保法制法案国民の声 [政治]

どうも調子に乗ってパソコンに向かっていると、その反動で目の調子が良くない。特に今は酷暑の中、エアコンなど入れると、空気が乾燥して余計悪くなる。そういう事で予約投稿していた中、数日ほどパソコンを開いていなかったら、予約投稿が切れてしまっていた。

さて、国会、衆議院では自公の圧倒的多数により政府案の安保法制法案が可決した。

その前後で国会を取り巻く一般市民のデモ。
しかし、昔から、こういうデモが法案を廃案にしたことはないのではないだろうか。

政府が、その次を狙った、その次はできなかった、つまり阻止はされたが、その時の法案は可決された、そういう事だと思う。

今まで、その次としてデモ等で阻止されてきたもの、これが今回、衆議院で可決されたのだから、大変なことが起こる、つまり歯止めになっていたものが無くなった、そういう事を我々は知らなければいけない。

国会では圧倒的多数で政府案を通しているが、いくつもの地方議会では自民党議員も賛成に回り、安保法制法案に反対という決議が為されている。

より国民に近い考えはどちらなのか。
今の自民党は国会では圧倒的な議席数を占めている。過半数どころか一党で三分の二に近い数値である。

しかし、得票率で言えば2割程度でしかない。
その2割だって、沈滞化した経済を何とかしてくれるのではないか等、今回のような戦前を思い起こさせるような法案まで意識して支持してはいない事のようだ。

年配者の支持が多い自民党は、それ故に保守とは言え戦争というものに敏感なものも持っていたはずの党である。だからこそ、地方ではその支持者達の声まで無視はできずに戦争に繋がる安保法制には反対の決議に自民党議員までもが賛成したという事であり、それがより国民に近い考えではないだろうか。

集団的自衛権という枠組みが無くても小泉政権の時に自衛隊を中東に派遣している。これが集団的自衛権が認められているなどとなれば、政府は安易に自衛隊派遣という手段を使うだろう。

本当に国家存亡の危機や世界が危ないなどとなれば、集団的自衛権がないとか、個別的自衛権では戦えないのではとか、そんな悠長な論議を国民がしているだろうか。もし、そうだ、などと言うならば、それは国民を馬鹿にしている今の政府・役人達でしかない。

国民を情報統制下に置き、とんでもない敗戦を喫した、それも戦争の終わらせ方さえも分からずに誰も責任を取らずに逃げまくったのはどこの国の軍人役人だったか。

戦争のおっ始め方ばかりやっているが、始まった戦争をどのように終わらせるか、第二次大戦で一番大きな事だったのではないだろうか。そういう事もわかっていない馬鹿役人・馬鹿議員・馬鹿大臣及びその馬鹿大臣の末裔達が、さて、戦争を、とやって、その終わらせ方、どう考えているのか。

真実のほどはともかく、プーチンなどは核ミサイルの発射を準備したとまで言った、ウクライナの紛争。日本人の感覚では、そこまでの戦争か、そう思うだろうし、ましてどちらが、と言えばロシア側の方が侵略と見られるのに、盗人にも五分の魂。日本人感覚で簡単に戦争に加担して痛い目に遭わないと誰が言えるのだろうか。

それも正義なき戦い、としたら亡くなった方は浮かばれない。
そういう事を考えれば政府や武力の執行部隊こそ、その言動に縛りを持たないといけない、そう思うのだが、安倍晋三のやっている事は国民の言論に縛りを入れている。

経験から学ばないような人物を行政のトップに据えてはならない。

安保法制法案強行採決の謝罪 [社会]

たまには、皆さんに謝罪しなければならないこともあるようだが、今回のこれが、それのような気がする。

法案自体については、是々非々、そう言うところもあるという事で、全てにおいて反対、そういう事でもないらしい人達も、反対のデモには参加しているのではないだろうか。

私が私の世代を代表して謝罪しなければならない、そう思うのは、安倍晋三のような政治家が出てくる下地ができてしまうことを放置していた事なのだが。

何回もこのブログでは中国脅威論のようなことを書いている。
日本を取り巻く中国、北朝鮮だけでなく、韓国にしたって、以前、韓国の密漁船を捕らえようと日本の巡視船が追いかけていたところへ、当時の盧武鉉の指示で担当大臣であった、潘基文現国連事務総長が軍鑑を出動させて巡視船に対峙させた事を思えば、日本が思うほど相手側政治姿勢が好意的ではない、という事である。

現に、竹島などは日本が第二次大戦での敗戦で武装解除されて武力と呼べるようなものがない時に、どさくさ紛れで韓国に武力占領されている。

第二次大戦後でさえそういう事があった、その日本周辺で、近年、飛ぶ鳥を落とす勢いの中国が国際法など歯牙にも掛けない横暴振りを示せば、集団安保など有事の際に実効性のある体制を構築しておこうというのは特段、おかしな話ではない。

だが、今回の安倍晋三が持ち出してきたやり方や、口調は、どう見たって私などが好意的に見てはいけない、そういうものを示しているのだ。

三菱マテリアルが戦前アメリカ人捕虜を強制徴用して鉱山で働かせていた事への謝罪をアメリカで行ったというニュースがテレビで流されていたが、日本兵(旧満州や北方領土にいた日本兵達)は大本営と言う旧日本軍の中枢の連中にソ連に売られている。シベリア抑留の凄まじさは色々語られているが、とにかく厳寒下、過酷な労働に駆り出される割には粗末な食事により栄養失調で多数が死ぬという状況。

軍人に関しては約60万人が抑留されてその1割が死亡とされているが、実際には民間人も含めて100万人以上が抑留され、死者は数十万に及ぶという。だが、正確な数が出ないのは軍も日本政府も彼らを売ったり棄民政策で、数の把握など意味がなかったからのようである。

このような歴史を見れば日本政府など少しも信用ならない、そういう事ではないだろうか。
その当時は報道管制が敷かれていたからなどと、当時のマスコミ人は言い訳するが、特定機密保持に関する法律の制定など、まさしく戦前、戦争に突っ走った時代を思い起こさせる法律ばかりが今制定されている。

戦前を思い起こさせるようなものではないと言うならば、逆にあらゆる法律の透明性を高め、主権者は国民であり、政府も自衛隊も特定人物、組織のための戦争など行わない、あるいは戦争ではなく外交交渉に生命線を掛ける、そのような方針を示すべきである。

安倍晋三は確かに戦争をやりやすくする法律、戦争にのめり込む法律を作り、日本人の生命を危険にさらす事をやっている。

彼自身がどう言おうと、あまり国民の生命財産に関して興味を持っていないのではないか、そう思わせるのは、ISILに日本人が人質になっている、その時に、わざわざ、そのお膝元に当たるようなところに行って、無神経な話をして、自身をアピールするような事をやったことでも明らかである。結果は皆さんご承知のように人質の生命は失われている。

安倍晋三が岸信介をBC級戦犯から正当化する自身のロマンのために日本を危うい状態に持っていくことに、素人の私だけでなく、最近は複数の研究者も同様の声を上げるようになってきているが、皆さんも、その辺のところよく理解すると、安倍晋三のやっている事が決して国民の為にやっているなどという事ではない事わかると思う。

とにかく、この国の政府は天皇陛下でさえも望んでいない戦争を勝手におっ始めて、多くの国民を犠牲にして誰も国民に対して責任を取らなかったどころか、外地にいた国民を棄民しようとした過去を持っている。そしてその総括を一切行わなかった組織なのだ。

夢夢、それは第二次大戦後のこと、などと思うなかれ。何故ならば、当時の日本政府の多くの組織は解体されずに今に至っている。主権在民どころかお上が上という官尊民卑の精神は脈々と官僚達によって受け継がれている。その多くが自民党に引き継がれているのだから、なかなか自民党という党内で、こういうおかしな話に対しての自浄作用など働かない。

改めて、安倍晋三のような人物が政治の世界に出てくる下地を作った我々世代の愚かさを謝罪するが、次の世代の事を考えたら、皆さんも、もう少し考え、行動して欲しい。

おかしな国が日本近辺に存在するから、そういう口実は旧軍でも存在し、どんどん海外派兵へのエスカレートに繋がった、そして国民はつんぼ桟敷に置かれ、意味のない戦争に駆り出されていった、その構造と全く
変わっていない、そういう事だし、同じような事をやるおつむの貧弱さを自覚しない人物を首相に抱いている現選挙民の愚鈍さ。

何だか最後は皆さんにも責任はある、そのような話になってしまいましたが、まあ、民主主義とは言えない国家になってしまいましたね。

あの政権交代に冷や水を掛けたのは、確かに民主党の自滅もあったけれども、何を隠そう、官僚の深謀遠慮によるもの、そこまで読めないあなた方は、日本を滅ぼす。

再度、積極的平和主義というものについて [政治]

我が家にとっては酷暑のシーズン、初日にして夏バテ、冷たいものしか受け付けないような体に反して胃の方は、もう勘弁してくれと目眩、吐き気、立ち眩みを感じる中、いきなりの雨でほっと一息、いやいや湿度は相変わらずで、先が思いやられる夏。皆さんも体調管理にはご注意ください。

さて、まあ詭弁というか、頭の悪い奴は人を馬鹿にしてこういう事を平気で言うのか、と思うのが、積極的平和主義なるものである。

こんな言葉、今まで聞いたことはないのだが、自分の主張を通そうとすると政治家というものはここまでやるのか、そういうものなのだが。

武力行使のような軍国主義とか覇権主義に対比する形で平和主義がある。積極的などという枕詞がつけばもっと平和主義の理想に近い、あるいは絶対的に平和主義に近いもの、そういう気もするが、ところがどっこい、積極的平和主義とは,より武力行使を行いやすい体制に持っていくというのだから平和主義の名が泣く。

例えば、紛争地、これが国際紛争であれば、日本がわざわざ駆けつけたら、敵対された側の国民はどうだろうか。憎しみ等悪感情は相当期間残るだろう。戦争を仕掛けた訳でもないのにお隣韓国が何かにつけてケチをつけてくる、こういう事、自身が経験していてさえ、分からないのだろうか、そう思うのが安倍晋三なのだが。

内紛だって、そうだろう。日本が味方した側の勢力が常に勝つとは限らないし、中東の紛争などでアメリカが介入した例を見ても、現地側からすれば大きなお世話、そんなものが多すぎる。こういう事、繰り返せば、日本が戦後培ってきた平和とか信頼とか、そういうものはなくなってくるだろう。

おかしな言葉まで持ち出してきて国民を誤魔化そうという神経が気に入らないのだが、積極的とは、”大きなお世話”だし、誰からも感謝されない、これがアメリカの現実であり、それに付き合うために貴重な国民の生命財産を消耗させる、それは本当に国民の為を思う政府の仕事だろうか。

血で獲得した自由とか民主主義でない限り、その考え方や原則は国民に根付かない、というものを地で行くのが日本の民主主義かと思う。その重さを国民自身がわかっていないように思うが、もし、本当に国民自身のことを思って理不尽な戦争を仕掛けてくる勢力、国家に対して国民を守ろうという事であるならば、まずは、自由とか民主主義の重さを国民自身が理解する、そこから始めるべきではないだろうか。

日本人自身が血で自由や民主主義を獲得した、そういう歴史はないが、今の表向きの民主的国家は、多くの国民が犠牲になった、つまり血を流した第二次大戦の結果として受けているものであり、その国民に犠牲を強いた政府が今また同じような事を国家の体制に組み込むことは許されないのだ。

安倍晋三を始めとする自民党国会議員達は、あまりに時代錯誤的考え方しか持っていない、そう断言できる。さっさと解党して議員辞職した方がいい。

勇気のない人達 [所感]

私を含めて、と言いたいところだが、はっきり言おう、私を除いての大多数の日本人についての話である。

今、テレビで話題になっているいじめによる中学校生徒の自殺。
担任教員もそうだが、周囲の生徒も分かっていたはずだが、何故、阻止しなかったか。

私も小学校でいじめにあったことがある。
頭の悪い連中には分からなかったかも知れないが、一学期以上続けば馬鹿でも気づく、そう思うのだが。
しかし、どこの誰一人、そして父兄からもそういう話が出なかった。

私をいじめていたのは、当時の担任教員。
自分が教科の予習をサボって、誤答を正解として、それを私に指摘されたのが余程悔しかったと見えて、その日以降、毎日毎授業、私を小学生では分からない問題を出して立たせた。

そりゃ、違うだろう、怒らなければならないのは傲って予習せずにあんちょこに頼ったばかりにそのあんちょこの間違いをそのまま正答とした自分の行いを恥じるべきではないのか。所詮、教師とは名ばかりの教員の典型例だ。

もっとも算数はどんなに頑張っても私には敵わないことを知って、算数の授業だけはその後、決して私を指名しなかったが、算数以外で、本人が答えられないと思って指名した問題を結構正解した。そりゃ、そうだろう学校で一番と言われるような知能を持っているのだから新聞やラジオなど目や耳から入った情報は、確実に記憶しているのだから、担当教員よりも一般常識においてもこちらの方が知っている事多かったのだ。

ところが正解でも、間違っている、こういう嘘をやるような教員だった。
私が他の生徒だったら、おかしい、そういう声を上げたり、両親にそういうおかしな事がある、そう伝えていたと思う。

しかし、そういう声はどこの誰からも出なかった。結果、その教員は他の教員が校長になるような年齢の時に同様永年表彰等を受けて校長になっている。

この時、声を上げなかった生徒達は著名大学著名企業に行ってそのまま自分さえよければで出世している。

さて、話題になっているもう一つ。新国立競技場建設問題。
過ちを改めるに躊躇するなかれ、そのように多くの人は少なくとも高校までには習っているはずだ。

いやいやあれは学校で習う建前の話で本音ではない、そう言うのはきっと今、この建設に何らか関与する勇気のない連中だろう。こういう勇気のない人達が本当に国民の為にはならない、そういうものを声を出して制止できるだろうか。

私は建築家ではないので門外漢として無責任な話はできないが、工期のあるもの、意外と世間の常識が間違っていて、大幅に縮めた事は幾らでもある。たぶん、優秀な建築家に今のモデルに囚われずに機能等仕様・費用を明確にするだけで、ああだこうだ言っている間に時間切れになるという愚を避ける手立てを講じてくれるのではないか。

ついでに。町内会の班の当番が回ってきた話。
町内会としてやる事は色々あるだろう、その事は否定しないし、肉体の労務提供などはかつては苦役として隣組等で負担していた、そういうものから事務的なものやイベントが町内会として活動する形で残っている、そう思えばいいだろうか。

だから決して楽なものではない、という事で自治会活動に従事されている皆さんにはご苦労様、そういうことだろうと思う。
この活動の中に毎月の市報の配布がある。

この市報、市報というタイトルの小冊子を含めて5種類くらいあるだろうか。月によって内容が各種変わるのだが、しかし、この市報、大変なものだと思う。

市報の作成だけでも相当な工数、それも毎月ともなれば市報の内容毎に担当者が、それも1人では済まないと思う。

しかし、今、このままでは国家財政が破綻する、そう言われて消費増税が行われた後でももう次の増税の機会を図っている、この事、忘れまじなのだ。

一度敷いたレールは継ぎ足してでもその上を走り続けていこう、では、その行政マンの手腕を問われかねない。
本当の実務家は必要なものを合理性を持って整理し、不要なものはなくし、よりシンプルにして住民の負担を軽くする。出なければ本当にその職務を知って、税金から報酬を得る資格はない、ということなのだが。

自治会費の支出科目を見ても無駄だなあ、そう思う科目が結構ある。だが、自治会会合の中で誰一人、そういう事に気づかないのか、言いたくないのか。
私? 現時点でこの国の馬鹿どものせいで犯罪者となっているので、この国を良くしようという気などさらさら無い。ただ、不要な税金徴収は勘弁しろ、そういうことなのだ。

行政側だって、住民が声を上げないからいい、と言うものでもない。あんたら本当に行政の何たるかを知っているの? 専門家でなければ行政マンとして一般市民よりも高給を得る資格などないのだよ、なーんて、連中に言ったって少しも効果はない。行政のトップに立つ人間が、そういう事、理解していなければ、相変わらずのお上意識しかないだろう。

東芝の不適切会計 [経営]

一部に不適切会計が行われていたと聞いた時は、一部に、おかしな人物がいたのか、その程度の認識だったが、実態が露呈するにしたがって、驚くと言うよりは呆れた。

一部上場の、それも長い伝統のある堅い製造業に位置する企業が、こういうおかしな事をする体質に変質していたとは。

東芝はからくり儀右衛門に代表される技術で売った企業の筈だが、いつから投資家を騙す技術を磨く企業になってしまったのだろうか。

思えば、私自身が、何故こういう馬鹿な人物ばかりいるのだろうかというような、アメリカの科学的経営手法なるものを多くの企業、いや企業の人事部門が取り込み始めた時に一斉に右へ倣えした日本的横並び文化に毒されて、多くの現場の一線の技術者達を悩ませた、その事を思いだす。

アメリカから来た手法ではあったが、しっかり理解できれば決して悪い経営手法だと私は思わなかった、その経営手法だが、当事者意識のない人事部門にいる人物達では理解すらできないだろう、私はそう思っていたが、実際、うまく行ったという話はどこからも聞かなかった。

東芝もその例に漏れなかった。
そして、その後、新たな経営手法が持ち込まれたのだが、これも東芝のような大企業で経営陣に加わるような人物であれば、とても使える代物ではない、そうわかるようなもの、他の代表的な日本企業と共に導入したのだが、そういう意味では、その時点でこれら企業の経営者達は失格と言っていいだろう。

何故、東芝ほどの企業だけが不適切会計として報道されたのか分からないが、他の企業はうまく隠したのか、あるいはいくら何でもそこまでは、そのように現場への圧力を強めなかった、そういうことだろうか。

首切りもそうだが、他の誰でもできるようなことをするのが経営者とはとても思えない。余人をもって代え難い、そういう能力を発揮できる人物こそ経営者にはふさわしいのだが、どうもそういう人物は出世レースから外れてしまうようだ。

大企業とか、そういう企業の高いポストにいるとか、そういう事が能力とは全く関係ない、そういう事を教えてくれる例がまた増えた、そう思って、こういう報道を見るといいような気がする。

自然には敵わない? でも手を掛ければ少しは… [日記]

イヤー、暑いですね。我が家、家の中で36度越えです。初日にして、かき氷や冷たいもの、誘惑に負けるとかいうレベルでなく、取らねば、やってられない、ということで夏バテ。皆さんはどうでしょうか。

裁判の関係で、どうしても手を掛けられない、と一時止めていた簡単な野菜作り、今年は緑のカーテンと共に復活を、そう期待して始めたのだが。

まあ、スタートとしてはギリギリだっただろうか。
とにかく我が家は人間耐久テストをしているような家なので、夏暑く冬寒い。
したがって緑のカーテンに期待するところ大であり、以前、パッションフルーツの緑のカーテンは、収穫こそできなかったもののそこそこ貢献してくれた。

という事で、今年はテラスの一番日の当たる部分に設置しようとホームセンターから買ってきたものプランターに植え替えようとした途端に、根が折れてしまった。

kりゃまずい、そう思って、支えを施して何とか、そうしたら、確かに何とか、持ち直し掛けてくれた、そう思ったのも束の間、三日ほど、この時期としては異例の強風が吹いて、また苗が倒れてしまった。

これはまずいとしっかりした支柱を立てたものの、さすがに二度に渡る失態は、前回の経験から、既に緑のカーテンとして期待できるレベルに行っていなければならないものが、ホームセンターから買ってきた時のまま葉の色が濃い緑になっただけ、という事で、西日を受けるトイレの前に二週遅れで植えた方に期待したのだが、これもまた強風下で、どうかなったか、成長しない。

しかし、諦めずに朝晩、水やりを欠かさず、肥料もしっかり施していたら、テラス側のが新たな葉が伸び出したと思ったら、まだ、10cm程度の伸びながら花をつけた。

これは嬉しい。手を掛けたのが実を結びそうなので、何とか、今年こそは実を収穫したい、そう思う。
前回はたくさん実もなったが、花が咲くのが遅かったために変色しただけで、表面が堅いまま冬になってしまったので、今年は収穫できると思う。

自然には敵わないが、後のフォローをすれば何とか、そこそこにはなる、そういう事だろうか。
こういうのは対症療法もある程度利くが、政治の世界の話、全く、我々の反対の声が届かないかのような政府の態度には、どちらが主権者か彼らが分かっているのだろうか、そういう疑問がつきまとう。

日本人はどうしてこうもおかしくなってしまったのだろうか、新聞テレビを見る度に思うのである。
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