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女性は弱者か? [社会]

今のような複雑な世の中では通り一辺倒に判断を下す事は危険だと思う。

私の冤罪の事案も相手は女性である。その女性の軽率な行動で私も我が家も大変な目に遭ったのだが、いや、過去形ではない、未だに尾を引いているし、被った金銭的損失、私の人生に大きな影を落としている。

果たして、こういう女性が弱者などと言えるのか、と思うのだが…。

さて、駅のホームで反対側から来る男性サラリーマンに対し、すれ違いざまに肘打ちを食わしてホームから落下させ、怪我をさせたとして女性が逮捕されたニュースが報道されていた。

反撃としての肘打ちは誰も非難しないと思うが、攻撃的に使ったとしたら、それこそ奇襲だから受けた相手が例え男性であったとしても、受けきれるものではないし、けっこうなダメージとなるし言語道断である。

見かけで男性が強く、女性が弱いなどと思わない方がいいと思うのだが、冒頭で述べたように世間では一律に見る人物が多く、そしてそれは女性に多い。いくら男性だといっても病気、それも内臓疾患等に罹患していると外部からの圧力には弱い。

ボクシングにキドニーブロウという腎臓部への攻撃がある。もちろん、反則である。ボクサーのように鍛えた人間でも腎臓部への攻撃は堪えるし、ダメージが残りやすく、命に関わる、そういう部位だからこそ、その部位への攻撃は反則になっている。

ところが、そういう事も知らないで腎臓に尖ったものを当てたり拳の中の中指を高くして腎臓部にぐっと押し込んでくる女性には何度も遭遇している。

いや、私はいつの頃からか石持、すなわち腎臓結石で、特にハードワークが続いた時など腎臓が腫れて普通にさすられる行為であっても顔をしかめるほど痛みを感じるのだが、腎臓結石を経験された方なら腎臓の痛みがどれほど痛いかご存知だと思う。

その腫れた腎臓のところに拳を、それも中指を高くして尖った部分を後から押しつけて自分と私との間に空間をつくろうとする満員電車内でのクソ女に、何度苦しめられたことか。

会社内で責任ある立場であれば、そんなクソ女と関わって時間を無駄にするわけにも行かないと、こちらは満員電車の中でも体をずらすように拳の当たる位置を変えようとするのだが、そういう努力を知ってか知らずか時としてショルダーバッグの角を当ててくるクソ女もいた。

私が利用していた電車は満員で有名なJRの路線だったが、そんな目に遭うくらいだったら空いた車両を利用すればいいのに、そういう声が聞こえてきそうなので、一言、言うと例えば、最後部とか別の車両を利用してさえ満員状態は変わらないという電車内での出来事なのだが。

今回、被害にあったサラリーマンは足の脱臼程度で済んだそうだが、男だから、と一律に殴っても蹴っても無事であるなどと女性陣には思って欲しくないのである。

言い忘れたが私が被害にあった腎臓への圧力に関して、圧倒的に女性が多かったが、一人、60歳前後の人物が手で抱えるタイプのコンパクトな堅いバッグの角を背中側から当ててきたのには閉口した。この人物、周囲に気を払うことができない人物だろう、そう思ったのだが、だからとこういう被害を受けてさえ、私が得意の腕力沙汰に及んだことは一度もない。

腕力を振るえば私が感じる腎臓以上の痛みをそれも長期に渡って与える事になってしまう。これは私が本意とするところではないからだが、しかし、腎臓の痛さ、知らない人には分からないだろう。


裁判絡みで2点ほど [所感]

一点目。
私が支援者の一人の紹介で控訴審を戦ってくれる弁護人として依頼に行った人物。その人物が裁判員裁判には批判的だという事、知っていたが、私の事案のカテゴリーでは高名であるとの評判もあって、一応紹介されたので依頼に行った時の出来事。

「あんた、有罪だ。私だったら絶対あんたを有罪にする」こう、のたもうた。
でっち上げ、恣意的判決、そのように判決文について言っているのに、依頼人を全く無視して上から目線でこの人物言ったのだ。

おおよそ、依頼人がどのようなこと、どれだけ困って依頼に来ているかとか、そういう想像力の欠片もないどころか、人を悪人呼ばわりしての前述の言葉だったのだ。

一審の弁護団の一人が「裁判官も裁判員制度になってからずいぶんと態度が変わりました」そう言っていた。つまり裁判官だけで有罪無罪を決められず、裁判員の理解を得なければならない。それだけ説得力のある審議をしていかなければならない、そういう事になると、今までのふんぞり返った態度では裁判が進んで行かない、そういう事で裁判官の態度が改まってきた、そう言ったのだ。

ところが件の人物は、所詮、素人集団が裁判のことなど分かるはずもない、そう切り捨てて、専門家である裁判官以外が判決に関与するなど問題だ、そういう立場で裁判員裁判制度には反対している。

私の事案は裁判員裁判であれば栗田健一のような屑が裁判官であっても有罪になることなどあり得ない事案だったのだが…。

さて、ではこの専門家である事を自認している弁護士、私の事案について何と言ったか。
私が相手は私の車の前方になどいなかった、そう言ったのを「人間は後でも見えるんだ」
言うに事欠いてとんでも無いことを言ったのだ。

自分が決めつけた事象と違う事を指摘されて自分を正当化せんがための言い分である。こんな奴、弁護士でも何でもない、それがその言葉を聞いての私の感想である。事実に基づいて被告人の利益を図る、これが社会正義の実現という弁護士法に基づく弁護活動の基本だ。

そういう基本さえ理解できない奴が高名な弁護士などとは弁護士のレベルが知れようというものである。
そこまで強弁するならば、前方に横断歩道のある道路で、前方を注意しながら、車よりも高速で斜め後から突っ込んでくる自転車を回避できる事を自分自身で証明してみろ!

私から言わせればこんな屑が弁護士会の会長選に出る事、不思議でしょうがないのだがまあ、弁護士諸氏が妥当な結論を出すとは思う。

2点目。
さて、そういう裁判絡みでまたしても冤罪。つまりこの国では冤罪など当たり前に作られていること国民がもっと認識して司法制度を変えなければならない。

私の事案でも調書は警官が作成している。その内容に車には全く存在しない損傷が生じる事象が書かれている。つまりでっち上げだ。でっち上げはでっち上げで、警官が事件を作り上げている証拠となる。ところが裁判官という人種、どうしてそういう事には目をつぶるかねえ。

調書の内容が物証と違えば、それこそおかしい。ちゃんと物証を裏付ける内容の調書を作成できなければ捜査能力がない、そういう事になる、そういう意味では今の警官は全員捜査能力などないので首。つまり警官としての職務は解いた方がいい。

警官が勝手に書いた調書で、訴追内容が、そういうでたらめなことを元に起訴されたものだという証拠になる、そう主張しても、裁判官という人種、被告人が言う事を変えたから、そういう主張を変える人間は信用ならない、そう決めつける。

私からすると裁判官全員集めても私よりも嘘を言わない人間はいない、そう思うくらいやる事が姑息だ。有罪にしなければ自身の経歴に傷がつくという保身優先の態度を見れば裁判官に求められる資質などあり得ない事明白だ。

調書と物証が異なって、事実はこうだ、そう被告人が言うと、現物を見てから言う事を変えた、そう決めつける裁判官。しかし、物証と違う証言など信用できないという見方の方が自然ではないだろうか。物証と合う証言こそ、合理性がある、そうなるのではないだろうか。

だいたい物証を見てから言う事を変えたなどと言っても、その場凌ぎの証言などすぐに破綻するのではないだろうか。ところが破綻しないので、信用ならないなどという言葉で否定してしまう。よっぽど裁判官という人種、自分たちの嘘や誤魔化しが通用すると思うらしいが、科学の時代にその科学を理解できない自分たちがどれだけ馬鹿なのか、自分たちでは分かっていないらしい。

前置きが長くなったが、またしても鹿児島県警、やらかしてくれている。自分たちに都合の悪い証拠物件は捨てたり隠しているらしい。おおよそ人の人生を左右しかねない証拠類を紛失とか破棄などするようなこと重大違反として重罪に問われなければこういう事案はなくならない。

私の事案は交通事故で自爆してきた人物を助けようとした、この部分が抜け落ちて、単に言い逃れをしている人物として私は地域社会でもバッシングを受けているが、鹿児島の件は強姦罪という破廉恥事件であり、そのバッシングは私の事案など及びもしない大変なものだと思う。

幸い、御両親が信じて支えてくれたそうだが、私など古くからの友人知人などから、「相手に済まないと思わないのか」「反省する気持ちはないのか」等バッシングを受けて多くの人物が去っていったが、さて、冤罪が晴れたとしてこの被疑者、以前のように友人知人と関係修復できるかと言えば、そうはならないだろう。

警察発表や新聞紙に住所氏名が載るとまず、犯人と決めつけられて、当人の言い分など全く無視。冤罪が晴れてもそれが遡って新聞紙上で訂正されることもない。

ついでに言えば、警察もだが、検察、裁判所も全く反省がないどころか冤罪を無くすと言うより自分たちのガードを固める動きが最優先。決して縄付きが出ないことでも明らか。

しかし、こういう事当たり前になっている現在、冤罪など発覚しないとか、無実の人間を罪に落としてもたかが知れている、そういう感覚で、今日も司直連中は国民を下に見ている。

泥棒警官達のせいで寒さが身にしむ [日記]

この冬一番の寒さという今朝、母の通院で医者に行ったのだが、この医院の周囲、昨年のいつ頃からか数カ所で道路工事が行われていて、四方八方からアクセスできる筈の場所が全部通行止めになっていたので、予約の時間の30分前という余裕が余裕でなくなりそうで、突然、こういう事があると、そういう事を見込んでいてさえ少しばかり焦る。

たいした距離ではない中、今冬初めての暖房を入れておいたのが、医院周囲で思ったより手間取ったために、車の中もだいぶ暖かくなったのだが、医院の中は診察待ちの人で溢れるので、いつものように車の中で待つ身としては車の中が暖かいのは歓迎、そういうところだろうか。もっとも駐車場でのアイドリングはできない。

しかし、今朝の寒さは、暖房無しで済む寒さではなく、暖かい格好をしてさえ膝掛け程度では、じきに寒さで鼻水が出てきそうな冷たさが足元と首筋から忍び寄ってきた。いや、当地の寒い時にはそのくらいになること、長年の経験で分かっていることなのだ。

だから、こういう事もあろうかと、私は以前から冬季は車に毛布を入れておいたのだが、事故当事車両が警察に押収されている間に毛布や父親の形見の折りたたみ式のチェアーが車内から警官に盗まれた、その事があって以来、車の中は淋しいものだ。

新たに買う金も惜しいのだが、そういう行為自体腹立たしく気分的に、買えないのだ。
今朝は予約診療の筈だったのだが、母親の診療が終わるまで1時間半近く掛かった。おかげで体がすっかり冷え込んで風邪気味になってしまったのだが、帰りの車中で盗人警官の話についつい話題が行ってしまった。

善意で人を助けようとした人間を罪に落としたり、人のモノを平気で盗むなどおおよそ一般庶民などよりも性質(たち)の悪い人物達が大勢庶民の味方です風を装って我々の税金で暮らしている、この構図、皆さんのどれだけがわかっているだろうかと思うのだが、こういう警官達は決して特殊でもないし、皆さんの周囲にいる普通の警官が、こういう人物達である事、本当に恐いと思う。

いや、もっと恐いのは、屑人間達が唯我独尊で次元の低い事を主権者たる我々に強いている現実があることだ。役人と関わると本当に後から後からおかしな事が出てくるのだが、日本人とはこれほどレベルの低い民族だったのかと思わされるのだが、いやいや、日本人が、ではなく日本の役人の意識が低い、ただそれだけの話なのだ。

役人が率先して人のためにとか平和のためにとか、そういう事で行動したり、そのようなシステムを作ってきたという歴史を聞いたことがない。ただただ、ひたすら自分たちの懐に金を入れるという自己への利益誘導の事しか聞こえてこないのだが、泥棒警官達の行為やそういう事が全く摘発もされていない現実を見れば、役人など信ずるに足らない存在、いや必要最低限に数を絞らなければいけない存在、そういう事ではないだろうか。

早くも災難 [日記]

日本の技術者達の劣化を叫んでから久しいが、今年も早々にその洗礼を浴びた。

年の暮れにテレビのメイン電源のスイッチが壊れた。
いや、電源を切ろう、そう思って押したら、押し込んだところから戻ってこない、即ち電源が入りっぱなし、そういう現象になったのだ。

まあ、コンセントのところで抜き差しをすればいいか、そう思って、このくらいのトラブルで修理するのはもったいない、そういう考えの元、実際には待機状態という電源が入ったままで半月ほど使っていたのだが、年明けの三が日、十分にテレビは楽しんだだろう、そのように神様が思ったか知らないが、知らぬ間に音声が消えていて、その後、音声と映像が入ったり切れたり安定しない状態になり、その後、さらに内部でカチカチという音が不定期にするようになった。

リモコンでスイッチを切って待機状態にしても勝手にカチカチやっている。そのうちにボンッだの、少しヤバそうな音がしてくる。

というわけでメーカーの電気屋さんに連絡。今、修理待ちの状態だ。
ならば、ブログの更新でも、そう思ったら、年末年始にインターネット接続と電源ケーブルを外した影響か、いきなりバッテリー劣化なる表示が飛び込んできた。

いや、これもAC電源で使用していけば問題はないはず、そう思っているのだが、テレビと同様、さらに重症になる問題が潜んでいるだろうか。
既にあちこち問題が出ているパソコン、さらにこういう表示が出てさえも使い続けていいのかどうか。

いや、私を冤罪に落とした裁判官達のおかしな判断を糾弾する大事なデータがいっぱい入っているのだが、バックアップしようにも我が家、寒さ、暑さが半端ではなく、記憶メディアも信頼性が落ちるのだ。

技術者もどんどん質が落ちているのか、企業が消費者を見くびっているのか、いやその両方なのか、いずれにしても使用する製品の信頼性がこうも落ちるとこういうものに頼らない社会になっていかなければストレスが溜まるばかりだ。

つまり文化的生活などと言っても決して人間の心を癒すものではない、そういう事か。

あけましておめでとうございます。 [所感]

遅ればせながら、新年のご挨拶です。

年末年始に訪問できなかった方も含めて改めて新年のご挨拶です、などというよりも大きな衝撃が走ったのが北朝鮮の水爆実験でしょうか。

いやはや水爆などという言葉、久し振りに耳にしましたが、原爆がTNT火薬換算数キロトンから数百キロトンという規模に較べて水爆はメガトンというレベルであること、子供同士で風船などに水を入れた爆弾を投げ合って、俺のは5メガトンだ、いや俺のは10メガトンだ、などと言い合った遊び以来ではないかと思います。

その規模から水爆が核戦争であってさえ現実的でないとして、核大国でさえ水素爆弾の配備などを戦略の核には置かなかったものを、量的劣勢をカバーできるとして北朝鮮が手をつけたのでしょうが、事の真偽は別として、ここまでの暴走を許してきた中露の責任は重いと思いますが、その他大勢と同じように非難するだけで済ますのでしょうかね。

しかし、こういうレベルで政治をやっているのを見れば国の首脳といってもどれだけレベルが低いか皆さんもわかると思うのですが。

自分たちは核保有をしていて、他国の核保有や核開発を非難する核保有国の身勝手さも私達は監視していかなければなりません。

まずは、自らの核保有を恥じて、廃棄してからではないでしょうか。いやいやそんな事をしている時間など無い、などと言えるはずもありませんね。核配備からでも相当の年数が現核保有国にはあったのですから。戦争抑止力などといっても実際に広島長崎に使われているし、保有している国自身が戦争行為をしている礼はベトナムアフガニスタン、湾岸戦争等枚挙にいとまはありません。

非難とは何もしないことと同じ、そういう気がします。これまでも北朝鮮の核開発に対しては国連決議なるもので非難してきたはずであるのに、何ら状況が改善したとは言い難い。

人類の平和と発展よりも自国、自民族の利益優先の国ばかり多いのは、一般市民レベルよりも政治をあずかる、その国の指導者達の自分たちへの支持を確保する、いわば手前勝手な保身優先の政治しか行われていないからではないでしょうか。

どなたか、私を首班に担いでくれないでしょうかね、人類平和の為に。これが今年の私の夢といえば夢でしょうか。
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