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Red river valley いやRed valley いやいや赤い谷いや‥ [日記]

小学校? いや中学校だったか赤い河の谷間なるタイトルの歌を習ったと思うのだが、赤い河ならぬ赤い谷間、いや赤い谷、いやいや赤いダニの話をテレビで聞いたのだが、他人事ではなくなってしまった。

 掃除をしているときの別の部屋でのテレビの話だったので、細切れだったがマンションだかの貯水槽に赤いダニが入り込んでいる話、聞くともなしに聞いていたのだが、我が家、外壁の塗装で、家の周囲の清掃ができず、工事が終わるまでと、じっとしていた。

 ところが、飼い猫のブラッシングを外に置いてある椅子の上で夕方にやるのだが、ある時、ブラッシング前にその椅子の上をチェックすると、点々と赤い小さなものが散らばっている。

 そこで他のものをチェックすると、全てのものが同様な状態。100人乗ってもまだ大丈夫なる物置など鉄製なので日差しでとんでもなく熱い。その物置の壁にもいっぱいついているのだから、こいつに弱点はないのだろうか、そう思うのだが、植物にも集っている。

 つまり例外はないくらいにひっついているので、どういう薬剤がいいのか、そういう事も考えなければならないのだが、貯水槽に入り込むくらい今年は大量発生しているという事だろうか。

 不幸中の幸いで、噛みつかれることはないようなのだが、植物の活性液で溺れ死にさせても後から後から湧いてくるので、元を絶たなければならないのだろう。この先、毎年というか年々、連中が増殖してくるかと思うとうんざりするのだが、皆さんのご家庭ではどうしているのだろうか。


政治家と良識 [政治]

少し前のブログで橋下徹氏が司会しているテレビ番組での前とか元知事経験者たちの言動についての感想を書き、その中で橋下氏が一番庶民感覚に近い発言をしたと書いたと思う。

だが、例えば、政治家で叩いてホコリの出ない政治家などいない、そういう政治とか政治家全般についての彼の発言は、それを肯定する姿勢が見られる。本人は、自身について、しっかり説明できる形をとるように是正したり役所の事務局と話し合って、対応したと言っている。

自身が、それが対応策として良い、そう思ってしたのだったら、そういう話をするべきだし、既成政治家の今の姿を肯定するような話をすべきではない、そう思うのだが。

舛添要一氏の政治資金の使い方について、いい事ではないが法に触れない、そういう中で、家族旅行が会議費名目で経理処理されていた問題は、政治資金規正法が政治家の政治資金として収入が賄賂というケースがある場合を想定して、入りに厳しく、出にザルであるという事、政治家が賄賂を贈るというケースを想定していないので、出費名目に関して大雑把、そのような感覚で成立している。

項目一つ一つに関してあまり細かいと、本体である入りを厳しくする法律としての成立が危うい、そういう事であって、だからと何にでも使っていい、あるいは名目と内容が大きく異なっていい、そういう事ではないはずだ。

特に、政治家の個人としての出費を政治資金で賄うのは政治資金規正法での出費名目が制限されていない、そういう事を利用して行ってよい、そんな事は市民の誰もが思わないし許容しないはずだ。

つまり法律に書かれていないから、やっても良いとか、法に触れないからごまかしていい、そんな基準で考えたり、やるような人物が、そもそも政治家になること自体がおかしいのだ。

役得、あるいは、その地位を利用して個人の利益を図る、そういう考えの人物がなってはいけない職業が公務員であり、政治家なのだ。

それを叩いてホコリの出ない政治家などいない、だから政治資金規正法の話をあまり出すなとか、うるさく言うなというのは、論点が異なる。

政治資金規正法に一事が万事、記述すること自体大変だし、やれという方が無理だろう。だが、逆に、書いていないからこそ、良識をもって判断、行動してほしい、そういう事ではないのか。

政党交付金を受け取っていない政治家もいるが、多くの国会議員は政党交付金という政治活動のための国民から負託された税金を交付されている。それは政治家が個人の蓄財のために交付されているのではなく、国民のための政治活動にかかる費用として交付されている。

こういう事を全く理解できない人物、それが今のほとんどの政治家なのだとしたら、そういう政治家、全員辞めてほしい。法律に書かれていなければ何でもやっていい、そのような良識のない政治家を我々庶民の代表に選ぶ気はないし、そんなくだらない連中が税金から俸給を得てよいのだろうか。

国家財政が苦しい、そう言っているときに、舛添要一氏のような政治資金での財テクまがいの美術品購入がまかり通るなど、庶民には信じられない話だと思う。立つ鳥後を濁す、そういう事であってはならないと思うのだが、彼は最後まで自公という政党しか見ていなかったように思う。

では、その自公を含めて国会議員はどうかというと、議員も痛みを伴う改革をするという、訳の分からない話の中、議員定数削減(こんなもの改革でも何でもない)などと言うほとんど何もしない話や、歳費の大幅な削減もせずに、庶民がうらやましがるような待遇で庶民を睥睨している。

その国の民意を図るには議員を見ればわかるという意味では、日本人は大バカなんだろう、そう思う。

「お代官様,なんでこんなに年貢が厳しいのかのう」米のご飯をお粥にして食いつないでいる農民が年貢について訴えても
「お上の米蔵が空っぽなんだから、お前たちがもっと年貢を納めるのは当然の話だ」そう答えるだけで、自分たちは贅沢な暮らしをしている代官や役人たち。

極端な例かもしれないが、側面から見れば日本はこんな国かもしれない。世襲の支配者と黙って税金を納める庶民。こういう構図が見えない日本人は政治というものの本質がわかっていない。

アベノミクスの景気回復って「片腹痛いわ」ってレベルじゃないの? [政治]

舛添要一氏の件でサミットの話、いやアベノミクスや消費増税の再延長の話も飛んでしまったが、さて、今の経済政策で日本は本当に良いのだろうか?

安倍晋三は民主党政権時代のGDP他を引っ張り出しては自分の政権でこれだけ良くなった、そう言っていますが、指標などは一部対象を限定すればいくらでも自分に都合のよい数字を示せる。

実はサミットの時に、安倍晋三が急にリーマンショックの前と現在が酷似している、そんな話を持ち出してきて、誰もがその付け焼刃の話の行きつく先に思い至ったと思う。消費増税再延期が出た時点で、やっぱり、そういうことだったが、これって舛添要一の家族旅行が会議費名目で政治資金処理された、その時の会議相手として同席したとされる人物、つまりアリバイ工作と似ていないだろうか。

政治家というのがこういうレベルで政(まつりごと)をやっているのが、悲しくなってくる、そういう事なのだが、しかし、現実に彼らの低次元の政治でしわ寄せを食う人たちがいれば、悲しい話、では終われない。

安倍晋三がアベノミクスを引っ提げて再登場した時に欧州出張でアベノミクスがもてはやされて現地で政策に取り入れたいからと色々、その問い合わせ、つまり方法論など質問があった等、話題にされた。もっとも、今では誰も見向きもしないが。

円安主導で景気回復、そういう事だったのだが、さて、そういう日本のGDPは伊勢志摩サミット当時1%前後のところをうろつく程度だったのだが、他のサミット参加国の概ねは3%前後。

井の中の蛙で、民主党政権時代のある部分を切り取った指標と比較する話ばかりをしても、そんなもの海外諸国から見れば参考にもならない。だからサミットでも日本の経済政策など話にも上らないどころか、あまりに見え透いた目論見だったリーマンショック直前時と酷似しているなどという現在の話など、誰も同意する話でもなかった。

こんな話、通用したとしたらバカじゃないか、そう思うのだが、自民党だか日銀だかでは通じたのだろうか。

消費税を上げるような経済環境にない、それは多くの人がわかっていると思う。それでも上げなければならないのか、どうか、という事だと思うが、似たような経済環境の中、強引にそういう話をし、前に進めたのが菅直人、野田佳彦という民主党政権時代の首相だが、海外投資家の信用を得たのはむしろ、彼らだったかもしれない。もちろん、私はこの民主党の二人の首相はバカとしか思えないと酷評している人間だが。

円安主導と言いながら今、円高にシフトしてしまって、政府として経済政策は手詰まり。マイナス金利などという禁じ手も金が必要でない産業界、いや実業の世界を崩すことはあっても生かすことにはならない。

むしろ金利が低い分、投機に動くファンドなどは調達資金が安い、と実体経済を悪くする方に動かないか、その方が心配である。必要もないのに色々うまいことを言って金を借りさせたバブル時代の銀行の事、思い出す人物は日銀には居ないのか。

この金でマネービルをしようと投機に動くことはあっても投資として実業が伸びることはない。

雇用についてよくなったなどと安倍晋三は言っているが、円安主導で輸出型企業が潤い、その金が従業員にも回って、それが日本経済を活性化するなどというどこかで聞いた話(もちろん竹中平蔵の、自身でアベノミクスなどうまくいかない、と明言した、本人がやったことと同じ内容を否定)も当然のところに帰結する。

さて一般論に終始するつもりはないので、自身の生活に影響する話で言えば、円安で何が潤ったかと言えば、特筆するものは何もない。ガソリンが100円を割るスタンドまで現れたという、円安の話の反対の話(需給で供給は多いのに需要が不景気でどんどん下がったという話)が、たまたまだが、円安時に安くてよかったという話で、これが空前の景気などという話だったら、ガソリンは200円に迫っていっただろうという、まあ、アベノミクスにリンクしなくてよかった、そういう話くらいだろうか。

猫砂がどういう影響があるのか、と思うのだが、容量がどんどん減っていっている。猫のエサも量が1割カットで値段は2割上がっている。ペットは人間と比べれば亜流なので対象の大きな人間のエサはというと、いやいや、これは量が減る値段が上がるなど全てと言っていいほど天候に左右される生鮮野菜を除いて、当たり前のようになっている。

多くは輸入原材料から加工するので円安になれば当然、前の円では買える量が減るのは当たり前で生鮮野菜だって温室で暖房用燃料を使用しているものは燃料費が上がったり、庶民が苦しむ分、輸出型企業は売価が下がって競争力が増し、より販売数量が増えた、とか儲けたという話。

そしてその輸出型企業の内部では一般従業員に還元されるよりも多くの金が内部留保や経営者たちの懐に入っている。経営者と言っても見るべき経営を行ったわけではなく、単に円安主導で企業が潤っただけ。

その証拠に自動車と並ぶ輸出型企業の雄であるべき家電業界ではシャープが身売りし、東芝が巨額の赤字を抱えて将来が見通せない状況になっている。単純に円安だから輸出型企業が儲かるなどと経営力のない企業までもが潤えるという事はない。

であるにもかかわらず、ほとんど能力のない経営者達に金が渡り過ぎていないだろうか。自社も含めて社会とか従業員に対する責任を感じているとは思えない企業経営者の話が多すぎる。付け加えて言うが、日本の生産性(労働生産性)は先進国の中でも目立って低い。

私の経験では、私よりも年長世代の一線の技術者あるいは生産現場では日々大変な努力をしていたし、私も世界一の仕事をしてきた、そういう自負のある内容から、決して労働生産性が低いなどと思っていなかったので、日本の労働生産性が低いなどという事、聞いた時には信じられなかったが、今やますますその傾向はひどくなっている。

これって都知事として何もしなかった舛添要一氏が庶民には考えられない報酬を都知事として手にしたことと同じ構図ではないだろうか。都知事という職に就くことが目的であるかのような都知事就任後の舛添要一氏だったが、自身が都民にその能力によって都民に余人では提供できないサービスを提供することによって都民の血税から報酬を得る、それが筋だと思うのだが。

多くの政治家が、上述のような基本的な事すら考えられない日本の政治風土、私には考えられない。私? 私だったら自身のプライドがあるから世界の歴史上誰も考えられない政策で、より、社会の進化と幸福を実現していく道を歩みますがねえ。

まあ、私の出自を知らない皆さんに、こんな話をしても自慢話程度か、大風呂敷を広げている、あるいは嫌味な奴、そのようにしか取られないので、この話は、これでやめますが、まあ、日本の公というもののレベルの低さには辟易しています。

話戻りますが、失われた10年という日本の経済の停滞期、日本の内外から何と言われていたか覚えていますか?
内需主導の経済構造とか内需拡大の政策を打て、そのように言われていた事。特に外国からの圧力は大きかったのですがねえ。

これが構造改革とか規制改革というものにつながった筈なのですが、これらが目的ではなく、内需拡大つまり日本国内の産業活性化によって再び経済成長を促す、そういう事だったはずなのに、リーマンショック等でいつの間にか手段で終わってしまって、その過程の段階で格差ばかり広げてしまうという、これは経済政策の大失敗ではないでしょうか。

約束したステップの消費税増税かできなければ経済政策を失敗した、そういう事です。

選挙の時に経済の安倍みたいな、うまい事ばかり言って、自分が約束したことができなければ職を辞する、これ政治家としての最低限の信義ではないでしょうか。

しかし、経済の安倍などと言うのは表向きの虚言であって、本当は憲法を自身のプライドの元である岸信介の考えに沿ったものにしていく、あるいは岸信介が戦犯である事の払拭、それだけでしょう。

過去の安倍主導の選挙後の政治の内容を見れば一目瞭然。こういうことわからずに、それに乗っている日本人が多すぎるというのは日本人、バカなんですねえ。

ところで軍事に力を入れている安倍晋三。戦争が起こったら、戦費を賄うべき戦時国債での資金調達時に今の日本のような大きな財政赤字を抱えている国の調達費用がとんでもなく大きくなる事、わかっているんでしょうか。

戦争をすると金がかかる、その金は国内だけでは賄えず、戦時国債発行等で外国から調達しなければならない。莫大な財政赤字を抱えている日本は、実質、戦争などしちゃあいけない国なんだという事です。

とは言っても、そういう向きもあるでしょう。そうなんです、あのあほバカ中国、なんて言うとヘイトスピーチに認定されてしまいますが、どんだけ人の神経逆なですりゃあ済むんだ、という事ですが。

これ、中国の政治を握っている共産党政府と人民解放軍がやっている事。方や強気の政策をとっているのも日本政府。

何のことはない、政治家とか国の政府とか、そういったものが絡めば不要な戦争で国民が苦しむだけで政府要人や軍幹部は顔だけ装っておけば、何ら被害者にならない。

こんな連中を頼っているんじゃ、人民は不幸です。では、どうしたらいいか? ここから先を聞きたい人はお金を払ってください。
こういう、さあこれから、という話の続きでお金を要求する話、最近インターネットに増えた気がします。

こんな話でお金を取る気はありません。ただ、正解は私が政権を握ったときに出しましょう。

でもアホバカ日本人には、大事な話、すればするほど寂しい結末につながっていくので、本気で政治のことを考えるとストレスで入院ものです。日本人が正しい方向がわかっていないのは戦後の日本の動きを見てもわかるのではないでしょうかね。

これだけ書いても炎上しなければ日本人、問題意識なさすぎと思う。

すぐにメッキが剥げる

“厳しい第三者の目”
 もちろん、多くの皆さんは、この言葉をご存じだろう。現知事である舛添要一氏が、各種報道されて疑問や不信を招いた事柄に対して、自身は直接答えずに第三者を通じて自身の延命を図ろうとして語らせるべき第三者としての人物をこの言葉で表したものだが。

 さて、では、実際に舛添要一氏が報道陣やテレビを通じての都民に対して言った内容が、”厳しい“とか”第三者“とかいう言葉で語られた人たちによって、相当するものとして出てきたであろうか。

 多くの皆さんは、上記の事、舛添要一氏に関しての疑問の内容そのものに関心をもって、どう語られるのだろうか、そういう目で見ただろうと思う。

 だが、私は違う目で見た。元検事の弁護士。舛添要一氏も検事とは有能な人物、すなわち捜査能力も検証能力、調査能力も秀でている、そういうものを表す意味合いをもって“元検事の”弁護士、そう持ち出したのだろう。

 “厳しい”という形容、これはある意味当たっているかもしれない。しかし、事、検事についてのこの意味合いは、単に性悪説に立った、人を疑ってかかる事しかできない、職業病による、そう言い換えていい言葉にしかならない。しかも全てについてではなく、都合よく、という但し書きが入る。

 現に舛添要一氏の事案について記者から質問が出たもの、つまり会議に出席したとされる人物について、舛添要一氏を本当に疑ってかかっていれば、とことん裏付けを取っていただろう。だが、それはしていない。

もっとも、検事という仕事ぶり自体がそういうもので、仕事振りがザルであっても、無能な裁判官というコンビがついて回っているので起訴事案では99.9%という、仕事としてはほぼ成功という形になっているので、ああいう仕事振りだと思ってもらった方がいい。

 つまり一般人から見れば、とても第三者とは言えない、そう思える内容でも、検事という仕事では、権力を使った強引な手法で済んできた、そういう事なのだが、果たして、こういう事どれだけの人が気付いただろうか。

 もちろん、郷原伸郎弁護士のようなヤメ検と言っても検事であるとか法であるとか本来のことをわきまえた仕事ぶりをしている人物もいるので、検事やヤメ検全てがそうだとは言わないが、おおよそ世間が信じている検事という事とは違う、実態を表した人物が舛添要一氏の依頼を受けたヤメ検弁護士だった、という事だろう。

だから記者とのやり取りの中で検事時代の姿勢がすぐに出てしまったが、そういう事、皆さんは見て取れましたかな? 自身が突っ込まれることなど検事時代はないから、自身の調査が至らない事を突っ込まれるとすぐに感情的になって自身を正当化する言葉ばかりが出てしまう。

 舛添要一氏が元検事の弁護士などと出してきた時点で、自身が内容でなく単に権威主義的な生き方をしてきた、そういうものを露呈させただけなのだが、こういう事をやっていること自体姿勢を改めてなどという言葉と裏腹なのだが、本人はあまり気づいていないだろう。まあ、舛添要一という人物自体がこの程度だという事、実際に接触を持った人たちは気づいたと思う。

ところが、自民党が野党時代には多くの自民党国会議員がそう思わずに首相候補ナンバーワン、そうなっていたというのだから、今の自民党国会議員自体がたいしたことはない、そう言い換えてもいいかもしれない。

 もちろん、後ろ足で砂をかけるようにして自民党を出て行った事、それを忘れていないという自民党議員も多いだろうが。

私は自身の裁判の経験で、法曹界にいる連中がいかに低能で見識が低く人間としても最低であるか、よく知っているので、舛添要一氏の厳しい目で見る第三者なるものが検事経験者なる修飾がついた時点で、まあ鎮火することはないだろう、そう思ったが、権力に守られて強引な仕事をしてきた役人連中をこういう場に連れてきても役には立たない、そう思う。

舛添要一氏の、依然、上から目線を単に証明する第三者であった事、多くの人に露呈しただけではなかっただろうか。検事時代、通称“まむし”という枕詞がついた、そういう評判でも、どれだけ本質からかけ離れた仕事振りかは私があえて言うまでもなく、多くの皆さんが感じたことだろう。

検事も裁判官も、権力をかさに着ただけであって、実は全く能力のない連中なのだが、まあ、こういうものを利用すること自体、本当に都民のことを考えているとは思えなかった、現知事ではある。

オバマ大統領の広島訪問 [報道]

オバマ大統領が現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問するという事で色々論議があった。
 日本のそれも原爆に被災した人や家族は謝罪の意思を伝えてほしい、そういう思いが強いと言い、一方アメリカ側では、特に米軍として戦った元兵士の大勢は原爆投下が正当な軍事活動であって、オバマ大統領の広島訪問が謝罪ととられることを危惧しているという。

 ふだんソネットのブログを見ていると、違うなあ、そう思う内容のブログをよく見るので、逆に言えば、私が書いていることに異論を持つ人たちもかなり多いと思う。それを承知で書かせてもらえば、前述の話、そもそもどうであったのか、そこからの話ではないか、そう思うのだ。

 このブログを読まれてる方は私が警察官や検察官に嵌められて罪に落とされていることご存知と思うが、その程度でも私は彼らをこの私の拳で撲殺したい衝動を抑えられない。つまり私が広島で原爆投下の被害に遭ったとして、その時に私に反撃する力、すなわち核のボタンを押せる状況があれば、当然押しているのではないか、そう思う。

 つまり当事者には第三者にはわからない、それほどの思いがある、そういう事なので私がここに書く事、被爆した人たちの神経を逆なでするかもしれない。

 謝罪? 戦勝国が敗戦国に謝罪する、そういう事はないだろうと思う。まして国家として決定した作戦遂行上のことであればなおさらだと思う。

 謝罪という話であれば、私も長く誤解していた、無差別爆撃、それを行っていることと繋がるのだが、これは広島、長崎に限らず、いわゆる東京大空襲というものが軍事拠点というよりはむしろ民間を対象にしたとしか言いようのないナパーム弾攻撃が主であったことなどから、これらが当時の国際法でも違反している、こういうことだろうか。

こういう事、戦後、日本は全く問題にしていない。日本本土空襲が行えるようになってからアメリカの担当司令官は軍事拠点だけに爆撃対象を限っていたもの、米軍内で生ぬるいとして、この立派な司令官は更迭され、無差別爆撃を行った後任の司令官は米軍内で評価されたという。

こういう国の作戦だから、当然おかしなこともあったと思う。つまり戦勝国であっても敗戦国に謝罪しなければならないもの、ということなのだが。

しかし、公平に見てみよう。では日本は誰にも非難されないような戦争をしていたのだろうか。もちろん、中国のようなあらゆることを自国に都合よくねつ造する国の話など一顧だにする気はない。だがしかし、しかしである。日本も中国国内で重工業地帯への無差別爆撃は行っている。

原爆という事に限ってみよう。アメリカは一方的に非難されるような戦争をしていたのか? たぶん、たぶんと書いたのは私がその当時に生きていたわけではないからだが、戦史を事細かく見ていった人は皆ご存知だと思うが、戦争は兵器開発競争の側面がある。

そして原爆もどちらが先に開発したかという事であって、その開発競争に日本が後れを取った、たったそれだけのことに過ぎない。日本が先に原爆を持っていて、だが、使用した時の、その重大さに使用をためらった、そういう事実があれば相手に謝罪を要求する、そういう事もおかしくはないかもしれない。

 だが、日本は後れを取った、たったそれだけの事。もし謝罪を求めるならば、それは同じ日本人をこういう悲惨な目に導いていった政府、軍人、財閥そういうところではないだろうか。

原爆がいきなり落とされたわけではなく、それまでに降伏勧告がなされたり終戦に向かって将棋で言う詰めの動きがあったものを全く感じ取れない軍人や政府関係者だった事、つまり戦争などやってはいけないレベルの軍人を野放しにした事や、本気で戦争をやめようと動かなかった政府関係者こそが謝罪を問われるべきだった、そういう事だろう。

 時の天皇陛下は国民に謝罪をしている。がしかし、天皇の意向を無視するかのように先走っては、事後承認させる形をとっていた大本営の連中他軍幹部や政府要人からは日本国民への謝罪がなされていない。

 日本の一番長い日という映画でお馴染みの無条件降伏受け入れの玉音放送のレコードを奪ってまでも戦争継続しようとした軍人がいることを考えれば、従軍していたアメリカ人が原爆投下を正当化するのも無理からぬ話ではある。日本軍兵士の犠牲者が多いとは言え、終戦間近の日本軍のやり方は捨て身の特攻作戦なのだから米軍兵士だっていつまでも従軍して命を落としたくはないだろう。
 
 結局、戦争は人を正常な状態でなくさせるものであり、いかに良識をもってしても少数派であれば、逆に国賊とされてしまうものでもあり、両国民にとって不幸なものであった、そういう事ではないのだろうか。

無責任だねえ [政治]

舛添要一都知事の問題で、都民の99%は現知事に辞めてほしい、そう思っているのだが、やみくもに辞めろ、そう言っているのではない、という事らしい。

 私などはごちゃごちゃ言っている間にやるべき事やれる事がタイミングを逸してしまう、そう思って、さっさと新しい知事を選出した方がいい、そう思うのだが、都議や都民の中に政略的に参院選にかかってまずいとか、あるいは次回が東京オリンピックにかかってまずいなどの話、いや、新たに選挙をすればまた税金から50億もの出費になる、そういう事まで考えて舛添要一氏の今すぐというタイミングでの辞職には躊躇する話になっている。

 私自身は、敗者復活を認めないような寛容性のない社会を求めるものではないが、だがしかし、この件はそういう事とは性格が異なるものであり、都民のためになる都政を預かる都知事としての資質という意味でもう既に十分に不適合というものを見せているのだから、本人も辞める決断をすべきであり、それを推薦した自公両党は引導を渡すべきである。

 事ここに至って辞めさせるタイミング、すなわち政略的な参院選との兼ね合いであるとかあるいは次回の都知事選のタイミングが悪いなど、自公が言える立場であるだろうか。

 最近は、当たり前になってしまったので、あまり世間に出てこないが、製造者責任という言葉がある。メーカーなどがその製品が欠陥品だったり、その製品で問題などを起こすと一気に信用を無くすのだが、それを法的に規定したものがいわゆるPL法でメーカーが製造物に責任を持たされているのだ。

では、舛添要一氏を都知事という製造物として作った製造者の責任は、どこにあるのか、と言えば自公両党だろう。
 だったら自公両党に製造物責任としてイレギュラーな都知事選が発生することになった、その責任を取ってもらえばよい。つまり都は自公にその選挙で発生する費用を請求すればいいんじゃないの?

多くの選挙で、公認とか推薦とか安易に出しているケースを見るが、そんなもの安易に出すものではないし、前述のように欠陥品であれば当然連帯して責任を取るべきもの、そう思う。私からすると、どうも政党には、そういう覚悟がないような気がしてならない。だから選挙民のことを優先して考えずに党利党略で考え、今すぐだと候補者が見つからないとか、なんだろうか、そう思ってしまうのだ。

 過ちを改めるに躊躇するなかれ、ではないのか。

信用ができない [日記]

信頼できない、そう言い換えてもいいかもしれない。
 最近、パソコンのトラブルを別とすれば、多忙ながらも何とかブログの更新が軌道に乗りつつあったところで、我が家の外壁塗装工事が始まった。

ガス会社から埋設されているガス管が古いタイプなので新しい素材のガス管に交換してほしい、つまり交換工事の必要がある、そういう知らせでガス会社の方に工事費用の見積もり依頼をした後、外壁塗装をすることになったので、当然、あれやこれや対象部位を省いての工事依頼である。

 以前の私なら、任せっぱなし、そういうところかもしれない。しかし、父親が亡くなって後、母親が私の反対を押し切って某著名建築会社代理店を名乗る業者に騙されて以来、家がらみの業者、その一挙手一投足を監視しなければならないのだ。

 業者の職人からすれば、やりにくい発注主であるかもしれない。しかし、最大限の配慮をしていてさえ、避難させておいた新車を車庫に戻した途端に傷つけられたり、またそれを白を切るなど、どうにも工事関係の人間に特定しなくても信用できない人間の多くなったことか。

 という事で、業者が我が家にきて、工事の段取りをする時点からその日の仕事を終えて帰るまでずっと監視しているのだ。当然、暑い日差しの中、立ちっぱなしなので作業をしている人の方が楽なのではないか、時としてそう思う。

 しかし、屋根に上って瓦を踏み抜いたり、壁をへこませたり、あるいは思わぬものが紛失していたり、プライべートでの発注は、色々な事が起こる。はっきり言って家のメンテナンスがメンテナンスにならない、これが日本の住宅の現状ではないかと思う。

 人が関与すればするほど家が傷む。逆に言えば、できるだけメンテナンスフリーの家を建てることを考えた方が維持費が安くそして家も長持ちする。

 ところで、職人さんの腕とか、段取りとか、そういうもので、“さすが”と思わせる人もいるので、監視のような行為はさぞ不愉快だろう、そう思う気もある。だが、私ならもっと丁寧な仕事をするとか、仕上がりにまずいことの起きないやり方をするとか、そう思ってしまう業者も多いので、これは金を払ったから、あとはしっかり仕事をしてくれればいい、そういう事が通用しない、町の中小業者を相手にするには、必然のことだと自身に言い聞かせて、無事工事が終わるようにと祈る、監視の一日だ。

 元が父親の建てた家なのであまり関心がなかったが、もう相当に傷んでいる。であるから、かえって維持、保守を丁寧にしていかなければならないのだが、今回も元請けが大企業ならではの、きめ細かさのない、一般的な受注に終始していたのだが、結局は、こちらが色々、気を使わなければ大枚はたいてどんどん寿命が短くなる。

工事の監視をしながら上記のこと色々思うのだが、自分たちの懐から出る金なので、当然、それなりのことをしてもらわないといけない、そういうところ、実は税金として支払っている金の方、どうだろうか、そういうところまでつい頭が回ってしまう。

関心を持ってもらわない方がいい、これが行政側かもしれないが、いやいや本当は、税金の使途にもっと関心をもって、行政をよくする方に発言してほしい、これが本来の行政側のあり方であるし、また、そのためにも税金の使途がよく見えるように会計報告がされるべき、そのように思い、またその実績を見せてくれる行政マンが出てこないか、そう思うのである。

 現状がそうなっていないから、やっぱり行政は信頼できない、そう思ってしまう。

何だか変だね、知事とか都知事とか‥ [所感]

テレビ朝日の月曜深夜に羽鳥慎一と橋下徹出演で時事関係の話をやっているようなのだが、たまたま見るくらいなので番組タイトルも内容もおぼつかない話であることを前提に読んでほしい。

時の人という事で舛添要一という人物よりは知事あるいは都知事という方に焦点が当たっての話をしている、そういうつもりで聞いているのだが、ソネブロでの大勢は橋下批判派だろうか。

私自身は大阪維新の会の方向性や自民党の補完勢力のような動きに共鳴するものではない。このブログでは過激に書いているが私はもともとおとなしい、その他大勢と仲良く楽しくやっていきたい、そういうタイプの人間なので、過激行動は本意ではない。

だが、一方で問題解決という意味では、八方美人で物事が解決しない事、よく知っている、そういう人間でもある。旧態依然の会社の中で変化を求めず、ひたすら個人の保身ばかりを図る奴が、自身の身が危ないとなると他人に転嫁しようとひたすら陰で動く。

まあ、こんな会社がよくなるわけないが、何故か今の日本、そういう企業が増えてしまったような気がする。企業社会がそうであっても自治体あるいは役人の世界は活性化して斬新なアイデアの元、目を見張る実績を出している、なーんてことはまず、日本ではないだろう。

日本と限定的に書いたのは、私自身が官庁でそのように国をリードするように動いている役人を見たことがある。もちろん日本ではない、からである。

日本でない国では役人が先端をいく仕事ぶりを示していても日本ではどうかというと、まあ、一般の企業の先を行くことは少ないのではないだろうか。

そういう中で、法には触れなくても倫理的にはどうかとか、そういうもので語られている舛添要一都知事の問題。自らの経験、見識と照らし合わせてという事だろうが、件の番組のゲストとして前とか元とか知事経験者の話を聞いていると地位にふさわしい待遇処遇を受けるのは当然、そういう感覚で話している人物が多かった。

まともに聞こえたのは橋下徹だけである。皆さんご存知の通り、著名な弁護士である橋下徹はタレント弁護士として働けばかなりの収入を得られる。大阪府知事や大阪市長の比ではないだろう。

だからと、法外な活動費あるいは公私混同を行ってよいなどとは誰も思わないだろうし、本人だって思わないだろう。それを、自分は高額の収入を捨てて府(市)民のために働いているのだから飛行機はファーストクラス、ホテルは高額のスイート、温泉地への行き帰りはおろか、宿泊費も公費で支払うのは当然、そう言えるのか?

もし言えるとしたら、選挙時に自分はこういう事をしたい、それが実現すれば皆さんはその恩恵を受けて今よりもより快適に暮らしていける、だから、その分、私にもその地位にいる間、贅沢させてほしい、そう訴えて、当選し、実績を出せば二期目、三期目と当選させてくれる、それが市民の答え、そう思う。

だが、知事経験者たちの話を聞くと、それ以前に私はあなた方と違う、あるいは知事職そのものがステータス、そういう感覚で、端から好待遇を受けるのが当然、そういう雰囲気なのだ。

もちろんゲストで来た知事経験者全員がそうとは言わない。だが、元都知事の石原慎太郎は、週に二、三回の登庁であるとか前都知事の猪瀬直樹は業務の根幹を把握しないとか、どういう仕事ぶりなんだろうか、そういう話が出てくる。

結局、都知事はお飾りでいい、そういう事なのか。また他の府県知事は中央とパイプがつながって交付金が来れば問題ない、そういう事なのか。

仕事をしなくてよい人物を知事に選んで高額の報酬を払うなんて民間企業ではなかなかできない事だが、そんな税金の使われ方をして何の疑問を感じないとしたら都民はバカこの上ない、そういう事ではないだろうか。だからこのところおかしな人物が都知事になっている、そういう事だろう。

知事を見ればその都道府県民の見識のレベルが知れる、そういう事なのだろう。評判が悪いようだが、橋下徹、税金から報酬を受ける知事という観点では一番まともなことを言っていたように思う。

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