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真剣に考えてほしい事 [司法]

今、政府が通そうとしている法案。
以前から何度も名前を変えたり、色々手段を講じて通そうとしてきたものだ。

その都度、猛烈な反対にあって廃案になってきたもの、それが何故、今、通ろうとしているのか。

もう、何度も書いているから、またかと思われる御仁も多いだろうが、私の事案、真剣に考えてほしい。

前方にいる(前方横断歩道横断中、と検察はしている。そんな事はなかったのだが)自転車乗車の人間に対してわき見をした私が制動操作を講じることなく自車右前部を衝突させて、自転車もろとも乗員を前方に跳ね飛ばした(7.1m前方へ)、と起訴されて、最終的にこの事が否定されることなく、最高裁で上告棄却の上、有罪確定となっている。

どこの世界に前方にいる相手に対して車の右側をぶつけられる人間がいるのか?
科学的に全くあり得ない、こんなことで人を罪に落としていいのか?

交通事故というと、あんたにも落ち度があったんだろうとか、相手が自転車であんたが車なら、罪に問われるのは当然だとか、多くの人は、内容など関心なく、一般的な構図に当てはめて、罪をひっかぶったって、たいしたことはない、などと見てしまう。

理系出身者の友人でさえ、漫然と裁判を見ていたくらいだから、多くの人は内容を把握することなどしないだろう。つまり、ひとたび、罪に問われれば、被告人という立場に置かれた人物は圧倒的不利な環境下で、ひたすら我が身の無実を訴えなければならない。

さて、科学的に、検察の嘘を暴いてさえ、罪に落とされてしまうのだから、今、政府が通そうとしている法律、通ってしまったら、どうなるのか?

何ら具体的な事実なしに、おおよそ印象だけで有罪に落とされてしまう。
これ、戦前の治安維持法そっくりだ、そういう話が以前からあったのに、今、そういう危惧さえも出てこない。一部、マスコミの人間が騒いでいるが、それが国民全般に伝わらない。

そりゃそうだろう。マスコミ自体がふだんからジャーナリズムとかジャーナリストたる自分たちの行動主張を国民全般に真剣に受け止めてもらえる行動をしてこなかった、その報いが、今、こういう形で表れている。

面白くもない能無し芸人たちの内輪話に終始する多くのテレビ番組や、一部の芸能事務所に魂を売ったかのようなテレビ・新聞の報道ばかりでは、まじめな話が国民に受け止められるわけがない。

まじめな話をしようとすると、「面倒くさい」その一言で話を遮られたり、「面倒くさい人」という形容で敬遠される社会では、必要な事が社会で語られない。結果、一部の人間を利するものばかりが社会でまかり通ってしまう。

今回の法案、戦後、何度も廃案となったり、通過させてこなかった先人たちの、経験からくる危機感を、今、私たちは台無しにしようとしている。つまり、無知無能を我々世代は実証しているわけだが、毎年3000人を輩出するという東大を頂点とした学歴社会が、社会の進化に貢献しないどころか、今まで積み重ねた文化までも壊していく事、わかる人がどれだけいるのだろうか。

東芝、困ったもんだ [経済]

ブログ、再開しだしたら途端に重症とも言うべきパソコンのトラブルが。おかげでインターネット接続だけで半日以上かかった上におかしな警告が。

これを見ると、やはりどこかで監視して何やら悪さをしているのがいるのではないか、そう穿った見方をしてしまうのだが、さて、どうなのだろうか。

まあ、お決まりの無能経営者による経営破たん、その典型とも言うべき東芝の危機なのだが、色々事業の身売りをして凌ぐらしい。

だが、結果としてどれが東芝本体なのかわからなくなってしまう感がある。

原子力事業を経営の柱に、そういう趣旨でアメリカのウエスチング社買収までは見かけ上、誰も異議を唱えなかったと思う。

私もかつてのウエスチング社の実力を知っていたので、悪くはない買収かと思ったのだが…。

東日本大震災とそれに伴う福島原発の事故は東芝にとっては予期せぬ事故であり、それについては同情の余地はあると思う。

しかし、数字合わせのための粉飾や子会社であるウエスチング社のコントロールができていないなどは、企業経営者として恥ずかしいものだ。

そういう事の結果として半導体事業の身売りをして負債の処理を考えているという事だが、半導体事業は、一私企業という観点で考えてほしくない。

産業のコメ、そういう観点で国策事業として半導体産業には黎明期から多額の税金がつぎ込まれて、多くの電子企業はその恩恵を受けている。半導体事業を手掛ける企業などは、直接的に支援を受けたと言って過言ではない。

そういう事業を赤字の補てんにと、国外企業に簡単に売っていいわけがない。こういうところが、社会の一員であるという企業のおかれた存在を認識していない経営者が多すぎる、そういうことに繋がるし、また、その認識をしていないからブラック企業とか社員を自殺に追い込む企業まで現れてしまう温床となっている。

経営者になってほしい人材を会社から追い出し、なってはいけない人物が経営者になっている、これが今の日本の企業社会ではないだろうかと思うのだが、過去に自分たちが受けた過分な報酬を返してまでも税金で育てられた事業を簡単に国外企業に手放してほしくはない。

国外企業への半導体事業の身売りをするような近視眼的企業ならば、国民としては、そんな企業に存在してほしくはないし、東芝バッシング、起きても不思議ではないと思う。なりふり構わずと言ったって、程度問題という事だ。できなければ、さっさとそれができる経営者に代わればいい。

性根の補足 [所感]

前のブログで全く無名どころか、いわゆる学歴のレベルでは劣等生ともみられている私が、首班を担うべきもの与えられたら、今の政党政治家など及びもつかないもの打ち出していく、そういう話の中に、裏付けとして日本の代表的なビジネスマンの親戚であること書いたが、これ、すなわち、性根としての話であり、単に血の話ではない。

私が持ち出した人物、封建時代に御用金を命じられて「ありがたくお受けしろ」そのように命じた人物に言われて、腸が煮えくり返った、とか。

御用金とは何ぞや?
幕府に金がないので、当座資金として、命じられた金額を幕府に差し出せ、そういう事であり、名目は借金という事らしいが、返却というあてのない金である。上杉鷹山が藩財政を劇的に改革したなどとして名君の呼び声が高く、また、そういう事の知識があると、偉そうに言っていた経営陣の人間なども知っているし、また、小説になったりしているが、彼もどれだけ商人から借りた金を踏み倒したか。

これすなわち、封建時代だから通ることである。今は? 当然のことながら通る話ではない。ところがぎっちょん、今、日本の財政が破たんに向かっているという話、御用金を借り受けるのと同じなのだ。

消費税がいくらだとか、これ強制的な徴収であり、決算時にあまったからと、国民に返される事のない金である。
こんな事なら、出資してくれたらそれに対して利子を付けて返す、そういうところが現れれば、そちらに金を回したいものである。それも偉そうに、しかも横柄な態度で借り手がふんぞり返って貸し手が地べたで平伏するなどおかしなものが御用金だったことを考えれば、特筆もののシステムである。

江戸幕府という封建時代から明治維新による欧米の近代制度あるいはその統治システムの真似事が導入されて、これだけ変わったのだから、当たり前のように徴税し、あるいは増税していく今の政治、おかしくないだろうか?

国民に縛りを入れるのではなく、政治にこそ縛りを入れ、税負担の見直しを常にしていく、これが国民から負託を受けた政権の義務であり役割である事、わからない政治家を国会に送っている国民の甘さ。

そういうものを見てきた私には性根の部分で上記、わが親戚の性根が身に沁みるのだがわかる人がいるだろうか。

性根に流れるもの [所感]

元官房長官を父親に持つ国会議員が政務官を辞したが、その後、所属していた自民党も辞めて、音沙汰なし、公に顔を出さないという事がマスコミで話題になっている。どうやら国会議員までは辞めたくない、そういう事の意思表示の表れらしいが、その意思表示は一方通行の手段のみを使っているらしい。

問題の根幹、つまり女性問題だが、父親であった官房長官よりも同僚国会議員に受けがいい、そういう事でエリートコースを歩んでいたらしいのだが、女性問題で官房長官を止めた父親のこともあって「血は争えない」そういう評価になったらしいのだが、そんなもの、昨日今日のことではないはずなので、まあ、同僚という国会議員や政治評論家という人種が人を見る目がない、そういう事ではないだろうか。

さて、その人を見る目がないという事で残念なのが、民進党の幹事長人事なのである。
これも、その性根という観点で見ると、何だろうか、そういうものがある。

昨年のブログでも小池百合子氏と並んで蓮舫民進党代表のことを活躍する女性として持ち上げた私としては、残念な事なのだが、親しいとか、世話になったとか、そういう事が能力を正しく評価するというものよりも優先するのが政党人事らしい。

この時点で、蓮舫氏については、残念、そういう事になったのだが、しかし、持ち掛けられた側として、固辞するという手もある。固辞ではなく、自分には、やっぱりそういう能力がある、そのように誰からも見られるというものを誇示したかったのだろうかなどと、まあ、低次元に見てしまうのだが、民進党の現幹事長、どういう性根をしているのだろうか、そのように思う。

消費税の増税についても、あれだけ反累進課税であり、格差の拡大につながる、そういう話があったもの、一般市民から支持を受けるべき政党の代表になっていながら、強引に推し進めたり、その一方では官僚に丸め込まれて公務員宿舎の建設に許可のサインをしたり、全く無能でしかなかった、民主党の政権から滑り落ちる戦犯の一人である事、全く認識していないのだろう。

つまり性根のレベルで、この人物おかしいのだが、舌禍で大臣その他政府要職を辞職している自民党議員と、どこが違うのかわからない。

こういう人物を見るたびに、私だったら(政府首班として)、そういう思いが湧いてしまうのだが、たぶん、小池百合子氏は別として、私以上に清廉潔白でベターな政策を実施できる人物はいないと思っている。

まあ、私自身が金銭欲がなく、そこそこ食えりゃあいい、そういうもの、もう既に財産形成には遅い年齢なので、余計に一般庶民から見れば法外な収入を税金から得ているくせに、その一般庶民を下に見ることに慣れきってしまっている、既成政党の政治ではできない、そういうアイデア、政治家というおつむの悪い人種ではないからこそ、提案できることてんこ盛りなのだが、日本の歴史上一番のビジネスマンの親戚だと言えば、少しは信じてもらえるだろうか。

もう封建時代ではないのに、近代政治と言いながら、国民に縛りを入れる封建時代への逆行を政権政党の議員自身が感じないのだから、まあ、政治が劣化している事、神と、一部の人間のみぞ知る、そういう事だろうか。しかし、頭の悪い連中のおかしなものに巻き込まれたくない、この私の願望は達せられるだろうか。

違和感 [所感]

年始に一発目を書いたが、さて、その後はと言うと、老母の面倒を見る負荷が今までにも増して大きくなり、とてもブログどころではない、というか、精神的に余裕がなくなってしまった。老々介護だけでなく一人で親を見ていられる方、あるいは家族の介護をしていられる方の苦労を改めて思うこの頃というところでしょうか。

我が家、ヘルパーなど外部を頼ったことはないのだが、介護料というのか自己負担が3割になるらしい。私も私の母親も我が家にとっては高額に思える介護保険料を払っているのだが、介護を利用すれば、新たに支払いが発生するので、利用できない。つまり何のための介護保険なのか、そういう思いが強いが、低所得家庭にとっては、違和感のあるシステムでしかない。

さて、その違和感なのだが、最近、色々な事に違和感を覚える。

私は裁判官も絡んでのでっち上げで勝手に突っ込んできた自転車に対しての加害者認定されて、最高裁まで争ったが、最後は棄却であった。つまり上告にあたらない、そういう事なのだが、私は学校で、日本は三審制の国だと、司法について習った。

ところが、この国の最高裁はお高くとまっていて、違憲とか新たな証拠のないものは審議しないというのだ。地裁、高裁がおバカ裁判官てんこ盛りでの間違い判決を出しても、我関せず、それで通るらしい。

では、憲法にかかわる内容のもの、違憲審査をするのかというと、高度に政治的なものに対しては判断しない、こう宣うらしい。何のことはない、サボタージュなのである。こんな連中が庶民など絶対に手にできない報酬を庶民の税金から手にしていると思うと、こんなのでいいのか、そう思う。つまり最高裁を含めて裁判官というものそして裁判所に対して違和感があるのである。

アメリカでは大統領令に対して違憲判決で裁判所が差し止めたり執行停止をしている。つまり政治権力に対して、三権分立らしい機能が発揮されている、少なくともそのように見えるのだが、沖縄の問題など、違憲審査など放棄しておいて権力すり寄る裁判所の連中には吐き気さえ覚えるのだが、これって私だけの違和感だろうか。

テレビで自転車の無謀ぶりの特集が放映されていたが、特集はしても、私のように個人的に暴走自転車の被害で違法な拘束、おかしな損害賠償、そして冤罪である刑事有罪を受けた身にとっては、そういう自転車による被害者を取り上げずに自転車を取り締まっていない社会には違和感を感じる。

とまあ、私にとっては重大事が、他の人には些事なのであろう、どうでもいい事を、そのように反応する連中に、私の再審請求の運動は無視されている。

だが、私にも安倍晋三が出席した会合での”忖度”という言葉を使った事について、マスコミ等が批判気味に取り上げる、こういう事の方が違和感を感じるのだ。

官僚が国民の財産を勝手に値引きして一部の人間の便宜を、それも首相や首相夫人が絡んだ事に対して、勝手にそういう事をするのは間違い。つまりそういう事が分かった時点で、再発防止策を講じるべきなのに、それはやらないで、政局化させているのだが、だからと、それに絡んだ”忖度”という言葉を安倍晋三が使った事に対して、殊更取り上げるまでもない、というか、敵もさるもの、そういったところではないだろうか。攻める方もマスコミもそのくらいの度量は持て。全てにおいて子ども化した社会に違和感を感じるのだ。
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