So-net無料ブログ作成
検索選択

ああ、勘違い [日記]

時間のない中、インターネット接続がままならなくなって、とうとう電話まで不通に。
こういう時、みなさんはどうしていますか?

サポートを受けるにもインターネットは使えないし電話も使えない。まあ普段ほとんど使わない携帯電話があったので、あちこち電話して、何とかトラブルの原因の機器交換で問題は解決しましたが、原因がわかるまでは、自分のパソコンを疑って、あれやこれや。結局、使用状況に支障が出てから解決まで一か月かかってしまいました。

という事で、このブログ記事も書いたのは一ヶ月以上前のものですが…。

昨年、赤いダニの大量発生に悩まされている事、ブログに書いたと思う。

そのダニの発生時期がまたしてもやってきた、そのように、昨年悩まされた奴に今年初めてテラスで出会った時に、思ったのだが…。

こいつはなかなかどうして気を付けていても洗濯物にとりつくので、洗濯物を取り込むときには、表裏、上下と念を入れてチェックして、さらにはらってからでないと家には入れられない。

という事で布団干しやシーツあるいは大物は発生シーズンが終わらないと干せない、

たまたま今年初めて花が咲いたキウイフルーツの木が猫に齧られて、何度かの被害とその対策の後、木肌の修復の為にホームセンターを訪れ、修復剤を探していた時、ホームセンターのパートさんと赤いダニの事で殺虫剤がないだろうか、そういう話になった。

ところが話がどうもかみ合わない。ホームセンターに来る前に車の窓ガラスを雑巾できれいにふき取った時(私は警察検察のでっち上げで漫然と運転して人をはねたと有罪にされたが、車で出かけるときには必ず雑巾で二度ぶきして窓ガラスをきれいにするなど私以上に視界をきれいにして車を運転する警官などいないと信じている。それだけ車の運転には神経を使っている人間なのだ)、になんと、雑巾に真っ赤な奴が10数個引っ付いていたので、車の周囲を点検するとあちこちに赤い奴がつきまくっていたのだ。

という事で、歩き回ってはいないが、車のあちこちに縦になったり横になったり引っ付いている、そういうと、「いえ、動き回っているでしょ、よく見れば足とかも見えるし」そういう話になり、「じゃ、駐車場に来てみてもらえませんか」そのように言って、ホームセンター駐車場の私の車のところに二人で足を運んで見てもらった。

「あら、これなにかしら?」パートさんは見た瞬間、意外な事を言った。
「え? だってこれあちこちにいますよ」

そう、私が恐れていた赤い物体は動かないものだったのだが、パートさんの言うものはよく見れば動きまわっているものとの事。

結局、インターネットでそれらしい言葉をぶち込んでやっと三日目にでてきたものが、”カタバミ”の種。
しかし、車の上やドアなど車体の横、さらには上の方に干してある洗濯物にまで憑りつくなんて、誰が考えます?

しかし、人に危害を与えるものでない事、衣類や寝具に付いても特に問題のない事が分かって、今年は何とか秋口まで大物の天日干しを控える、そういう事はしなくて済みそうなことが分かっただけでも一安心。


続、違和感 [日記]

最近、テレビドラマ、と言っても推理ものだが、そういうものを見ていて感じるもの、いわゆる違和感だが、皆さん感じていないだろうか。

それは、”御遺体”という言葉なのだが、事件などが起きて刑事たちが現場に駆け付けた時に遺体に手を合わせる場面と同時に「御遺体」という言葉が発せられる。また捜査会議の中でも「御遺体」と発せられるのだが、いつからこういう言葉に切り替わったのだろうか。

確か、以前は単に”遺体”としか呼んでいなかったと思うのだが、いや”仏(ほとけ)さん”だったか。
私の言いたいことは”遺体”と呼べ、という事ではない。躯(むくろ)という言い方もあったりで、”御”なるものをつけてこなっかたのが、いきなり”御”が付きだして、これも時代の趨勢なのだろうか。命を大事にする、その先にあるものが”御遺体”なのだろうけれども何か違和感がある。

”御遺体”は葬儀の時の葬儀関係者でもなければ使わなかった言葉だと思うが、昨年暮れ辺りから、鼻につく言葉として感じ出した。

前述のように悪い言葉ではないのに、何故、違和感を感じるのかと言えば、それは警察という、どう見たって人命や人権を大事にしているとは思えない連中が使う言葉としてふさわしくないからなのだ。

現実に使っているから、テレビドラマでも使いだした、そういう事なのだろうか? しかし、いくら徹底しても、警察官の間で、こういうもの、速やかに普及するとも思えないのだが。

警察という組織、無実の人間を平気で罪に落としていてさえ、その有効な改善策を講じるわけでもないし、だいたい悪徳警官が多すぎることを見れば、慇懃無礼につながるような感覚でしかテレビドラマも見られないのは当然だと思う。

さて、同じような感じで受け止められる言葉が、”あざいながまさ”である。
以前にも書いたと思うが、NHKがある日突然、浅井長政の呼称を”あさい”から”あざい”に変えたのもNHKらしい短絡的なものの見方としか思えない。

農産物は”のうさんぶつ”、農作物は”のうさくもつ”、これがNHKを始めとするテレビ放送局の長く続いた読み方だったと思うが、長く頑張っていた高齢のNHKアナウンサーもとうとう時代を受け入れて”のうさくぶつ”そう言いだした。

であるのに、大河ドラマの重さであろうか、時代考証で浅井長政の所領の地名で”あざい”と読むところがある、そういう理由で”あざい”という呼称が浅井長政に対してもつけられてしまった。それまで、多くの俳優、役者という人たちが使ってきたから、というわけではないのにである。

ところが戦国ものの時代劇は昔からあるので、古いものを見ていると”あさいながまさ”である。
”かすかべ”のように同じ呼称でも春日部とか粕壁とか書いたりする例(時代で変わったらしい)もあったり、一つの理由で変えるべきなのか、疑問に思うのだ。

同じNHKの放送で用語について「全く…だいじょうぶ」そのような言葉を肯定的に放送したことがあった。江戸の先人の手紙を例に挙げたわけですが、重複を”ちょうふく”と読まず”じゅうふく”と読む人が正しいかと言えば、間違い、そのように私は学校で習ったのに、今や”ちょうふく”と読む人の方が稀有です。嘘も大勢が言えば真実になる、その典型でしょうか。

間違った言葉を使う人はいつの時代にも大勢いるわけですが、たまたま、その例を引っ張り出して、間違いではないというのも乱暴ではないかと。”全く”という言葉は否定の言葉でしめくくられるもの、そのあとに肯定の言葉を使い、否定の言葉を省力してしまう、そういう全体像を語らずに、NHKは「使っている人がいるからおかしくない」、そう言ったのですが、これも違和感ありです。

全く、(どうしようもない)何を考えているんだろう。この括弧で括った部分が良く省略されるわけですが、いずれ、正論が消えてしまうでしょうか。

あざいは地名であって、人名で使われたという話はないのに、その検証の話は出てきません。人名と地名で異なることは例としてあるのに、なぜそこまで検証しないで決めつけてしまったのか、不思議でしょうがありません。”あさい”で習ってきた人間としては、これを変えるにはこのような拙速でなく、もっとしっかりした根拠のある話で変えてほしいと思いますが、こういうものも力(権力という意味です)のある学者が主張すると、変わってしまうんですかねえ。これが世の中でしょうか、しかし、違和感ありますねえ。

「そこの川は、あざいから歩いて渡れるよ」いやいや、「そこの川はうざいから歩いて渡れるべな」いやはや、なんのこっちゃ。

年頭のご挨拶 [日記]

少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

今年のブログ書初めです。

昨年末、老母が食事のトラブルで寝込んでしまい、いつものトラブルと、回復するのを待っていたところ、深刻な症状に陥り、慌てて、かかりつけの医院に連絡して薬の処方をお願いしたところ、本人の症状を見ないと薬の処方はできないという。

まあ、妥当な回答なのだが、本人は既に飲まず食わずどころか十回近い吐瀉を繰り返しており、歩くどころか起き上がることもできない状態。

年末で多忙な中、束の間、休んでいた身内を呼んで何とか、掛かりつけの医院に連れて行ったが、エコー診断レベルでは手に負えないとの事で、急遽、救急車の手配という事になって、何とか、以前に入院したこともある病院に搬送してもらった。

救急対応という事で、暮れの忙しい中、医師には夜遅くまで内科、外科と診察してもらって、数日の入院の結果、ギリギリ大晦日という時期に退院できる形になったが、結局、年末の大掃除は中途半端で、家の中は、入院に必要なものなど、探し回ったり、逆に入院から、退院で持ち帰ったり、散らかりまわった状態。

例年、何とか大掃除をしている身からすると、この状態は気持ちが悪くてしょうがない。
ギリギリの退院で、老母も家で正月を迎えるという事もあって、慌てて、正月用の食材を購入したり、煮込みや黒豆など作ったり、まあ、これだけ忙しい年末・年始は経験したことがないが、結果として年末に、無事な一年であったと思えればいいのだが、さて、皆さんの年末年始はどうでしたでしょうか。

完全予約制 [日記]

後期高齢者医療費の特別割引が廃止されるという。医療費の増大は医療を受ける本人だけでなくそれを支える社会保険にとっても重大なものだと思う。
 
 さて、そういう社会背景がある中、車の6ヵ月点検を受けるために販売店のサービスに持っていく2日前に、久しぶりの洗車を行った。久しぶりという事もあって、終わってみると3時間も掛かっていた。

 さて、その翌日、思ったよりも暑かったのだが、水分を補給しなければと思いつつ、結果として水分補給が少なかったのだろう、翌日の朝食後、車をディーラーに持ち込めるように準備をしていて、下腹部に鈍痛を覚えだした。

 これはまずい、そう思ったが、後の祭り。何度も経験したことのある激痛へと変化していったが、車の6ヵ月点検の事もあり、何とか落ち着くところに、そう思って色々と体を動かしてみたが、激痛からは逃れられない。

 結局、若干気温が低い中、油汗と吐き気と下痢気味への対処で、パンツ一丁になってタオルを巻いて頑張ったがもういけない。あちこち体の不調があっても寿命と、達観して医者にかかる気がない事、自ら縛りとしていたのだが、さすがに、この激痛に耐えられずに、以前通院していた医者に、タクシーを呼んで、駆け付けた。

 ところが、である。「当院は完全予約制なので予約がないと受診できません」受付でこう言われた。以前掛かっていた事や、他の医者でなくわざわざそこに来た、そういう事を伝えて割り込む形で2時間後のところに割り込む形で入れてもらったが、痛さには波がある。

 待合室で待っている間に、どうにも耐えられない痛みに襲われて、状況を確認に来た看護師に改めて、早めの受診を頼んだ。「楽になれる姿勢でお待ちください」そう言われて待合室の長椅子に横になった途端に、すっと憑き物が取れたような感覚で楽になり、しばらくして名前を呼ばれて診察してもらったが‥。

「うちは完全予約制なんだから、痛いときにだけ来るな。(カルテを)見れば2008年に来ているが定期的に診察を受けていればこういう事にならない。完全予約制なんだから、自分の都合だけで受診に来るな」とまあ、こういう感じできついことを医師に言われた。

 その時には痛みが治まっていたので「じゃあ、けっこうです」そう言って帰りたかったが、大人げないし、たまたま痛みが和らいでいるだけであって、薬は必須なので処方箋をもらわない事には高いタクシー代を使って行った意味がない。
使用したタクシーの運ちゃん、そして点検をキャンセルしたディーラーの担当者も何度も経験したという腎臓結石。彼らは、注意事項を守って、特に通院しているわけではなく、何度か経験しているという事は、痛くなったら通院する、そういうレベルである。

医院での医師に言われた言葉を老母に話したら、憤慨して早速、他の身内に話して別の医師を探してきた。患者の立場の人間の話を集約すれば、皆、この腎臓結石で定期的に診察を受けている人間などいない、そういう事だったのだが‥。

さて、この病気、医療費の肥大化が問題になっている中で、毎月通って、診察を受けて、薬を処方してもらわないといけない病気なのだろうか。以前、通院していた時の事を思い出したが、検査と称するものを含めて診察と薬代で一回に1万円を軽く越していた。

もちろん、まだ年金などもらえる年齢ではなく母親の介護で仕事も辞めて収入がない中、月一回では済まない医療費が一回1万円を越せば暮らしていけない。たまたま、自分のマンションの内装工事の準備のために三か月以上通院が無理になったために、そのまま通院しなくなったのだが、それから8年、通院しなくても良かった、という結果が残っている。

 他の病気まで否定する気はないが、少なくとも腎臓結石で完全予約制なるシステムに巻き込まれて、毎月通院の義務を課される意味は何だろうか。私の勘繰りは固定客として定常的な収入源の確保がこの完全予約制の意味ではないだろうか、と思う。しかし、社会保険の将来を考えればいや将来ではなく今だって困っているのにこれでいいのだろうか。

 来週の水曜日に急に胃が痛くなりますからその前に予約を取りたいのですが、などというような都合のよい病気ばかりではあるまい。医は算術なり、そう思っている。評判の悪い医師だが、医者としての腕がこちらのニーズを満たせばいい、そういう思いで以前も通っていたが、今回の出来事、あまりいい気はしない。カルテを見れば明らかに私の方が年長である事、医師にもわかっていてさえも、口の利き方が悪かったが、年の話をしなくても対応が悪い、それが母親が感じた医師の素養であった。

Red river valley いやRed valley いやいや赤い谷いや‥ [日記]

小学校? いや中学校だったか赤い河の谷間なるタイトルの歌を習ったと思うのだが、赤い河ならぬ赤い谷間、いや赤い谷、いやいや赤いダニの話をテレビで聞いたのだが、他人事ではなくなってしまった。

 掃除をしているときの別の部屋でのテレビの話だったので、細切れだったがマンションだかの貯水槽に赤いダニが入り込んでいる話、聞くともなしに聞いていたのだが、我が家、外壁の塗装で、家の周囲の清掃ができず、工事が終わるまでと、じっとしていた。

 ところが、飼い猫のブラッシングを外に置いてある椅子の上で夕方にやるのだが、ある時、ブラッシング前にその椅子の上をチェックすると、点々と赤い小さなものが散らばっている。

 そこで他のものをチェックすると、全てのものが同様な状態。100人乗ってもまだ大丈夫なる物置など鉄製なので日差しでとんでもなく熱い。その物置の壁にもいっぱいついているのだから、こいつに弱点はないのだろうか、そう思うのだが、植物にも集っている。

 つまり例外はないくらいにひっついているので、どういう薬剤がいいのか、そういう事も考えなければならないのだが、貯水槽に入り込むくらい今年は大量発生しているという事だろうか。

 不幸中の幸いで、噛みつかれることはないようなのだが、植物の活性液で溺れ死にさせても後から後から湧いてくるので、元を絶たなければならないのだろう。この先、毎年というか年々、連中が増殖してくるかと思うとうんざりするのだが、皆さんのご家庭ではどうしているのだろうか。


信用ができない [日記]

信頼できない、そう言い換えてもいいかもしれない。
 最近、パソコンのトラブルを別とすれば、多忙ながらも何とかブログの更新が軌道に乗りつつあったところで、我が家の外壁塗装工事が始まった。

ガス会社から埋設されているガス管が古いタイプなので新しい素材のガス管に交換してほしい、つまり交換工事の必要がある、そういう知らせでガス会社の方に工事費用の見積もり依頼をした後、外壁塗装をすることになったので、当然、あれやこれや対象部位を省いての工事依頼である。

 以前の私なら、任せっぱなし、そういうところかもしれない。しかし、父親が亡くなって後、母親が私の反対を押し切って某著名建築会社代理店を名乗る業者に騙されて以来、家がらみの業者、その一挙手一投足を監視しなければならないのだ。

 業者の職人からすれば、やりにくい発注主であるかもしれない。しかし、最大限の配慮をしていてさえ、避難させておいた新車を車庫に戻した途端に傷つけられたり、またそれを白を切るなど、どうにも工事関係の人間に特定しなくても信用できない人間の多くなったことか。

 という事で、業者が我が家にきて、工事の段取りをする時点からその日の仕事を終えて帰るまでずっと監視しているのだ。当然、暑い日差しの中、立ちっぱなしなので作業をしている人の方が楽なのではないか、時としてそう思う。

 しかし、屋根に上って瓦を踏み抜いたり、壁をへこませたり、あるいは思わぬものが紛失していたり、プライべートでの発注は、色々な事が起こる。はっきり言って家のメンテナンスがメンテナンスにならない、これが日本の住宅の現状ではないかと思う。

 人が関与すればするほど家が傷む。逆に言えば、できるだけメンテナンスフリーの家を建てることを考えた方が維持費が安くそして家も長持ちする。

 ところで、職人さんの腕とか、段取りとか、そういうもので、“さすが”と思わせる人もいるので、監視のような行為はさぞ不愉快だろう、そう思う気もある。だが、私ならもっと丁寧な仕事をするとか、仕上がりにまずいことの起きないやり方をするとか、そう思ってしまう業者も多いので、これは金を払ったから、あとはしっかり仕事をしてくれればいい、そういう事が通用しない、町の中小業者を相手にするには、必然のことだと自身に言い聞かせて、無事工事が終わるようにと祈る、監視の一日だ。

 元が父親の建てた家なのであまり関心がなかったが、もう相当に傷んでいる。であるから、かえって維持、保守を丁寧にしていかなければならないのだが、今回も元請けが大企業ならではの、きめ細かさのない、一般的な受注に終始していたのだが、結局は、こちらが色々、気を使わなければ大枚はたいてどんどん寿命が短くなる。

工事の監視をしながら上記のこと色々思うのだが、自分たちの懐から出る金なので、当然、それなりのことをしてもらわないといけない、そういうところ、実は税金として支払っている金の方、どうだろうか、そういうところまでつい頭が回ってしまう。

関心を持ってもらわない方がいい、これが行政側かもしれないが、いやいや本当は、税金の使途にもっと関心をもって、行政をよくする方に発言してほしい、これが本来の行政側のあり方であるし、また、そのためにも税金の使途がよく見えるように会計報告がされるべき、そのように思い、またその実績を見せてくれる行政マンが出てこないか、そう思うのである。

 現状がそうなっていないから、やっぱり行政は信頼できない、そう思ってしまう。

蒸し風呂 [日記]

親の建てた実家に戻ってからもうかなり経つが、父親の形見のような我が家。ぼろ家ではあるが、形見という感覚があれば、そう簡単に建て替えなどという気にもならなかった。

 いや、他にも理由はある。自身の金で購入した分譲マンションに将来的に住むという奥の手もあったからだが、あまり実家の維持ということに関しては気にも留めていなかったのが、将来、空き室率が増すという事を考えて、昨夏、自分のマンションを売ってから、実家のあちこちが気になってきた。

 形見という気持ちよりも住み心地として考えた場合どうか、そういう目で見た場合、建て替えた方がよさそうだ、そういう事になったのだが、自然災害がいつ降ってわかないとも限らない日本という土地柄、最低限、そのことを頭の隅に置くと、現在の家の維持を優先しようという結論になった。

 という事で痛んでいた部分など、外壁の塗装を建築会社の保守部門に依頼することにしたのだが、タイミングが悪かった。

 今年は前年を更新しての高温になる予想らしいのだが、既に連日30度を超している。そこへもってきて窓ガラスなどマスキングという事でただでさえ熱い我が家がより高温になる条件がそろってしまった。

 外に出ると風が吹いて凌ぎやすそうな天候も、家の中にいればひたすら太陽の熱を浴びて家の中の気温の上昇という要素しかない。

 食事が終わるとすぐにテレビを消したりして発熱を抑えるようにしているのだが、ふだんよりも温度上昇が確実に速い。あっという間に30度を超したのだが、動けば暑いだけ、と午前も午後もひたすらひっくり返って寝ているだけなのだが、それでも暑い。

 もう熱中症気味で頭痛、鼻水、関節痛、だるおも、とCMの文字が頭の中を駆け巡る中、テレビでは相変わらず現都知事のしみったれた話で、気分の晴れるのはいつになるやら。

 あと、一週間かかるらしいのだが、私よりも高齢の母親に影響が出ないか、本当に心配である。入れ物に気を使って中身を傷めてしまっては意味がない。

やはり女の子?! [日記]

我が家の女王様、なかなか機嫌とりが難しい。

友人の獣医曰く、放し飼いをすると寿命は短い、そうなので深窓の令嬢ではないが、姉妹猫が野良猫に連れ去られたのをきっかけに、家から外に出さないようにしているのだが、それでも外を見たがる。

ガラス戸を開けて網戸越しに外を見せてやっているのだが、できるだけ外の空気も吸わせてやりたいと、抱きかかえて外に出すと、自分ではこちらの隙を窺って脱走しようとするくせに、抱きかかえた状態では、むずかって、じたばたして、家の中に戻りたがる。

とまあ、そのようにこちらはできるだけ気を使って女王様を居心地のいい状態にしているつもりだが、なかなか女王様にはその辺の気配りは通じないらしい。

だが、女王様なりにアンテナは張っているようで、外で野良猫同士が喧嘩していると、すぐに外が見える部屋にすっとんでいく。

ある時、炬燵の中で暖まっていたようなのだが、ごそごそ炬燵から出てきたので何かと思ったら、外に石焼き芋の車が巡回していた。

その石焼き芋だが、最近はとんと巡回販売に来ない、そう思っていたら、昼頃、女王様が急に机の上に起ち上がって外を窺いだしたので、何かと窓の外を見ると、久し振りに石焼き芋の巡回車が回ってきていた。こちらが気づく前に察して炬燵から出てくるところを見ると、石焼き芋の案内の声が気に入っているのか、匂いを敏感に感じているのか。

人間だけでなく猫も雌は、石焼き芋に関心があるのかと、勝手に推測して「お前もやっぱり女の子だね」そのように頭をなでてやったが、猫にはその意味、通じたかどうか。

買い主の勝手な思い込み、そのように上記の内容を思われる御仁もいるかも知れないが、犬猫は買い主に似るという。という事で我が家の猫も実は猫なりに悟られまいと天才を隠しているのだが、時としてその才能を出してしまう事があるので、夢夢、たかが猫と馬鹿にしてはいけない。

先日も猫とちょっかいを出し合っていた時に、以前から私がフェイントを使って右足を触る振りをして左の前足を叩いたり、そういう動きをしていたのを覚えていて、何と、今度は自身が右の前足で猫パンチを繰り出す振りをして左の前足を素早く繰り出してきた。

人間の動きを学習してフェイントを繰り出せるなどと普通は思わないと思うが、我が家の飼い猫はお転婆なのでテンションが上がると隠していた才能を思わず出してしまう事がある。人間が一番などと思っていると思わず足をすくわれる事があるかも知れない。

やっと確定申告は終わったけれど… [日記]

昨年、不動産の売却をしたために、本来ならば地方自治体への所得申告で済むところ、税務署への申告をしてくれと、遙か昔の不動産売買契約書等家の中を探し回って、といつもの数倍の労苦での申告をしたのだが、いやはや、地方税の申告だけなのとは違って、大変なものだった。

不動産の評価からすると数千万円の損失を売却によって被っている、だから税務署への申告は不要、そのように仲介の不動産屋もアドバイスしてくれたので、そのように市役所への申告に行ったら、税務署に行ってくれと言う。

税務署に電話をすると、電話に出た人物が「今、この場でやりましょう」と言って、色々質問し、「それなら申告の必要はありませんが、税務署で申告しても結構ですよ」との事。

しかし、税務署は駐車スペースがなく、市役所に行った方がこちらも時間、労力負担が軽く済む。
という事で、改めて市役所に行くと、やはり税務署に行ってくれ、そのように言われてしまった。「所得があったのではなく損失なので、税務署の方でも、どちらでもいい、そう言っている]そのように言ったが、市役所ではできない、そのように断られてしまった。

まさに面倒くさい事は、他にたらい回し、というお役所仕事の典型だ。最近はお上ではなくサービス業だという事が役人の間でも浸透してきているのだが、面倒くさい話になると別らしい。

という事で、大汗をかきながら、さらに税務署に出向き、さらに下書き、パソコンでの申告と、大勢の中にまじっての確定申告を終えたのだが、毎年、こういう事をしている人は、本当に大変というか、こういうのって、非生産的、私はすぐにそう思ってしまうのだが、皆さんはどうだったのだろうか。

マイナンバーがどうちゃらいう話があったが、現状ではマイナンバーなど、どう考えたってこういう所得の把握には使えない。つまり政府が広言している形に機能しないもの、今後どうするのだろうか、とかつて国民総背番号制なる、国民監視の一環として時の政府が導入しようとして国民からそう反発を受けたもの、名前を変えての導入なのだが、現時点で国民に何ら利を生むものがないもの、この先、国民主権を忘れたかのようにおかしな事、官僚主導政治が考えていないだろうか。

セブン、イレブンだけではありません、応援しているのは。 [日記]

昨年のラグビーワールドカップでの日本チームの活躍、多くの人が感動したのだと思う、俄ファンが増えたことはテレビ新聞等の露出度の多さでもわかるし、その後、国内の各種のラグビーの試合での観客動員数が飛躍的に増えたのでも明らか。

結局、テレビ中継に繋がるには国際的に強くなければならないのだと思うし、その国際試合で勝つ、あるいは圧倒的強豪国に負けたとしても、慌てさせるくらいの試合が必要だという事だろうか。ラグビーはそれを体現してくれたのだが、かつての社会人強豪チームが所在し高校チームも強かった県にいた人間としては、久し振りに血が燃えた瞬間だった。

さて、その圧倒的な力を示しているにもかかわらず、大きな大会でのトップには成れなかったスキー女子ジャンプの高梨沙羅選手。私は彼女が中学生であの大倉山で140メートルを超す大ジャンプを見せた時からのファンなのだが、彼女が試合の前後で述べる「見に来てくれる人達に感動を与えたい」という、その感動を彼女の試合からもらっている一人だ。

あの、大倉山で140メートルに到達するジャンプは、色々条件が揃わないとできないわけですが、他の選手が軒並み100メートル以下で着地する中、そこまで飛べる素質、素養は並大抵のものではないし、その後のワールドカップでの活躍が、彼女の強さを示している。

かつて日本のジャンプ陣が強かった時に身長の低い日本選手に不利なルールを強引に決めて多くの日本選手が、ルール変更について行けず、悩み、不振に陥った、そういう事を考えると女子選手の中でも一段と小柄な高梨選手が活躍できるのは奇跡に近い。

さらに力学的に言えば、男子選手だけでなく女子選手の多くが足を故障する中、高梨選手は他の選手よりもジャンプ台の先端からの落下距離が一番大きなジャンプをしているという現実がある。つまり他の選手よりも一回一回、一番大きな衝撃を受けている、という事。

落下距離だけではなく、落下する着地面も抗力として一番大きな衝撃を着地する高梨選手に与える斜度のところに着地しているわけですが、そういう事を考えるに、この感動を与えてもらっている高梨選手が故障しないことを祈らずにはいられない。

だから、彼女がオリンピックで金メダルが取れまいと世界選手権でメダルが取れまいと、世界一の女子ジャンパ―である事に変わりはない。

応援の皆さん、そういうところまで含めて高梨選手がいかに凄いのか、見てやってください。

メッセージを送る