So-net無料ブログ作成

感覚の違いだけだろうか? [所感]

日馬富士の暴行問題で意見を述べた全ての人間が暴行したのは悪い、とまあ最初に紋切調に述べていたのだが、本当にインタビューやコメントを求められた全ての人間がそう言ったのかは、わからない。もちろんテレビのコメンテーターの場合、生番組での発言だから、見たまんま、そういう事だろう。

だが、新聞や街頭インタビューは、編集可能なので額面通りかどうかはわからない。それでもテレビの影響力を考えれば、暴力は悪い、そのようにコメンテーターやゲスト出演者たちが言っているのと反対の話を言う人は少ないだろうから、やはり影響されて、話の一番にもってくる(不思議と、まず、この事を言ってから当たり障りのない事を言うか、それだけでコメントが終わったりしていた)のである。

で、今回の件、日本国内ではあってもモンゴル人同士、あるいは相撲という特殊な職業に関わっている人たちの話だと思うのだが、感覚の違いというのを感じないだろうか。

モンゴルが文化的に遅れているなどという気はない。だが国情、国民性の違いはある筈であり、社会性の違いもあるのではないかと思う。

日本でだって、ついこの間まで、教師は平気で体罰をしていたし、自ら暴力を振るったことのない私にでさえ、教師は自身の勝手な勘違いで、厚い教科書の背部分で頭を叩いたり、胸を突きとばしたり、こういう事をやっていた。しかし、他の教師の誰からも批判は出てこないし、教師が謝罪したこともないし、ましてや処分などあり得なかった。
 社会の劣化を考えると、私の時代から教師が格段に良くなったとも思えない現状において、そういう体罰が皆無になったとも思えないのだが、では一般社会でも暴力はないのか?

 全く下らないし、見ていて不快だと思わせるものに、能無し芸人たちのお笑いと称するものがある。
 全く無意味な造語であるイケメン、などとは程遠い面相であるのにジャ何とか言う芸能事務所のメンバーであるというだけでイケメンなる修飾語のつくタレントがいたりするが、かつての映画俳優たちはどうだったかというと、二枚目が見事に主役を張っていた。しかし、その二枚目は本当にいわゆるハンサムであり、嫌みのないいい顔立ちをしていたものである。今のイケメンという修飾語は、そのハンサムを思わせる言葉なのだが、実態は程遠い。別にハンサムでもないものを無理してイケメンなどと称する文化を作るよりも、昔だって個性派俳優とかいって独自の境地や演技を見せていたりあるいは主役を張っている俳優はいたのだから、イケメンなどというものでタレントの価値を上げる必要はないと思う。かつてのアメリカでも美男美女が主役や相手役を務めていたが、今、そういう美男美女ばかりが主役を演じているかというとそうではない。つまりリアリティーというものが映画の中でより重んじられるようになると、個性派といったらいいか、いわゆる演技派といった方がいいのかもしれない、そういう俳優たちが主役を演じる事の方が増えたと思う。
 で、同様にテレビの世界を席巻しているもう一つが、関西系の事務所所属に多いのが、能無し芸の代わりに、叩く等で笑いをとる行為である。叩くという行為、お互いの打ち合わせの元あるいは了解のもとに行えば、暴力でもなんでもない? 他人をけなしたり叩いたり、そういう事での所作が笑いを取れる、いや実際笑っている視聴者も多いかもしれないが、これってレベルが低すぎるし、そういう事に鈍感であるのに、何故、日馬富士の件では敏感?
 しかし、そういう芸人がテレビ局でメインのキャスターを委ねられて、出演するゲストの口をふさいだり叩いたり、こういう行為をたしなめる論調を聞いたことがない。
 今回、NHKを含めて全てのテレビ局で加害者とか暴行あるいは障害、と日馬富士の行為について、まずは断罪している、その範疇には、こういう芸無し芸人の行為は入らないのだろうか。見たくもない芸無し芸人がテレビ番組のあちこちに勝手に出てきて、相手を叩く行為を漫才として日常的に見せられている身にとって、異常なまでの反応を見せるテレビ局とは一体何だろうか、そういう気がしている。
たぶん、日馬富士の行為はモンゴルでは、それほど大きく取り上げるほどの行為ではなかったのだろう。中国から広大な中央アジアを制圧してヨーロッパまで進出したようなモンゴルの人たちにとっては、血が騒いだり、多少腕力沙汰になるようなことは、大目に見るような事であるのかもしれない。

何度もこのブログで書いたが、中東のサウジアラビアの人間など、他人を尊重するものなどなく、自分の欲望や都合で他人のものにでも平気で手を出す。こういう文化を知らないと、余計な摩擦あるいはトラブルをひたすら大きくするだけになる。
 一度手打ちをしたかに見えたもの、わざわざ大きくするよりも別の手立てを尽くす頭が関係者、つまり貴ノ岩の親方になかったのか。
相撲ファンとしてはあまりの独善ぶりに、何だろうか、そう見ているのだが、まあ、次の場所では何とか日本人力士が意地を見せて場所を盛り上げてほしいものである。

nice!(6)  コメント(0) 

不祥事に名を連ねた東レという会社 [所感]

日本のメーカーの信用度が日に日に落ちていくのではないかという、メーカーの製品出荷に関しての不正が発覚している。

東レという会社、そんなに悪い会社だったのだろうか?

かつてバブルに踊った日本。実体経済ではなくマネーゲームに踊り、日本の金でアメリカが買える、そのように言われるほど金が巷にあふれていた。いや、庶民のところではなく、マネーゲームに踊った金融機関や他の企業にも。

他の企業とは何ぞや?

庶民から土地を買い上げて、その土地にでっかいビルを建てて、高額で売り買いあるいは貸して、多額の利益を上げる、そしてそのプロセスに絡めばどんな企業も本業よりも多額の利益が出る、そういう世の中の流れの中で、財テクをしない手はない、そのように多くの企業が、そのプロセスに関与し、その担い手である企業の中の財務部門がもてはやされ、メーカーも本業の製品への注力よりも財テクに注力、財テク部門が出世の近道のようになっていた。

こういう時代に地道に努力をしていた企業があった。いや、この会社だけではなく、他にも同様の企業はあったのだと思うが、マスコミに大きく取り上げられた企業という意味で、名を挙げられたのが、東レ。

わが社はメーカーなので、本業で利益を上げるのが本筋であり、財テクはしません、という趣旨の事を当時の東レの社長はマスコミの取材に対して述べている。立派である。

さて、それから時代が下って、名門企業として経団連の中でも主要な地位を占めた東レが、今、その経団連会長としてトップを張っている。

屑である。

今の経団連トップを張っている人物が東レの社長、会長という時代に、東レの系列企業の不祥事が行われている。

この人物、安倍晋三の武器輸出三原則いや、言い換えよう、武器禁輸という縛りを大きく緩める政策に真っ先にもろ手を挙げて賛成と、表明した人物であり、こいつにして今回の事(いずれおかしなことが表面化するのではないかという事)、ありなん、そう思わせた人物である。

長く他国の人命も自国の人命も戦争で失わせていない平和国家、そのように世界に誇っていた国が、人命を損なう武器を輸出して金を稼ぐ? 恥ずかしい事ではないのか。

多くの日本人は武士階級に属してはいなかったはずなのに、何かと、武士を標榜する、最近のスポーツでの日本代表チームへの冠のつけ方を考えれば、日本すなわち平和国家、という印象は日本人にとってはとても大事なものなのではないだろうか。

世界が平和であってこそ、日本がその平和と繁栄に貢献する製品で、日本自体も繁栄の道を探る、それが戦後の日本の一貫した姿勢であったはずなのだ。

それを経済面で支えるべき経済団体のトップが、人命を損なう事の対価として金を稼ぐという政策にもろ手を挙げて賛成する、こんな見識のない人物が経団連のトップでは、やはり日本の企業トップがいかにレベルが低いか、見識の高い人物がいないか、分かろうものである。

末端のやった事にまでトップは責任を負えない、そういう見方もあるし、それを良しとすることを否定はしない。しかし、トップが変わった途端に社内の空気、雰囲気がガラリと変わる、というのも事実である。

メーカーの責任を感じないトップの下では、一気に落ちてはいかなくても、名門という名に恥じなかった企業でさえも、最終的には不祥事の起こる体質に変わってしまうのだ。

自動車会社として世界一の売り上げを誇るトヨタでさえ、小泉改革に賛同していたトップの元、大衆車で儲けなくてもいい、アメリカで価格の高い車が売れればいいんだ、と当時のトップが、嘯いたその結果が、企業体質を落とし、今の社長の着任時に涙を流しての謝罪会見につながるような、そういう事になっている。そういう事、対岸の火事と、多くの企業は看過しているのだろうか。

しかし、私の身近にも不正は蔓延していたし、それを正すべく行動する人間は私の周囲にはいなかった。
私?
以前からこのブログで言っているように、正義の人ですよ。はっきり言ってその正義に心情的には賛同する、そう言ってくれた人物がいなかったわけではないけれども、行動を共にした人物はいませんでしたねえ。それが日本社会、そう思ってます。
企業の中では頭の悪い奴、悪い奴、ずるい奴ほど上に行きましたねえ。
ソネブロで企業の不正を告発している人たちの気持ち、よくわかります。事なかれでは、世の中、よくはならないんですけど、であるのに、政治が悪い? 行動を起こしましょうよ。

nice!(14)  コメント(0) 

四横綱揃い踏みの相撲が見たい。 [所感]

日馬富士による暴行問題で、モリそばもカケそばも食い損なった感があるが、かも南蛮でも食わせてもらえたら、まあ、文句は言うまい。

さて、人それぞれの考え方や、好み、好き嫌いがあるので、日馬富士の暴行問題、私の話にも異論が多発する事を承知で、書いてみた。

暴力はいけない? 
きれいごとを言うな。全く何の関係もない人物たちが一様に唱えるこの文句、逆にうすら寒ささえ覚える。
人間として基本的な事を自分はわきまえているんだぞ、みたいなことを言うなら、それ以前に、もっと大事な事がある、その事に関与してきていない、その事についてはどうなんだ?

まず、私の結論として、力量の劣る力士よりは力量の近い横綱同士の相撲を見たい、これが相撲ファンとしての私の率直な気持ちである。
白鵬にとっての安全パイの力士の相撲よりも四横綱が揃った相撲を見たい、目の肥えた相撲ファンならば、そう思うのではないかと思うのだが、品格だの権威だの相撲道だの、相撲が好きな私には、そういう事は二の次。年齢のいった最近はとみにそう思う。つまり白熱した取り組みが以前に比べて減った、そういう感が否めないので、横綱同士の白熱した取り組みを減らすな、そう言えばいいだろうか。

中学生の時に、弱いくせにはったりをかませて、おおよそ喧嘩とかからは縁のなさそうな生徒を見つけては、言い掛かりをつけて自分を強そうにアピールしている生徒がいた。友人同士で楽しんでいるところに絡んでくるのだから始末が悪い。その生徒が弱い事は周知、そう思っていたので、絡んでくるのを相手にするのもばからしい、皆がそう思って相手にしていない、そういう感覚で看過していたのだが、あまりに度が過ぎるようになって、どうもはったりの咬ませ方がひどくなって、皆がビビりだしているのではないか、そう感じたある日、休み時間で大勢が集まっている中で、談笑していた私を含む数人に対して、その内容に絡んできたのを、満座の中で、腕をねじり上げて、そばの壁に何度もぶつけてのしたことがあった。当時すでにボクシングの練習をしていたので、殴ってもよかったのだが、相手から殴りかかってきたわけではないので、自分から手を出す場合、せいぜい、腕をひねり上げる程度、そのように判断したのだが、少しばかり度の過ぎた言い掛かりだったので、つい、そのままそばの壁に何度も打ち付けるという行為まで行ってしまったのだが、だからと私が学校から処分を受けたわけでもないし、相手も自分が悪い事は承知していたのだろう、学校に訴えることもないし、周囲の生徒も、その生徒には相当に怒りを感じていたと見えて、学校に連絡するとかいう事ではなく、単に喧嘩、そのように捉えただけでなく、この際と、その後、次々にその生徒に鉄拳制裁を加えていって、最後には、その生徒も言い掛かりをつける相手がいなくなるどころか、自身が常に、言い掛かりをつけられる立場になっておとなしくなってしまった。結局、私が手を下すまでは、そういう事を大人げないと、皆がやらなかっただけ、であるならば、いい社会なのかもしれない。だが、それをきっかけに、皆が、その生徒の威勢のよさは、はったりと気づいて、最後には噛みつく相手もなくなるほどにクラス中の生徒にやられてしまった、この事は、いったい何を指すのだろうか、そう思う。それをやらなければ、私も相当に腹立たしい学校生活を送り続けていたという事になる。少年院帰りが同じ学年で13人もいた学校の中ではおかしな奴に対しての逆に腕力を振るう勇気というものも必要だった、そう思っている。
日馬富士について、その言動が以前から物議をかもしてきたとか、そういうものがあるならば、嫌な奴、そういう思いが私の中にも芽生えて、いい相撲をとっても違和感を覚えて、あまり見たくない、そういうところに落ち着くかもしれないが、そういう過去も耳にしていないので、個人的にはごちゃごちゃさせずに、早くいい相撲を見せてほしい、そういうものだ。
 学校生活でも社会人としての一般社会でも人を食った態度をとる人間は大勢お目にかかっている。法をつかさどる司法の連中、とくに検察のクズなどは最悪に近い方だったが、権力をかさに、自分たちが違法行為をしているのに、それを取り締まる組織のない事をいいことにやりたい放題。こっちのほうがよっぽど悪質だと思う。彼らは是正が入らない事をいいことに、継続してその無法を行っている。いつか鉄拳制裁を加えてやりたい、そう思うのは私だけではないようだ。残念ながら私には順法精神が沁みついているので、検察のクズが嘘とか法に触れることをやっても、だからと私まで同じ土俵に立つ気はない。検察のクズたちと私とでは物が違うのである。

さて、テレビ桟敷にまでも頭同士の当たる音がするくらいのぶつかりをする力士たちの、頭を少々ひっぱたいたという事での暴力を刑事事件として警察に持ち込んだという行為なのだが、私には違和感しか覚えない。いかにも子供の社会に見えてしょうがないのだが、なんだか、何事にも大騒ぎをする傾向、果たしていいのだろうか。国難解散を唱えた安倍晋三を是とするようで気持ちが悪い。
被害者とされる貴ノ岩の頭部裂傷を縫ったという写真がテレビでも写されていたが、前述のようにテレビにまで音が伝わるほどの立ち合いのぶつかりをする力士にとって、顔が切れたとか、瞼が腫れたとか、そういうのは力士にとっての勲章ではなかったのか。それだけガチンコで相撲を取っている証拠だという事であり、そういう事を考えれば、殊更、同じ力士の暴行とは言え、一般人に対しての暴行とは違うのだから、あまりの過剰反応ぶりに、この世界の子供っぽさも異様に感じる。
異様と言えば、先日からマスコミを賑わした公立高校での女子の頭髪の色、長さなどのばかばかしい規制の話。貴乃花の過保護とも見える貴ノ岩隠しと通じて違和感を持つ。
今時、ガチガチの生活規制を行っている親方がいたら、それこそ問題だと思うのだが。結局、生徒の事を思っているようで実は自身が管理しやすいからという、今のアホバカ学校管理者たちとどこが違うのだろうかなどと、思って見てしまった私は、皆さんとは感覚が違うだろうか。相撲協会の中での改革派などともてはやされているようだが、その目標とする姿など出てきていないし、伝統を重んじるというなら、協会の先輩諸氏に対しての態度など自ら改めるべきものがいっぱいあるようで、今回の事件とされるものの事実が伝わっていないが、あの師匠にしてこの弟子あり、そんなところか、そう見られてしまうのではないだろうか。
 で、被害者と称する貴ノ岩の親方の行動は何だろうか。裏社会まがいのかっこうだから、嫌悪感を持つなどと、狭量の話をする気はないが、さて、これが大鵬親方だったら、どう対応していただろうか、と私なりに考えたのである。
 かつて45連勝で止められた行司差し違えの相撲を、行司が差し違えるような紛らわしい相撲を取った自分が悪い、と黒星を甘んじて受け入れた、その考え方から思うに「横綱ほどの品格器量の持ち主をかっとさせて手を挙げさせるような、そういう弟子に育てた私が悪い」そのように言って、逆に、日馬富士の部屋に頭を下げに行き、相撲協会にも自身の至らなさで起こった問題として報告するのではないだろうか。
 殊更、事態を大きくして、白けさせるくらいなら、もっと相撲の中身を濃くする相撲を取るように力士に指導する方が、よっぽど暴力事件などからは遠い体質になるのではないだろうか。貴乃花も協会も時間を割く中身が違うような気がするのだが。

追伸:予約投稿にしていたら、アップの前に日馬富士が引退届を出してしまい、私の四横綱揃い踏みの相撲を見たいという希望は消え去ってしまったが、果たしてこれでよかったと言える落としどころだったのか。
 

nice!(15)  コメント(0) 

総選挙、私の負け惜しみ [所感]

安倍は嫌だけど、自民党しか信頼できる政党はない? 馬鹿を言っちゃあいけないよ。安倍が嫌だという、その安倍カラーをずっと黙認してきたのは自公の国会議員たちじゃあないか。
つまり自公の国会議員への支持は安倍晋三の支持と同じ。違うと言うなら、違う事を見せて見ろってんだい!

モリそば、かけそばを丁寧に説明する? じゃあ、ざるそばの立場はどうなんだ。えっ? 関係ない? だがしかし、この事案についての安倍の話は、ざるそばの立場を説明しているようなもんじゃないか。まあ、いずれにしろ好みの問題が教育に反映されるのも問題だし、それが国民の資産と絡んでの特定個人への利益誘導が疑われるなら、もっと問題。
 つまり解散前の安倍に絡んでの話について、行政の責任者として、あるべからざることが起きた事への責任を取っていない人間が、さらに重要な憲法問題に踏み込むのはもっと問題、それが国民一般の認識だったのではないだろうか。
 しかし、安倍という個人は祖父である岸信介の戦犯という汚名をそそぐためにはどうしても、岸信介が立派な、それも歴史に残る政治家である、そういうものが欲しい。それを実現させるための道具が憲法改正いや改悪か、なのだ。
 こんな単純な構図さえ見通せずに自民党支持とか自公政権に大勝させるとか、日本人、偉いねえ。あんな悲惨な戦争はもう懲り懲りだ、とまあ自分たちの事しか考えない反省を、他人の痛みも知るようにアドバイスを受けての日本憲法、押し付け憲法だなどと変えようとするのだから、さて、そう変えようというのかねえ。

 私? ここがはっきりと自分の意見も持たずに大勢に流されていく日本なら、憲法変えちゃあまずいんでねえかい、そう思うんでやすよ。
 だいたい、法の執行機関で、嘘が平気でまかり通る現実を体験した身には、この国が権力を中心に動いていく事にはアレルギーしか感じない。

 北朝鮮、困りますねえ。しかし、とても頭が良いとは思えない安倍晋三が北朝鮮が相手にしているアメリカの前にしゃしゃり出て、何をやろうというのか、いかにも緊張を煽る事しかやらない危うさを、日本人皆が見損なっているんじゃないのか。
 自身が緊張感を煽っていて、国難? これ、岸信介と同じなんじゃないの?
さて、岸信介、350万余の日本人の生命を奪う第二次大戦に日本を導いていながら、自身は戦後も、好戦的姿勢を崩していない。戦後すぐにGHQが財閥解体をした、その理由は財閥が軍と組んでの海外への侵略と戦争遂行が行われたと対戦国が見たからであり、その財閥の監督責任がある商工省の大臣が岸信介であり、また、宣戦布告書に商工大臣としてサインをしたのも岸信介。

 なんで、今頃、岸信介の亡霊のような憲法改正論議に我々が嵌らなきゃならない? 
 私が岸信介の孫だったら、世に出る事さえ、恥じるけどねえ、安倍晋三、そういう羞恥心がないのでは? こんな人物を税金で首相として雇っているんだから日本人、お人好しというか馬鹿というか、いい加減にしてほしいもんだねえ。

 結局、モリそばもカケそばも国民が得心する形にならなかったじゃないか。私だったら、国民がすっきりする対応を取るけどねえ。
 日本人は馬鹿だから私の意見などよりも安倍のやっている事の方が頭が良いように見えるんだろうねえ。自分たちの税金で自分たちに縛りを入れるような人物を雇うんだから、まあ、馬鹿さ加減、この上なし、そういう事だろうか。

nice!(15)  コメント(1) 

金鳥ゴンゴンの替え歌 [所感]

こ~っか~い(国会)のな~か(中)は、あべ(安倍)のパラダイス~
もう、言いたい放題、やりたい放題、何してけつかるねん
シン、シン、シンシンシンシン、アベシンゾウ~

お粗末様でした。

nice!(6)  コメント(0) 

安倍晋三の政治手腕を信じてはいけない。 [所感]

安倍晋三の政治手腕を信じてはいけない

 安倍晋三の内閣支持率、下がっているようだが、実力を考えると高すぎる。
 ここに来て安倍内閣の体質が分かってきたと見えて、低落傾向だが、それでも一桁とはなっていない。

 自身の身内である旧戦犯の岸信介の事しかやっていないように見えるのに、相変わらずの支持があるのは、それにとって代わる受け皿がない、そのように国民が思っているからだろうか。

 しかし、何かというと、経済の安倍のような事で支持率回復をしてきたが、今の景気回復の助走は民主党内閣の時のものであり、決して実体を伴う経済運営(例えば国民の年金の原資を人質にした株への投資など虚業に足を突っ込み決して安定したものなどと言えないどころか、実態が明らかになった時、我々国民が驚愕する事態が起こる)の結果だとは言えない事は、アベノミクスを“アホノミクス”と揶揄する人たちによって語られているから、敢えて、ここで言うまでもないだろう。

 首相お膝元の内閣府で発表される経済状況は、“経済協力開発機構(OECD)加盟国35カ国での国際順位は前年より1つ下がり、20位となった。”というものに代表されるように日本の経済成長率はせいぜいが1%を0.1とか0.2%上回るかどうかというレベルなのに対して欧州諸国など3%近辺で推移しているという、日本の経済運営など決して誇れるようなものではないのだ。

 であるのに“経済の安倍”のようなことを言っては、実際には戦前の体制へと逆行するかのような社会の仕組み、特に警察国家へともっていって国民への縛りを入れる事ばかりしている。

 では、それだけ旧体質の事、例えば、情、義、信、忠等の人としての資質を重んじるかと言えば、森友学園問題に象徴されるように、教育内容を絶賛していたはずの自身が、その信を裏切るような事をやって、当事者の籠池氏から恨みを買う事になっている。

 言っている事とやっている事は違うし、安倍晋三という人物が本当に信じるに足る人物か、そういう事になる。

 では、少し前に強引に成立させた安保法案や、集団的自衛権とも絡む日本の外交・安全保障に対する言動はどうなのだろうか、そう見てみると、むしろ民主党政権時代の菅直人首相当時の自称中国漁船の挑発という武力行使への日本政府の対応の方が国民への安心感はあったかもしれない。

 この事に関しての私の感覚は、中国という国は火傷をしない限り、次から次へと自分たちの利益を求める行動を起こしてくる、そういう背景まで読んで対応しなければならないところ、あまりに弱腰に過ぎた、これがその後の尖閣への領海侵犯行動の常態化へとつながった、そう思っている。

 そういう目で見ると、安倍外交は強腰で安心感があるように一般の人は思うかもしれない。しかし、安倍晋三の言動が日本国民の安全安心を損なったことは確かであるし、今後もその事は危惧される。

 どういうことか覚えていない人もいるだろうから、その事に少し触れるが、ジャーナリストやあるいはボランティアその他で中東の紛争地帯に出かけている人たちがいる。

 私の感覚では、賛成できない行動だが、その中で武装勢力に摑まった人がいる、まさにその時に同じ中東の、それもすぐそばの国に行って、テロには屈しない、あるいは、武装勢力側から見れば敵対行動をとる、そのように宣言したかのような声明を発せば、遠い、日本の国会答弁とは違って、自分たちのテリトリーで敵対行動を宣言されたとみなされる。

 結果、武装勢力にとらわれていた日本人が処刑されるという結果につながったのだが、私はこの安倍晋三の政治的センスのなさ、どうして自民党の中で問題にならないのか不思議でならなかった。いや、自民党レベルの話ではなくわざわざ国民の一人を絶命させる処刑への後押しをしたのだから、国民レベルでの疑問提起があってしかるべきだったと思う。

 アメリカでさえ、中国や北朝鮮の国際的慣例から見ればどうかと思う自国民の拘束に対して、慎重な行動を取ったり元大統領を派遣して釈放させるなどの行動をとっているのに、何故、自己責任だからと、日本人であるにもかかわらず、危険に曝されている、その人命への執着を放棄するどころか、絶命へと後押ししたのだろうか。

そしてこのところの北朝鮮のミサイル及び核開発に伴う緊張の中で、ミサイル発射の都度、過剰に反応して、北朝鮮がアメリカを相手に発言している中、わざわざアメリカの前にしゃしゃり出て、日本に対する重大な脅威とかなんとか、言っているこのセンスは何だろうか。

 北朝鮮は日本に対するミサイル攻撃について“日本の米軍基地”そういう限定発言だったはずだが、五月蠅いハエのように、ミサイル発射実験の度に安倍がしゃしゃり出るものだから、とうとう、日本が焦土になるという話まで行きついてしまった。

 実際にそういう事が起こらない事を見切っての北朝鮮の話だが、しかし、本当に起こるか起こらないかは誰にもわからない。それはそうだろう、誰だって武力衝突が起これば、そして核を前面に押し出そうとしている国が戦争になれば想像を絶する惨事となる、そういう事が分かっていながら武力を前面に押し出そうとしている連中のやることだからだ。

 であるのに、何故、安倍晋三はわざわざアメリカの前に出て北朝鮮の矢面に立つ? 中国などを見れば反吐が出るほどの国家エゴを国際社会で出しているが、安倍晋三のそれは、むしろ日本国民の生命財産を危険に曝す行動で、決して国家エゴなるものではなく、したがって、浅慮の人物たちからでさえ共感を得られるものではないだろうし、まあ一種の国民へのテロという事だろうか。

 北朝鮮のやっている事は決して正当化されるものではない。しかし、戦争回避の努力もせずに宣戦布告書を出した日本、そしてそこに名を連ねた岸信介を信奉するような人物が、明確に平和的解決へと導けるわけでもないだろうに、何故、多くの経験、スタッフを持つアメリカの前にしゃしゃり出て、より緊張を煽るなど何を考えているのだろうかと思う。

 350万余の戦死者を出していながら、その総括もできない既成政党の指導者に1億3千万の国民の生命財産を守るという気概が本当にあるのだろうか。森友学園問題で、自身や夫人が少しでも関与してれば首相も国会議員も辞める、そのように大見得を切った割には、素晴らしい、そう称賛していた教育方針を実施していた森友学園の理事長を切り捨てたかのような対応。いつか我が身に及ぶのではないかと、国民が思っても不思議ではないのだが、さて、そういうところまで見ている国民はどれだけいるのだろうか。

悪いが、行政トップとして合格点を上げられないような人物のしでかした結果を尻拭いする事だけはしたくない。何故ならば安倍晋三が登場してきた時から、その器でないこと指摘してきている私には、彼を首相としている責任はないからである。

nice!(8)  コメント(1) 

これでいいの? 自民党支持者の皆さん! [所感]

日本国民には色々な考え方の人がいて、憲法も思想信条の自由を保障している。だから、色々な政党があって、それを支持するのも自由だとは思う。

しかしねえ~、こんな国会議員や閣僚、自分たちの代議員として国会や行政に携わらせて、いいのかねえ、そういう御仁が自民党にいるのだが…。

もちろん野党にもおかしな議員はいるし、そもそも国会議員や行政というもの安倍晋三という首相にして、理解しているとは思えないのだから、まあ、おかしなのがいっぱいいるのは当たり前か、そうは思うのだが。

しかし、安倍晋三の命を受けて教育分野にまでおかしなものを持ち込もうとしている、その本人たちが、李下に冠を正さず、そういう事すら実践できていないし、故事や諺など古きよきものなどと昔の体制や近代民主主義の時代にふさわしくないものを復活させようというもの、現実には天に唾するものだと思いますがねえ。

今回、ここで言いたかったのは、具体的に言えば、これは自民党国会議員なの? 自民党国会議員ってそんなに頭が悪いの? それとも、痛くない腹(本当は痛い腹)を探られたくないときの脛に傷を持つ人物特有の、相手攻撃、そのものを行った国会議員の事なのだが、放置するには重大事、私にはそう思えるので、取り上げたのですが。

少し前に「保育園落ちた、日本死ね」そういう内容のブログが話題になり、待機児童問題や保育園の受け入れ容量の問題が出て、それに応えない行政が批判される形となり、多くの組織で慌てて、その対策を講じなければならない話になった。

この時、平沢勝衛という元警察庁長官(安倍晋三首相の元家庭教師としても有名で、安倍晋三は平沢勝衛でなければ自分も東大に行っていたと冗談めかして言っている)の国会議員が「文章が乱暴だ」とその訴える内容には言及せずに、その表現や表現方法についてのみ言及し批判していた。

国民の代わりに国会という場に出ている人物が、こういう事も理解しきれない、そんなのでいいのか、そう思いますが、平沢勝衛は、テレビへの露出度の多い国会議員で、視聴者はあまり嫌味を感じないタイプの政治家だと思う。

しかし、そういう人物でさえ、こういう反応だったのだから、そして東大出身の官僚、さらに官僚上がりの政治家にしてこの程度の理解力なのか、そういう驚きの方が勝ってしまうのだが、やはり、こういう感覚の政治家を放置してはいけない、そう思う。

いやいや、ところがである、森友学園問題を強引に幕引きをしたかのような政府・自民党の対応だったが、そこに加計学園問題が降って湧いてきた時に、いきなり、その実態を表すに近い資料の問題で、その資料の存在を証言する前文科省次官の証言が出た時に、その存在の有無や、更に同様趣旨の資料の存在の調査に言及するどころか、証言した前事務次官の退任時の経緯(それも何の証拠もなく決めつけ、事実関係を国会委員会での閉会中審査で問われると、担当者からの伝聞、とトーンダウン)を何の脈絡なく披露したり、プライベートの素行(心象としては自身に心象として悪い話を事実とありのままに認めた前次官の方がはるかに人間的にりっぱに見える)などを取り上げて、批判に終始し、問題の資料の存在の有無を取り上げるレベルでもない、あるいは怪文書とまで明言。

結果的にどちらに非があったか。もちろん、前次官の証言通りに、問題の概要を表す省内資料は存在していた、その時点で自らの言動の非を認め、前次官に謝罪すべきところ、そういう事もしていない。

これで政府の重要閣僚である官房長官などと言うのだから、いくら安倍晋三のおかしな懐古主義を支持したって、あなた自身が礼儀すらわきまえられない人物で、礼節など言及する資格がないんじゃないの? そういうところだと思いますが、この張本人の菅義偉。おかしくないだろうか。

安倍晋三のための政治ではないし、内閣でもない。国民のための政府であるべきところ、それに少しでも疑義が生じるならば、首相に諫言するとか、そういう事でなければ、おかしな大人の代表として子供に顔向けできないのではないか。

そういう教育の根幹のところで踏み外している人物を自民党支持者たちは、国民の代表として国会に送っていいのだろうか、考えてほしい。もちろん、私はこんな人物、支持する気はないが、こういう事一つ一つやっていかないと、おかしな体質が定着してしまうのではないだろうか。

nice!(11)  コメント(0) 

安倍晋三の体質を表す,安倍晋三絡み。 [所感]

安倍晋三の体質を表す安倍晋三絡みとは?

安倍内閣支持率低下を受けて“丁寧に”を前面に国会閉会中審査に対応した安倍だが、私がここのブログで指摘したように「李下に冠を正さず」という、そういう言葉まで使っている。

一応、中国の諺も知っているんだ、そういう事のようだが、意味は知っているの?

森友学園問題では、素晴らしい教育が行われている、そういう類の言葉が森友学園の教育に関して安倍晋三自身から発せられている。籠池氏の戦前あるいは古い時代への郷愁のような教育を褒めたたえた、そういう事だが、あれだこれだと、籠池氏絡みで、安倍晋三夫妻の名前が挙がることになったのは、彼らが全く、関係なかったからではない、そういう事については否定できないだろう。いや、むしろ積極的に関与したからこそ、夫人付きとも言える役人の名前や対応した資料が出ていることからも言える。

籠池氏の言い分、つまり安倍晋三夫妻に裏切られた、そういうものは差し置いても小学校建設他が止まってしまったのは、当たり前の話であり、結局、森友学園が小学校建設を進める、その過程におかしなことがあった、そういう事だろう。

次に加計学園の獣医学部新設について、全てについて文科省の肩を持つわけではないが、文科省の通常の審査では通らない、そういうものを戦略特区という搦め手での認可を取るというのは、戦略特区の設置の考え方にしっかり沿っていなければ、かえって、おかしなことをやったと取られる、つまり李下に冠を正した、そう取られるのは、当然と言える。

ではだれが冠を正したのか? それが当の戦略特区の責任者である安倍晋三というのであれば、何をか況や、そういう事になる。

先端の事をやるのか、既得権益を主張する業界への風穴を開けるのか等、色々な観点から考えて、戦略特区の対象としてふさわしい、そのように思えるどころか、首を傾げるものが満載の加計ありきの認可が進められようとしている、その加計とは何ぞや。

加計学園理事長の加計孝太郎は安倍晋三の“腹心の友”という間柄。
え? やっぱり安倍晋三に絡んだ話なんじゃん。
一部、おかしな主張をする月刊誌、週刊誌で、何故、加計学園が問題になるのか、一部のマスコミの情報操作だ、などとふざけたものがあったが、そもそもの国家戦略特区の意義づけというものを考えていけば、わざわざ、これだけの名前や支援体制を取る以上、おかしなことがあってはいけないはずだが、文科省の役人と官邸、内閣府のやり取り等見れば、やはりおかしな要素を含む許認可を強引に通そうとしている、そのように見える。

そういうものを安倍晋三が主導する国家戦略特区の会議に諮るのは、ちとまずいんでないかい、晋三君に加計孝太郎君。

さて、最後に、防衛大臣を辞任した稲田朋美。
彼女を防衛大臣に抜擢したのは誰あろう安倍晋三自身だ。将来の首相含みで重要閣僚を経験させるという、その一環が現内閣での防衛大臣としての入閣。

 しかし、既にいつ北朝鮮を相手にアメリカが武力行使をしてもおかしくない緊張状態に日本もあるというのに、防衛通でもない人物を安倍晋三という個人の見解だけで重要閣僚につけて良いのだろうか。

そもそも、戦後の政府の組閣内容自体がおかしいのだが、それを平然と受け入れている国民もなんだかなあ、と思う。

当選5回組だからそろそろ、どこかの省の大臣にとか、そりゃ違うだろ。
そもそも、私に首班指名してくれれば、こういう政策で国民に還元しますとか、あるいは、私の国家観あるいは国家像はこういうもので、その実現の為に私はこういう政策を打っていきたいし、そのためのスタッフとしてこういう人たちを任用します、そういうものに対して、国民が負託する、そういうものであり、あるいはそれが代議員制であれば、国会議員がそれを支持して国会で指名する、そういうもののはずだが、今の国会や内閣は、国民を向いていないから、おかしな構図が存在し、とても適任とは思えない人物が内閣に入ってしまう。

長い前置きになったが、国の組織や役人が一部の利益のために動いてはならない、そういう憲法の精神や自衛隊法に触れる事を平気で口にしていながら、その事を指摘されても、それを聞いた方の解釈の問題として、誤解を受けかねない、などと強弁する、そういう人物が国民の税金で食っていいはずはない。
 森友学園問題でも、野党をなめたのか、事実に反する答弁をして、事実が明るみに出ると、その後修正をしているが、これで弁護士なのだという。弁護士法には社会正義の実現という要素が存在する。そういう事さえも失念しているような人物、もっと言えば、大事な話でさえも記憶にない、そういう人物に重要閣僚などこなせはしないし、こんなのに将来首相になってもらいたいなどと思う人物など稀有だろう。

 よくまあ、こんな人物を選んだものだと、選んだ選挙区の人たちの顔を見てみたい。まさか、次の選挙でも当選させることなどないよな、そう思うのだが、こんな人物の資質も見抜けなかった選挙民だから、今後も当選させて、議員として出てくるのだろうか。

さて、こんな人物を重要閣僚としたのは安倍晋三自身なのだが、そういう意味ではっきりと、安倍晋三絡み、そう言えるのは皆さんもお分かりだろう。

つまり安倍晋三という人物は決して、国民の方を向いているのではなく、自身の中の偶像を追っているに過ぎない人物で、とても政治家とも言えない人物なのだが、しかし、そういう事さえわからないのが今の日本国民という事なのだろうか、それとも、わかっているよと、結果を出してくれるのだろうか。

健さんの母校甲子園出場?! [所感]

今年も球児たちの夏、高校野球の夏がやってきた、そのように新聞の各地区の予選を見て、出場校の期待などしていたが、だんだん興が削がれていった。

まあ、毎年の事なのだが、全国私立高等学校甲子園野球大会と言い換えた方がいいような内容だからなのだが。

かつてはそれぞれの地区に戦前からの、勉学でも名門と言われるような強豪の公立高校もあった。だが、しかし、最近のように野球専門学校化したような私立高校には予選レベルで歯が立たなくなって、なかなか甲子園出場がならない。

私立高校が悪いというのではない。後述するが認める部分もある。しかし、例えば、横浜高校を率いていた監督、あるいは近年で言えば、毎年、選抜や選手権の優勝を争うような大阪の私立高校の監督を公立高校が引き抜けるかと言えば、否である。しかし、その逆は然りである。

かつて埼玉県の上尾高校と言えば、甲子園出場が珍しくない公立高校として埼玉県内では強豪校であった。しかし、その監督が浦和学院に招聘され、今や浦学は甲子園出場の常連(今年は決勝で敗退)。

長崎の清峰(今年、久しぶりの県予選決勝進出も敗退)という公立校を優勝させ全国的に知名度を上げさせた監督も招聘されて山梨学院の監督となり、今や、山梨県では甲子園出場が当然視される強豪校となっている。

もちろん、自前で監督が育って、甲子園出場常連になった私立校もあるだろう。
だが、古くはジャイアンツの原辰徳と親子鷹として有名になった東海大相模の監督のように甲子園優勝監督として招聘される、その例が前述のように相変わらず、続いての全国私立高校野球甲子園大会化したような大会を見ると、公立校の監督の悲哀を感じざるを得ない。

あっという間に記憶の彼方に行ってしまった佐賀北高の監督のように全国優勝して脚光を浴びるのは、今や稀有なのだが、それだけに選抜8強に私立高校二校が残った福岡の大会を勝ち上がった公立の東筑高校の甲子園出場は、各地区予選の強豪公立校の敗退を見てきた私には、一度萎えた今年の甲子園大会への興味が再度湧いた祝い事とも言える。

本当に個人の趣味でこのブログを書いているが、たいした学校でもないのにプライドばかりの地区進学高校に入学したばかりの突っ張っていた私には、同級生の「健さんの信奉者で、健さんは地区の英雄。高校(東筑)でも番長をしていた」という言葉が妙に頭に残っていて、東筑とはどういう学校だろうか、そう思っていたのだ。

当然の事ながら、どこかの私立のバカ学校だろう、そう思っていたのだが、なかなかどうして、福岡県内では有数の、そして硬派の県立高校だったのだが、その硬派の典型が高倉健、そういう事なのだ。東筑で番長を張るというのは、腕力が強いだけでは番を張れない。頭もよくなくてはいけないのだ。もちろん、あの健さんの人間性を見ている御仁には、東筑の番の意味もお分かりだろうと思う。

イチローとも関わりのあるプロ野球元阪急の監督をしていたちょい悪親父としても名を馳せた仰木彬氏(故人)もOBであり、まあ、OBなどを見ると、私立校なにするものぞ、そういう気概が伝わってくる学校のように思える。買い被りかもしれないが…。

私立校の悪口ばかりを書いたように思えるので、一言、付け足したいが、私の母校、たいした学校でもないのにプライドばかりで、ん十年前の私の在籍時と同様、未だに「今年の国公立大学への進学実績は百二十余名です」などと同窓会に来た校長が報告するのだが、部活動その他については、言及しない。東筑など三百数十名が国公立大に進学していたころもあったように思う。そういう学校を知れば、たかが進学実績ばかりを吹聴する校長など、まあ、低レベルの学校相応、そのようにしか見られないか。

同期の人物曰く、相変わらず官尊民卑。今時違うのではないか、という感想。したがって野球部の指導も指導教師の言うとおりにやっていればいい、そのレベルであり、校風としては、クラブ活動に身を入れず、勉強に専念しろ。とまあそういうところでしょうか。

つまり指導教師の指示に沿っての練習と試合という、この殻を抜け出せなければ、たまたま指導教師の役割について教師のレベルを超える実力はつかず、まあ、この数年は一回戦負けも多い。これで、甲子園には強豪校として出ていたころもあるというのだから、笑ってしまいますが。

ところが、ところがである、一方の私立高校はというと、今時、監督の指示に頼った試合をしていては、甲子園では勝てない、として、自分たちで考える野球、いや、教育の一環として考える場合、練習の時から自分たちでプランを立てる、そのように公立高校など及ばない実践をしている。

他地区から編入してまで甲子園出場を目指す私立校など応援する気もしないが、あれだ、これだ創意工夫を凝らして切磋琢磨して、甲子園に出てくる学校ならば公立、私立の隔てなく、地区の代表校として応援したい。

でも、健さん、あの世から母校出場を見守っているだろうか。

接待とうな重 [所感]

接待などと書いたが、実はそのような大げさな話ではなく、取引先と同道した時の昼食の話なのだが…。

皆さん、土用の丑の日、商売人の宣伝文句に乗せられて鰻を食べられたのだろうか。

物心がついてから“うな重”なるもの食した経験がないままに、社会人として安給料で働いていた私は、しかし、あまり金に執着したことがなく、いや、これは貧乏人の典型で金離れが良いというか、月末に、少しでも手元に残っていると、昼休みとか終業後に卓球の相手をしてくれた会社の先輩にいわゆるコース料理を驕るなど、とことん貧乏人の典型の生活をしていた。

だからと贅沢をしていたというわけではなく、分相応に慎ましく、だが、預貯金をするわけではなく、月末に金が残っていると、翌月の仕事へのチャージとしてショーレビューを同期入社の同僚と銀座に見に行って、その後、貧乏人には豪華なディナーに行ったり、そういう生活をしていた。

いや、寮生活をしていた関係で食が保証されていたことが大きかったのかもしれない。先輩の寮生など、寮の食事を当てにせずに結構近くのスナック等に通っていたりしたので、本当は安給料という事ではなかったかもしれない。そういうわけだから、仕事上でなければ自ら外食、そういう選択をすることも少なく、鰻を食する機会もないままに、2,3年は経っただろうか。

それがある時、本当にどういうわけだか、急に鰻を食べたくなって、わざわざ少しばかり距離のあるJRの駅前にあるうなぎ屋に一人で行った。別に贅沢をしよう、そういう気はなかったのだが、肝吸い付きの“上”を頼んだ。食べてから思ったのは、自身が良く覚えていないだけで、鰻は食べたことがある、そういう事だったが、せっかくの肝吸い、汁だけ飲んで肝をそのまま残してしまった事が後で、やっぱり誰かに連れてきてもらうんだった、そういう後悔につながった事である。

 という事で、その後、取引先との同道などを含めて、鰻を食する機会も増え、普通に食べていたのが、体質が変わったというか、鰻の油を受け付けなくなり、鰻を食べると下痢をするようになってしまった。いや、常にではないが、そういう傾向が強くなった、という事。

さて、取引先と同道という事だが、正確に言うと、私が勤務している会社が発注した部品や装置の技術的打ち合わせ、あるいは納入についての査察が主であり、相手は設計部門の人物が帯同することもあるが、営業担当者が同行するのである。

、もちろん、そういう事が常ではなく一人での行動も多いのだが、取引先の営業マンが同行する場合など、手っ取り早い昼食というのが、うな重なのだ。うな重はたいていの人にとって昼食でなくとも御馳走の部類に入るのだろう。夜は夜でもっと豪華な接待ディナーなど考える営業さんもいるので、たかがうな重、そういう風に見る向きもあるかもしれない。

 だが、自身の体調で、そういう接待の食事を断り続けていた時に、数社の営業さんから言われた事がある。「お客さんをだしにして申し訳ありませんが、実は自分達が食べたいので、受けてくれませんか」と。もっともそういう言い方をしてこちらが気兼ねなく接待を受けられるようにするというものもあったかもしれない。

 しかし、こちらとしては、意地汚くは育てられていないので、接待のような相手持ちの食事をしても、おいしいものの味が半減したり、食べた気にならない、そういう事の方が多かった。自腹であれば、好きなものを選べるのに、昼食も含めて相手の接待になるとだいたい事前に設定されているために、こちらに選択肢がなく、昼食としては、私の方はかつ丼の方がボリュームがあってお新香なども食べられる、そういう庶民派なのだが、うな重さえあてがえば御馳走、そう思ってくれるという営業マンが主流の時代、そういう時代に私はサラリーマンをしていたのかもしれない。

もちろん今とは違って、回らない寿司屋も接待の場所としては多かったが、本当に食った気がしなかった。

 他人の金で飲食するのが好きな人間ばかりではない事、もう少し世間が知れば、おかしな人物が行政の上に立つ事もないのではないだろうか。私の父親は相当の上流階級の出身者だったが、貧乏しても金には潔癖であり、仕事上でも私心を持つような人物ではなかったのだが、私が同じような道を歩いて初めて、そういう人物が世間には少なく、したがって、かえって誤解を受けやすい、そういう事が分かったのだが、おごられ過ぎても金銭感覚がマヒするのと同様、権力の座に長くついていると、自分中心で行政が回るのが当たり前のようになり、常識が分からなくなるのかもしれない。誰の事かって? 皆さんご存知の人物とその周囲の取り巻きの事しか思い浮かばないでしょ。

メッセージを送る