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東芝、困ったもんだ [経済]

ブログ、再開しだしたら途端に重症とも言うべきパソコンのトラブルが。おかげでインターネット接続だけで半日以上かかった上におかしな警告が。

これを見ると、やはりどこかで監視して何やら悪さをしているのがいるのではないか、そう穿った見方をしてしまうのだが、さて、どうなのだろうか。

まあ、お決まりの無能経営者による経営破たん、その典型とも言うべき東芝の危機なのだが、色々事業の身売りをして凌ぐらしい。

だが、結果としてどれが東芝本体なのかわからなくなってしまう感がある。

原子力事業を経営の柱に、そういう趣旨でアメリカのウエスチング社買収までは見かけ上、誰も異議を唱えなかったと思う。

私もかつてのウエスチング社の実力を知っていたので、悪くはない買収かと思ったのだが…。

東日本大震災とそれに伴う福島原発の事故は東芝にとっては予期せぬ事故であり、それについては同情の余地はあると思う。

しかし、数字合わせのための粉飾や子会社であるウエスチング社のコントロールができていないなどは、企業経営者として恥ずかしいものだ。

そういう事の結果として半導体事業の身売りをして負債の処理を考えているという事だが、半導体事業は、一私企業という観点で考えてほしくない。

産業のコメ、そういう観点で国策事業として半導体産業には黎明期から多額の税金がつぎ込まれて、多くの電子企業はその恩恵を受けている。半導体事業を手掛ける企業などは、直接的に支援を受けたと言って過言ではない。

そういう事業を赤字の補てんにと、国外企業に簡単に売っていいわけがない。こういうところが、社会の一員であるという企業のおかれた存在を認識していない経営者が多すぎる、そういうことに繋がるし、また、その認識をしていないからブラック企業とか社員を自殺に追い込む企業まで現れてしまう温床となっている。

経営者になってほしい人材を会社から追い出し、なってはいけない人物が経営者になっている、これが今の日本の企業社会ではないだろうかと思うのだが、過去に自分たちが受けた過分な報酬を返してまでも税金で育てられた事業を簡単に国外企業に手放してほしくはない。

国外企業への半導体事業の身売りをするような近視眼的企業ならば、国民としては、そんな企業に存在してほしくはないし、東芝バッシング、起きても不思議ではないと思う。なりふり構わずと言ったって、程度問題という事だ。できなければ、さっさとそれができる経営者に代わればいい。

家電は斜陽産業か? [経済]

 持ちこたえたのか依然として分からないソニー、そして瀬戸際のシャープに続き安泰と見られていた東芝がお先の見えない状況に陥っている。

 いや、かつて我が世の春を謳歌した松下、ソニーなど世界を席巻していた日本の家電が、軒並み低調なのだが、家電は斜陽産業なのだろうか。

 世界を見れば確かに中国も家電製品は普及期にあり、あと数年もすれば、今までのような大量の需要は見込めない時期が来るかも知れない。だが、アジア諸国だけでも普及期とは言えない状況があるし、アフリカ、中南米、東欧と需要は大きい。アジア諸国などと簡単に言ってもインド一国を取っても大きな需要が見込める、そういう産業なのだが。

 加えて買い換え需要もある。つまり家電は決して斜陽産業などではないのだ。中国には我々の知らないような名前の企業も多数存在するのだが、日本の家電企業は、それらに負けている、そういうことだ。見方としてそれら中国企業には日本企業がコスト面で敵わない、そういうものもあるかも知れない。

 だが、日本企業だって1990年代初頭の円高で海外進出、と言っても実際にはほとんど中国進出だったが、中国企業と製造面では同じ土俵に立っているのだ。今、韓国企業のサムソンが業績に、陰りどころか屋台骨が揺らごうかというギリギリのところにあるという噂もあるが、少し前までは中国、韓国、香港、台湾と日本企業と同じ土俵、即ち中国での生産というものを通して、業績を上げていた。

 ところが、そこのところで日本企業は業績を伸ばせないどころか、色々な分野からの撤退の話が相次いだ挙げ句、現在に至っている。
 先進国での家電の代物が斜陽と一般には思われているようだが、欧州から掃除機やコーヒーメーカー、暖房器具など手堅く日本に進出してきている企業もあるし、先端を行くインターネット上でのソフト開発企業いや、インターネットに限らない新たな産業開発企業などはアメリカ発が多く、また、一気にガリバーになるほどのポテンシャルを持っている。

 インターネットや自動運転車技術などは家電の延長線上の技術なのだが、そういうことまで含めれば家電産業には大きな可能性がまだまだ存在する。しかし、日本の企業の現状を見ていると、家電は斜陽産業としか思えない現実があるのだが、さて、その原因がどこにあると皆さんは、思われるだろうか。

 かつてNTTの光に関する技術をアメリカが軍事技術として欲しがっていたという、それを日本が軍事技術の輸出規制を盾に断り続けたという話がある。それを今の政権がどんどん緩和して武器輸出でさえも可能にしてしまった、それを経済界のトップとして“歓迎”などと言った馬鹿がいる。

 人命を代償に自分たちが儲ける商売をしている、そういう人達を“死の商人”そう言って軽蔑するものが先進諸国にはあった。だが、経団連トップの言葉は、まさしくこの死の商人、そのものなのだが、これと同じレベルの経営者いや、それ以下かも知れないのが日本の経営トップにこの数代居座っていた、という事を証明したのが、東芝の粉飾決算に代表される経営の不始末であろうか。

景気は悪い、そう言っちゃあ認識不足のようでもあるのだが… [経済]

中国の株価が下落したとか、日本の株式市況にも影響が出て、などと言われる前の話なのだが。


株価が2万円を超えたとか、私や我が家とは全く縁のない話がテレビや新聞から流れてくるが、日銀なども景気の良い方の話が出てきたり、企業のボーナスも支給額が私などもらったことがないような額の話が出たり、景気が悪いなどと言うと、お前認識不足だろ、そう言われるような状況だ。

さて、銀行利子が無いに等しい中、保険会社の我が家に来る担当者が、若干ながら利率のいい話を持ってきたので、その話に乗ることにしたのだが、担当者曰く、景気が悪い、そう断言するのである。

それは保険会社の話としてではないか、そう聞いたのだが、そうではない、そう言うのである。保険会社の顧客への還元率もどんどん下がっていく傾向にあり、私が加入した案件は、時期的にギリギリで、もう、そういう案件はしばらくない、そう言ったのだが。

さて、ギリシャのデフォルトが起こるのか起こらないのか、それによって景気がどうなるのか、そういう話で紛れてしまっているが、我が家だけでなく多くの一般家庭でも生活必需品や食品の値上げに直撃されて痛い思いをしているのではないかと思う。

この状況が政府も認めるような不況に近づくと、さて、我々の暮らしはどうなるだろうか、そういう気持ちがある。

以前から指摘しているようにアベノミクスなるものが詭弁であることは、決して金持ちにシフトされた我々の財産が不況だからと戻ってくるような政策を政府が打たないことだけはこれまでの自公政権のやり方からも確かである。

円安導入で輸出型の大企業は大きな利益を上げて、さらにその利益でその企業の経営者達は大きな報酬を得ている。場合によっては従業員の一部もその恩恵にあずかっているかも知れないが。

しかし、その一方で、加工型の中小企業は輸入材料が値上がりしてもそれを製品価格に転嫁できずに利益が圧迫され、多くの原材料が値上がりする加工食品を購入している一般家庭も家計が圧迫されている。

何のことはない、我々一般家庭の金が一部、輸出型の大企業に持っていかれた、そういう構図でしかない。
多くの人間が購買力を持つのと一部の人間が購買力を持つのでは経済構造から言って前者の方が経済効果が高いのは目に見えているし、最近流行った、ピケッティの21世紀の資本論などでも言われている事である。

つまり安倍晋三の政策は根本から改革するのではなく、いわゆる階級闘争としてブルジョアジーなるものに肩入れした、そういうことでしかない。
さすが明治維新という権力闘争で勝利した長州藩末裔らしい発想か。

恩恵を受ける人員数が多いほど経済効果はある、これは断言できる。しかし、バブルが弾けて以来、お金の使い方や人の道という事について日本人らしさというものが無くなりつつあった、これを露骨にやりつくしたのが小泉政権の時代だったが、品性は未だ回復せず、そう言ったところか。

困っている人を助けるどころか、その困った人達を増やす事に鈍感になっている人達が行政、企業経営と言ったものに携わるのだから、こういう考え方をもたらした欧米文化なども見直していった方がいいのではないか。

経済至上主義のその結果が今のような時代では、果たして社会が進化していると言える人がいるとは思えないのだが。

アベノミクスでは国民の期待に応えられない?! [経済]

アベノミクスなる言葉でなくとも良い事は良いし、おかしいと思う事はおかしい。
痛みを伴う改革という内容でブログにも書いたが、経済という事で、偉そうに色々政策を講じて実施しても、いつか来た道をまた歩いているに過ぎない、そういう事がアベノミクスの根本には垣間見える。

若者の車離れとか、多用な働き方ができるように雇用の自由化とか事象、政策の帰結しているところは、一部の富裕層に富が偏って再配分される状況を政府が作り続けていることであり、これを是正しなければ、国民の閉塞感はなくならない。

私はでっち上げられた事案で支援を依頼した共産党には、神経を逆なでされるような対応を何度も受けているので、この党を支持する気もないが、この党がバブルが弾けて以降の一般労働者の給与水準と経営層の所得水準について、かたや漸減し続けているのに、かたや漸増し続けている事を指摘していたが、この構図は全く変わっていない。

さて、10人の中の1人が所得が増えて、普及車から高級車に乗り換える、その一方で残り9人が所得が減って、ある人は普及車の乗り換えが何とかできるが、多くの人は買い換えができずにそのまま乗り続けるか、グレードを落として乗り換える。

上記のケースと、10人全員がそこそこ所得が増えて、最低でも普及車の乗り換えはできるが、高級車には手が届かない。しかし、無理をして他のことを我慢して高級車を買う人もあるいは普及車でも装備を上げて乗る人もいる、このどちらが長期的に成長に寄与、あるいは低迷させるか、明白ではないだろうか。

10人の中の1人しか富んでいない場合、金を持っている人物が高級車1台は買っても普及車10台は買わない。つまり10人分の消費など生まれやしない。

車に例を取れば、たった一台の高級車に使う部品と10台分の部品ではどちらが経済効果があるかは小学生でも分かる。運搬だって1台分よりも10台分の方が流通にも金は落ちる。子供でもわかる論理であり、経済学云々という小難しい話など不要だ。

富める人数が多いほど経済は回る。
もし、一部が富めば必然的に他の部分もその後に富める、などと言う話が正しいのなら、小泉政権の政策で日本は経済が活性化して、今、アベノミクスなるおかしな言葉を新たに作り出さなくても経済の閉塞感はなかったのではないだろうか。

自分たちの政策の行き詰まりが見えたからこそ、小泉政権の経済の舵取りをした人物は投げ出したのではないだろうか。でなければ功名心にばかりはやっていた件の人物が経済を劇的に回復させた人物なる功名を捨ててまで大臣の椅子から降りることはないし、だいいち税金から俸禄を得ていながら自身が提唱して進めてきた政策を途中で放り出すのは無責任だ。

かつて企業減税は企業の日本からの脱出を食い止める薬のようなことが言われていたが、円高時に工場の中国への移転はあっても、企業自体が日本脱出というケースが問題になったことはない。
それなのに何故、企業減税がここのところ叫ばれるのか不思議でしょうがない。何故ならば、企業減税していなくても、ずっとこの間、企業の内部留保は増え続けていたからだ。

いや、金の価値が以前とは違うなどと言うなかれ、この間、一般労働者の所得水準はずっと下がり続けているのだから、何をか況んやである。

多少、懐が肥えてもイラクに攻め込まれたクウェートのようなことになったら、金がいくらあっても意味はないと思うがどうだろうか。もちろん、この場合、イラクとは中国の意味だが、中国とはそういう国家であるし、国民の中間層が疲弊し、少子高齢化の改善が進まなければ、結局、富裕層と自らを傲って見せても、そんなもの絵に描いた餅と同じであり、意味がなくなるのである。

話を元に戻そう。
現時点でさえ、日本経済を沈滞化させるように人件費を削っている企業が、本当に赤字で苦しんでいるかというと役員報酬は厚くし、ついでに内部留保も相当額増えている。

安倍晋三君は企業に言って賃金を上げさせた、そう言うのだが、安倍君に協力した企業の賃上げでさえ、実質所得としては前年度比16ヶ月連続の実質賃金の減少であるという、その中に入ってしまっている。つまりアベノミクスに協力して賃上げされてさえ、経済の好転に寄与していない、そういう状況で、何故、好景気がしずくが浸透していくように全体に行き渡ると言えるのか、言葉の意味さえわからなくなってしまっている人物を我々は首相に抱いているというのだろうか。

金の再配分がうまく行っていないから経済が沈滞しているのであって、中流層が厚かった時代、日本が経済が右肩上がりであった事、考えれば、中流層をどうやって増やすか、一億総中流化といわれた時代の要素を考えれば、かなりの部分について見通しが立つのではないだろうか。

自分さえよければは、非正規雇用を増やしたり、株売買への課税を減らしたりするような政策を取った自公政権そのものであり、道徳教育や情操教育の必要な連中は政権にいる連中と官僚達にこそ必要ではないだろうか。

もし再教育を受けたいというなら、私が講師として出向いてもよいのだが、声を掛ける度量があなた方におありだろうか。

アベノミクスについての感想 [経済]

人に誇れる話ではないので、読んだ後、すぐに忘れて欲しいのだが、私は英語を中学二年時に止めたような人間なので、標題のようなカタカナ語に馴染みがないし、意味もわからない。

そりゃそうだろう、安倍晋三の名前を取った造語なのだから。しかし、自分の名前まで付けるか?
私から言わせればこの時点で眉唾なのだが、その中心にいるという人物の話が耳に入ったので、少し触れてみたい。

このアベノミクスの実務推進者である人物曰く、富めるものが先に富んで、それがその後に一般に浸透していく、そのような話で、現在、多くの人に、経済とか暮らしが好転している実感がないのは、まだ、それが全体に行き渡る前の段階なので、いずれ、全体に行き渡るから早計に判断して批判すべきではない、との事。

しかし、この話、どこかで聞いたことがないだろうか。
もちろん、お隣、中国で鄧小平が、改革開放政策を打ち出した時に、そういう考えの下に中国経済を発展させる、そういう話は有名であるが、中国の話ではない。

お隣中国の話も、実のところうまく行っているかどうかは怪しいところがあるし、中国国民が本当に幸せかどうかも怪しい。

で、話を元に戻すが、実はアベノミクスを推進している件の人物と同じ事を言っていた人物が小泉政権の時にいる。もちろん経済政策の中心人物としてだが。

この人物も、何と言っていたか。飛行機の機首が上がれば、飛行機の後も必然的に浮上する、そのような事で、規制改革等の名目で非正規労働者の枠を拡大したり、いわゆるセーフティネットも張らずにいきなり乱暴な工事を始めた。

結果は皆さん御存知の通り、日本の労働者の中の非正規雇用労働者ばかりが増え、格差も拡大、経済は低迷化という結局、庶民からむしり取られた金が一部の富裕層に移っただけというだけに終わっている。

今回も、件の人物は、富めるものが先に富んで、そういう言葉を吐いている。つまりいつでも富めるものが富んで、その後景気が上向くことがなくても、富裕層は痛まない、そういう話である。もちろん、彼のこの言葉はあまり深く考えて話していないのでつい、本音が出た、そういう事ではないだろうか、そう思うのだが、結局、アベノミクス推進の中心人物にして、これなのであるから、この政府に景気浮揚を期待してもそれは富裕層にだけ還元されるものでしかない、そう思った方がいい。

税制 [経済]

国民経済あるいは国民生活に直接的に影響の出るものに税制がある。

昨年、消費税の増税を決めているが、但し書き条項がついている。
だが、財政のことを考えれば消費税の導入は待ったなしだと、財務省関係から強く話が出ている。官庁のなかの官庁である財務省の発信力は強い。

特に予算の査定という財布の紐を握っている関係から財務省の意向は全ての政策に反映されるということらしいが、しかし、財務省なるもののレベルの低さは先の朝霞の公務員宿舎建設に当時の野田佳彦財務大臣にゴーサインを出させるような提案をしたり、決して国家のレベルにあらず省庁の権益優先ということでもわかる。

せっかく蓮舫が名を売った仕分けが名を変えて、切り捨てたはずの予算が亡霊のように復活したり、いったいこの国はどういう予算編成仕組みになっているのだろうかという、奇々怪々な予算と執行ばかりが行われているのである。

所得税の課税に関してもかつては稼いだ金のほとんどを税金に持っていかれる気がする、そのような”窓ぎわのトットちゃん”であてた黒柳徹子の談話が新聞に載るくらいに高所得者に重い税負担(所得にもよるが50%を超す)があった。

ところが減税を繰り返すうちに高所得者の税負担だけがだんだん軽くなり、小泉純一郎のような詐欺師まがいの首相が出ると、増税ではなく税率を元に戻しただけだ、そのような言葉で減税していた税率を上げた時のその言い分が実は高所得者についてはそのままにしていたり、とても国民を代表する首相ではなく一部高所得者を代表する首相でしかなかったような人物などによって税負担の不公平感が強まっている。

そういう中で、野田佳彦のようなわけのわからないのが首相になるから不公平感の是正どころかさらに強める消費税の増税を行っているのだから、何とも開いた口が塞がらなかった。

今回、高所得者の税負担を上げるという話が出たがその後、具体案がどうなったかわからない。決まっているのは逆累進課税とも言われている消費税の導入話だけで、それも関連する話を見ていると、財政再建という観点からの導入であるはずなのに、既に、それを当て込むばらまき予算が、組まれているという。

税金は国民の安全安心を担保するために使われるものであり、少しの無駄も許されるものではないのに、どうして議員になると国民の上にいると勘違いして、勝手な論理で予算を決め、執行してしまうのだろうかと思う。

もっとも、多くは、議員と言うよりは、官僚が主導で、予算を決めてしまうというものがあり、職務上の責任で訴追を受けないという官僚の無責任さが追い打ちを掛ける。しかし、痛みを感じることのない連中に税制を本当に任せていてよいものだろうかと思うのだが、どうにもこの国の官僚は、傲りすぎているのではないだろうか。

しかし、天引きのような形で税金徴収があると、収める側もあまり痛みがわからないようなところもあるし、予算執行側も当たり前のように国庫に税金が入ってくると、何だか、自分たちが偉くなったような、国庫に入ってくるのが当たり前の感覚で、さも自分の金を動かすがごとく、無駄遣いへの罪の意識さえなくして、傲岸としている。

我々の家計で考えたら、どうだろうか。収入が少ないのに、それを大幅に上回る支出をし続けるだろうか。もちろん、収入を増やす算段として、リターンのある投資を行って、先行投資という意味で赤字の年度のある場合もあるだろう。

しかし、今、国が行っている予算執行で、全てがそういうわけではない。つまり多少リターンがあってもそれを大幅に上回る支出をしていればリターンがあっても間に合わない。そういう状態で支出超過をしている家庭はやがて破綻するから周囲から批判されるだろう。

何故ならば、誰でもわかる支出超過を続ければ周囲の誰か、あるいは公的に、それを補填(生活保護がそうだというわけではないが、そういうものを含めて)する必要が出てくる。そういう事を国家がするならば許されるというものでもないし、そういう感覚の人物が行政にいたら問題ではないのだろうか。

その問題であるはずの人物が実は行政に携わりすぎているのではと言うのが、民主党政権誕生の一つの力になっていたと思うのだが、何だか、財務省辺りに近づくと、その伏魔殿で、簡単に洗脳されてしまうらしい。

はてさて財務省は一体誰のために仕事をしているのだろうか。でもちゃんと仕事をしていたら、世界一の借金などと騒がれる事態にはなっていないとも思うのだが。

所得税、どうなったっけ? [経済]

2000年代になって所得税の増税があった。いや、正確には低中所得者層への増税と言ったほうがよかっただろうか。

何故、こういう話を蒸し返しているかというと、当時、我が家や私自身が色々大変なことがあって、そういうニュースに耳を傾けている余裕がなかったので、国会の論議の末、実際にどうなったか、結末を記憶していないので、正確なことを知っている人がいたら、と。

いや、こんなもの、政治が信用できるならば、こういう事で終わったんだろうな、そう思えるのだが、当時の与党というか、首相が全く信用できる人物じゃなかったし、野党も今回、野党に滑り落ちた体たらくを見れば、ちゃんとやったか疑問に思えるからなのだが。

事の発端は、長い経済の低迷を脱するために所得税の減税を行った、ということなのだが、私自身はその恩恵を受けた記憶がないので、あまり、記憶になかった。そうしたら当時の首相の小泉純一郎が増税するとしたのである。

ところがこの話、子供騙しで、前にも書いたように低所得層や中所得層の所得に掛ける税率が上がるが高所得層に掛ける税率はそのまま、という何ともふざけた内容であった。

これを当時の野党が、何で、低所得層や中所得層だけが増税なのか、そう糾したが、小泉純一郎の答えは、「増税ではない。減税していた税率を元に戻しただけだ」そう言い張った。
だったら、高所得層も同じように前の税率に戻せよ、そう思うのだが、そういう意見には頑として無視し続けた。

結局、減税前と較べると不公平な税率が所得税として掛けられるようになってしまったが、もちろん、大御所の竹中平蔵は、できるだけ税金を払わないで済むようにしたいという個人的立場からも、それが実現することを願っていたようだ。

こんなのありかよ、多くの人はそう思ったに違いないのだが、これがその後、是正されたという話を聞かないので、日本人庶民特有の長いものに巻かれろ、で今日まで来てしまったか、どこかで是正したのを私が知らなかったのか、どうだったかなと。

私も自分の人生で破格な給料をもらったというためしがなかったが、それでも一人暮らしで、たいして出費もないのに、安い給料で部下を働かせたくないとして、自分の昇給はいいから、部下に配分してくれと、会社に対して、言った事がある。

しかし、今時そういう考えは流行らないようで、おかしな奴、とかそういう事をすると、会社の文化が崩れるとして、かえって悪い印象を会社に持たれたようだったが、でもまあ、それは民間企業の中での話であり、国政でおかしいんじゃないの? 人間として持っている人がたくさんだそうよとか、そういう考えが失われるのって、国として、おかしいんじゃない? 私は、そう思った。

対中国経済交流、リスクについて忘れていないだろうか?! [経済]

まだ経団連のタヌキがトップに居座っているようだが、タヌキに中国の実態はわからないだろう。いや、目先の利益に目がくらんでいるおバカ経営者たちの代表として、相変わらず、中国大事とやっているらしいが、たぶん、大手の多くの経営者の頭からは中国漁船の巡視船への衝突行為のすぐあとに起こったこと、消え去っているのではないだろうか。

菅直人に続く野田佳彦の尖閣国有化での中国国内での反日行動等でほとんど消え去ってしまったが、実は、中国漁船衝突問題で漁船の船長を逮捕した時、中国国内では日本の企業の社員複数名を逮捕して、人質にするという動きを中国はしていた。

戦前の日本を正当化するつもりはないが、戦前であれば、日本人保護を名目に中国に派兵するほどの、強硬手段を取れる内容なのだ。だが、中国は日本がそのような実力行使には出ないとタカを括っている。つまり日本政府は舐められたということだ。

案の定、時の菅直人首相は、慌てて、中国人船長を中国に返した。これが超法規的処置だったことは、その後に検察内部で書類送検が行われたことでも明らかだ。

しかし、近代国家、国際的に求められている政府が存在する国家で、自国の主張を通すために難癖を付けて民間企業の社員を拘束する国なんて、いわゆる欧米先進国では考えられないのではないだろうか。

中国は、欧米先進国とは事情が異なる、つまり勤務するには色々なリスクが伴い、場合によって国家による不当な拘束もあり得る、そういう国であること、どれだけの企業が認識しているだろうか、という事である。

認識というのはいわゆる駐在に関して、単なる赴任手当とか海外勤務手当とか、そういうものではなく、より高いリスクがあるという危険手当や保険を掛ける、そういうことだ。逆にそこまでやれば、中国への進出は割高で決して進出するのにメリットのある国とはならない、ということだろう。

しかし、中国と経済協力をと言っている経団連にとってはそういう事が表に出ると都合が悪いので、中国漁船による巡視船衝突事件直後の中国政府による日本企業社員拘束事件はなかったかのように、全く言及していない。

こんなのは逆で、そういうことがあったら自分たちのところの社員が安心して働けないから、二度とそういう事のないように保証しろとか、経団連自体が中国政府に詰問していくべき問題なのだ。ところがそういう事には、知らぬ顔をして政府には仲良くしろとか、経団連の論理とは、何か? 狸親父に聞いてみたいものだが、狸という謀略とは遠い、見た目の狸そのもの程度の頭しかないのではないかと思う。

日本企業の進むべき方向 [経済]

久しぶりに企業経営についてコメントする。

アベノミクスなるものに対して賛否がある。
その批判の話の中には破綻した時の地獄絵さながらの経済構図が語られているものもある。

賛成の話の多くは輸出型企業が牛耳る経済界だろうか。

確かに、具体的なビジョンを示せるものはなく、おおよそ、虚像の話、つまり実体経済ではなく金融先走り感の強いアベノミクスではある。
それでも閉塞感が続いた90年代以降の日本経済から見れば、動きができただけでもよしとしなければならない、そういうことかもしれない。

だが、一般庶民からすると株はほとんど関係ない話だし、輸出企業が儲かっても、その企業の従業員でさえどれだけ還元されるかわからない、そういう状態の中、そういう企業とは無縁の企業と働いている人たちには、電気料金とか小麦粉の価格上昇による粉物等あるいは製品の値上げの方が切実だろう。

そして中小企業もまたその恩恵にあずかれないどころか材料費の値上げを製品価格に転嫁できずに苦慮するという話が多く出ている。

その中小企業の中で堅実あるいは順調な業績を上げている企業というのが、昔からの日本型モノづくりの強い企業であるということ、一般に知られているようないないような。

日本人は言われているほど、頭はよくない。かと言って馬鹿でもない。
いや、頭は優秀だと言われるゲルマンやユダ(今のイスラエルは本当のユダとは言えないようだが)と言った民族と実はあまり変わらないかもしれないのだが、平均的であるか、あるいはバラツキが大きいという差なのか。

バラツキというのは実は上のほうが優秀なゲルマンやユダに比して、大して優秀でない日本人が優秀であると勘違いして多くの人間を支配できるという構図を作っている、その差かもしれない。

日本企業で先端的製品を出す企業はあまりないのだが、それこそ現場で使われる製品を作る、それも高度の技術と品質を伴うモノづくりをしている日本企業はたとえ中小であろうと高業績を上げている。

モノづくりの大手企業が次々と安い労働力を求めて中国シフトしたのに、かえって業績を落としていることを考えれば、日本型企業の進む道は見えるというものだろう。

もっとも、今の学校教育あるいは日本社会が画一型から脱し得た時、欧米型の先端技術主導型の企業が日本にも数多く輩出されるかもしれない。しかし、そのためには人の褌で金を稼ぐ連中に他人よりも多く金が入っていく構造を改めることも必要かもしれない。

発想は貧困でも、現物を前にして、何が問題なのか、そういう事で解決していく力は平均力の日本人向きなのに、その現場力を落として、貧困である自らの発想力に気づかずに経営手動で数字だけ良くしようと考えた一部、というよりは多数の大手企業の経営者の間違いが今の日本経済の低迷を招いた、この事に気付いた人もかなりいるようだが、是正はまだされていない。

実は貧富差の小さかった時代の方が国民全体に活気があった、そういう話もあるのに、既得権益を手放したくない連中の力が上回るという、これも民主主義とか多数決とかいう時代に、不思議なことではある。

潮目の変わった対中関係 [経済]

日中に先んじた米中関係の改善を追い越すべく政治、経済ともに進展してきたように見えた日中関係も実は、日本が中国を見誤っていたという実態が露呈して今後、ますます迷走していくような状況が深まりつつある。

次の10年を担う中国のトップ人事が決まって、さあ、と思われる向きはないと思うが、今、それを期待している馬鹿と言ったら経団連のたぬきくらいのものだろうか。

我が母が、毎日のように報じられる尖閣の領海につながる接続水域への中国公船の侵入に対し、あれだけ国土を広げてまだ、尖閣まで取ろうとして欲深い、そう言うのだが、まさしくその通りで、いったい中国という国はどこまで領土領海を拡張すれば気が済むのか、そう思える節がある。

今、ロシアも国力を落とし、アメリカも景気低迷と中東が足かせになって世界の警察を標榜できるレベルではないし、アジア地区で一番の軍事力を誇る日本にしたって、瞬時の局地戦程度でしか、軍事力の整備が行われていないし、第二次大戦後の65年間、戦争とは無縁の平和国家であることは世界が知っている。

周囲がそういう状況であるのに、ただ一国、着々と軍備増強を図る中国を誰も平和国家と思わないだろうし、どこかおかしいのではないだろうかと、思わぬほうがおかしい。そういう国に軍事技術や兵器製造のノウハウを与えるバカがどこにいるだろうか、そう思うのである。

しかし、その馬鹿さ加減が鼻につくほど行ってきたのが日本なのだ。そして今、こういう事態を迎えてもなお、経団連のたぬきのようなバカが経済活動が順調に行われるように、と日本の政治に注文をつけているのだが、中国という国が信用ならないということ、まだわからないのだろうかと思う。

日中国交回復に当たって、鄧小平が松下を訪ねて中国の近代化への協力を求めたことは有名だが、しかし、中国だって一枚岩ではないし、特にふざけた話なのが、日本が無償借款までして中国の近代化に協力している一方で江沢民のような反日保守反動勢力が着々と、自分たちの勢力を伸張させるための反日教育を行ってきていたという現実。

今回、中国の指導部7人の中の5人が江沢民派と言われて、中国も保守回帰した感が有り、いや、その次の世代に胡錦涛が布石を打ったから5年後に定年を迎えた連中の後継が指導部に入れば今度は胡錦涛の睨みが効くようになる、そう言われている。

だが、どっちに転ぼうが、中国として周辺国家と平和的に協調して国家運営をしようというものではなく、力づくで海洋権益を奪い取ろうという姿勢が丸見えなのは事実であり、またそれをもはや隠そうともしない驕りの出た国家を信用できるのだろうか。

今回の反日の騒動で起こった日系企業や日系の店舗被害に対して、日本政府に責任が帰するとして中国は一切補償をしないと公式に宣言した。

既に中国進出で製造業としてはうまみどころかマイナスあるいはリスクの方が大きいことが明らかになった現在、中国進出企業の多くはどのように撤退するか、それが課題になっている。あまり公に知られてはいないが先端技術に近いような機械など中国で製品製造で使おうと日本から持っていくと、日本に戻そうとしてトラブルになる、そういう話が以前は多かった。

中国進出企業がまだそれほど多くない時代で、進出自体に相当のリスクのあった時だ。そういうことを乗り越えて多くの日本企業が進出したのだが、果たして工場撤退で、機械を持ち出せるかは疑問がある。なんだかんだ言いがかりをつけて機械はそのまま手放させられるのではないか、そういう心配を多くの経営者がしているが、結局他所の国に進出するということは、そういうリスクがあるということである。

そして撤退が続けば、中国にとってもリスクが大きくなるので、あれこれ言いがかりをつけることが出てくる。中国という国、何にでも口実を設けて金をむしり取る国である事、忘れてはならない。進出もだが撤退も経営者にとっては頭の痛いことだろうが、今の中国では平和的に操業できるという保証がないことを考えれば中小にとっては死活問題になる。

習近平が仮にどこかで融和政策をとったとしても長期的に日中が、中国の領土的野心が収まることはないので、対中は世界の中の一消費国程度で考えられる程度の相手にしていないとリスクは大きい。中国の領土的野心が収まるとしたら、中国の中の不満爆発で共産党政府が崩壊し、中国が民族レベルで分割化する場合だけだろう。

だが、その時でもかえって無政府状態になればあの民衆の略奪や破壊活動を抑えるのは一企業としては至難であろう。という事は頭を使わずに済んでいた中国進出のようなことから離れて、ちゃんと独自性を持った企業経営をして、健全な企業活動をすることだ。

いや、これは経済活動という意味では一企業での話になるかもしれないが、対中という意味では国家レベルの話になる。政治家も官僚ももっと国家戦略をしっかり立てないと、第二次大戦に至ったおバカな体験が全く生きていないということになる。いや、官僚に任せるとこうなる、そういう経験から、官僚に国家戦略に携わせてはならない、そういうことか。
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