So-net無料ブログ作成
検索選択
スポーツ ブログトップ
前の10件 | -

ホームラン [スポーツ]

ヤクルトバレンティン選手のシーズンホームラン記録樹立前後から、王選手の不可侵の記録との兼ね合いで、色々な話が出ていたが、忸怩たる気持ちを抱いている、王選手と同時代のプロ野球選手も多いのではないかと思う。

昔は、三角ベースなる野球の真似事で遊んだ人も多いかと思う。私はチャンバラごっこの延長線上に三角ベースが来るタイミングで引っ越しをしたりした関係で、キャッチボールもまともにしたことはなかった。的当てなどは図抜けてよかったのだが、野球とは無縁で大人になった。

いや、実は高校に入る時には野球をやりたくて、甲子園出場経験もある学校に進学した時に、野球部員だった中学の同級生に色々聞いたのだが、随分と金が掛かるという。中学生の時に家でシャドーボクシングをやるついでにシャドーピッチングをしていたので、投手なら何とかなるかと思ったが、まともに野球などしたことのないのが高校から始めてものになるか、自信がなく、結局、入部しなかった。

社会人になった時、研修でソフトボールの試合があり、高校野球をしていたという人物が捕手で、私が打席に入って、初球を空振りした時、思わず、”すげえ”と言って、守備を思い切り下げさせたので、どういう事か聞いたら、スウィングの音が、高校野球の選手でもそんな音はなかなかでない、そういう音だったという。

それに味を占めて、仕事では呼ばれなくても、ソフトの試合など助っ人で行ってホームラン賞などもらったりしたが、その後、職場の先輩に誘われて会社で、草野球チームを作って、楽しんだが、個人的にはその先を考えていた。つまり軟式ではなく、いずれ硬式のチームを作ろうと考えていた。

それで、草野球の試合でもプロの選手でさえ重すぎて使わないという1kg近い硬式用のバットを振っていた。重いので他のチームメイトは振れないが、私には手頃だったので、それを使い続けていた。しかし、自分の感覚ではホームランになっていいはずの打球が、二塁打、三塁打止まりでなかなかホームランは出ない。だから草野球での柵越えは10回程度だろうか。

自分でも硬式だったら確実に右中間、左中間に入ったと思う打球が二塁打止まりの理由が、軟式ではバットに乗せないと柵越えに繋がらない事を知ったのはもう辞める頃か。だいたい、軟式では、軽いバットで速いスウィングでないと飛ばない、らしい。だから硬式に切り替わらなかった時点で、私の硬式用のバットは無用の長物だったのだ。

もちろん、周囲の人物はそういうことを知らないから、長打は多くても以外とホームランが出ない、そう思っていただろう。軟式でずっとやるなら、軽いバットでホームランの醍醐味をもっと味わうのだった、そう思うのだが。

そのように一口でホームランと言っても、バットも然り、ボールも然りで、道具に依存する要素も大きい。そういう経験でバレンティン選手のホームラン記録を見た時、例えば、王選手の55本の記録時、他の選手がどれだけ打っていたかなど考えると、抜かれたこと、ちょっと悲しい気がする。

つまり王さんは硬式用のバットでも軟球を柵越えする技を持っていた、そういう事なのだろう。一方バレンティン選手は硬式用バットで硬球を打つか軟式用バットで軟球を打つか。とにかく、他の選手のホームラン数など見れば、王さんの時は決して飛ぶボールなどとは言えなかったような気がする。

もっとも、球場によって、ボールは違う、つまり主催者側が試合球を用意する、その為に球場によってボールの飛距離が違う、そういう話もあるが、王さんの時は長島選手も同じボールを打っていて、20本以上の差がある。やっぱり王さんはたいした物なのだと思う。

王さん自身は二試合に一本ペースなんてバレンティン選手は凄い、そう祝福しているが、飛ぶボールを使ってるんだから比較にならない、そう言われるような背景を作ったコミッショナーはどう考えているだろうか、そう思っていたら、批判が来る前に、と辞意表明してしまった。

このプロ野球佳境の時に、辞める時まで水を差した、本当に野球を愛してない奴、という評価になってしまったが、確かにあのコミッショナーからは野球に対する情熱も愛も感じられなかったなあ。

地位とか法曹関係者とか、そういうのではなく、もっと情熱を持った人物をそろそろ探すようにしたほうがいいんでねえの?
そういやあ、バレンティン選手のホームラン数が60本に到達してしまったが、記録更新の度に盛り上がるべきものが盛り上がらなかった背景には、手放しで褒め称える環境が整わなかった事も大きいんでないかい。

流石にフロックでは60本には行かないと思うから、であるなら、飛ぶボールとかいうことでなくたって、記録更新の可能性はあったということで、余計なことをした分だけ、水を差してしまった、そういう事か。

高校野球、前橋育英の優勝で夏は終わり! [スポーツ]

ベスト8が闘った準々決勝から勝ち残った上位校の差はあまりないように思ったが、テレビ桟敷の評論家としては順当な結果となった、そう思う。

強豪校などと予想された中に前橋育英はなかったように記憶する。
その前橋育英が初戦で、完封した時、私は試合を見ていないが、新聞には投手の強気のコメントが載っていた。

次の試合も見てはいなかったが簡単に完封されるような対戦相手ではない相手を完封していたので、投手の強気のコメントを裏付ける投手力であることはわかったが打撃力としては投手力のいいチームからいずれも一点ずつしか取れていないので、どのようなものかと思っていた。

打撃力が決して劣っていなかったことは横浜を一方的に下した試合でわかる。
そういう目でベスト8に勝ち残ったチームを見ると前橋育英は優勝の目をもったチームであったと感じる。

決勝では、延岡学園に先に点を取られたが、延岡学園が勝つ目をもっていたとしたら、先発した投手をもっと引っ張った時だっただろうと思う。その意味で少し延岡学園の生徒達に可哀想な気がした。

延岡学園の監督は前橋育英の反撃を受けた時、指導者ではなく監督として自チームを見たために選手の状況を見誤った。

前の試合でもスクイズを失敗して、自分の失敗だったと認めていたが、甲子園に出るようなチームのそれも決勝に残りようなチームでも、指導者が、つい監督になってしまう、高校野球とは、やっぱりそういうものか、そう思ってしまう。

結局、監督の采配で延岡学園は負けたように思うのだが、しかし、その事を置いても前橋育英の守備は随分と鍛えられ、攻撃の引き出しがこんなにあるのか、そう思わせる試合をしていた。

今年の高校野球は下馬評を出す記者達に目がなかっただけであり、前橋育英の優勝は順当だった、試合を見た人達はそう思うだろう。

いつもながら思うのは、いい試合に水を差すのはいつも監督という名の大人達であるのだが、今回は前橋育英の監督が水を差す機会が少ない試合運びを前橋育英の選手達がしたという事だろうか。

高校野球、勝ったチームが強いチーム?! [スポーツ]

強豪校とか春夏連覇あるいは夏連覇、そのような枕詞がつく学校が出るとつい、判官贔屓と言えば、聞こえはいいが天の邪鬼の血が騒ぎ、対戦校の方を応援してしまうが、中にはつぶし合いとなる対戦カードも出てくる。

そういう場合、どちらを応援するということなく、単に内容だけを見る場合も多い。
今年は結果としてそこそこの投手力を備えた学校がベスト4に勝ち残ったが、ベスト8での闘った内容を見ると強い学校が勝つのではなく、勝ったチームが強かったのだと感じるゲームが多かった。

まあ、高校生辺りの、それもアマチュア野球なので目くじら立てて、と指摘したり文句を付けてもしょうがないところもあるが、いいチーム同士で拮抗したゲームだった場合、審判の技量で勝ち負けがひっくり返ったようなゲームもあったので、そういうところはプレーをしている高校生に可哀想な気もした。

私は自身のとんでもない裁判沙汰の話とは別に、日本人は基本的にフェアな人種なのではないかと思っている。特にスポーツで、日本人と外国の選手が闘うシーンなどでは、審判のいるものだと特に、外国人の側に必要以上に立つ審判が多い気がするくらい、審判自身が身を律している気がする。

スポーツにはそういうフェアな精神を子供に身につけさせるいいところがあり、特に、日本人に人気のスポーツである野球がそういうフェアさをしっかりゲーム運営上で発揮していることに、野球ファンとしては喜びを感じるのだが、残念ながらマイナス面もある。

たかがスポーツ。であるのにお国気質が出る、というのも野球らしいが、必要以上にプレーの精度に厳しいというのは、興を削ぐ。

日本の審判は世界最高と言われているが、WBCの時、ハーフスィングをより正確にゲームの興を削がない形で処理していたのはむしろ外国から来ていた審判達であった。日本国内ではハーフスィング自体は振っていないのだからセーフにすればいいものを必要以上にストライクに取るケースがほとんどで、その傾向が高校野球にも伝播してしまっている。

だが、WBCで主審を務めた外国審判達のジャッジの方がベース板を越していないものはセーフにしていたし、明らかにと言うものだけストライクコールになっていたが、今の高校野球では選手が気の毒な判定が多過ぎる。

厳密にやった方がいいのは、キャッチャーが投球を受けたその位置からベースの方に動かしてストライクのコールを受ける事は止めた方がいい。捕球時にキャッチャーミットを動かすような姑息なものは、野球に似合わない。

外国でのゲーム時に外国の審判は何故日本チームのキャッチャーがそういう事をするのか、疑問を感じているという。ハーフスィングよりも、捕球時にキャッチャーミットを動かした場合、ストライクに取らないと、やればいいだけである。

外国の審判でそういう事をする審判もいるようだが、フェアという事を重んじるならば審判ももう少し野球のフェアの意味を勉強してよい社会人作りに貢献してもらえたらいいと思う。

いいプレイをしたから勝った、そういう高校野球はどうだろうか。今? けっこういい線をいってはいると思うのだが、実は大人の方に問題が多いかも知れない。

高校野球、奈良代表の桜井高校 [スポーツ]

日本には色々な野球ファンがいると思う。

その中で、高校野球のファンが一番、層も広く数も多いのではないかと思う。
私自身は高校野球とは無縁であったが、それでも草野球は楽しんだ口だ。その草野球をしていて気になったのが高校野球をやっていた連中だった。

楽しみ方が違うのである。本気でそういう連中を相手にしたら、血を見るくらいの馬鹿さ加減なのだが、しかし、昔気質の高校野球に染まった連中にはそういうことがわからない。

東大野球部の話を取り上げたことがあったが、例えば、その東大野球部のコーチとして招かれた桑田氏。東大生などよりもよっぽど理論派である。

東大とか東大生を馬鹿にする私も桑田氏をコーチに招いた監督については馬鹿にしないし、いやそれどころか、立派だと思っている。

桑田氏に限らず、プロで名を為すほどの選手の場合、昔気質の高校野球に染まった馬鹿な連中とはやはり違うようである。野球放送の解説でなく、単にインタビューというものでの彼らの考えを聞くと、大方は今の高校野球の考え方ややり方に批判的である。

その根底には、プロであっても野球を楽しむという考え方を持っている、そういうことなのだろうと思う。
さて、高校野球の方はどうであろうか。
相変わらず、テレビや新聞などマスコミも含めて、前時代的考え方に染まっているのだが、せっかく野球を楽しもうと思ってもそういう馬鹿な連中が関わると白けるのである。

以前、長崎の清峰高校野球部監督が、なかなか立派な話をしていたが、一昔前に較べると同様の考え方をする監督が増えたのは、高校野球を教育の一環とするという感覚から言えばいいことだと思う。

私は同じスポーツでもサッカーという競技については批判的な見方をしている口だが、サッカーと較べて野球にはフェアさがあると思っている。そのフェアさをより、いい意味で出した学校が桜井高校だったのだが、あまり新聞テレビ等のマスコミが取り上げていないようだ。

いい話あるいはそれが原点であるという話にはやはりマスコミの人間が鈍感である、そういう事だろうか。

私自身が全てを見聞しているわけではないので勘違いもあるかも知れないが、私がいいプレーだと思ったのは、
相手の失策を喜ばない
打点を上げるなど活躍してもガッツポーズをしない
必要以上態度に表して喜ぶような事をしない
などである。

プレイ、ゲームであるならば、そのゲームを楽しむために相手をしてくれる存在が必要である、そういう事まで頭が巡らなければならない。高校野球経験者に多いのが、敵味方関係なく、興を削ぐような野次を飛ばすというものがある。

ゲームの相手をしてくれる、その相手に対して、そういう事をするのは失礼だという感覚と、ゲームを楽しむという感覚がそこには感じられないのだ。

そしてその延長上にガッツポースがあったり、危険なプレー、ずるいプレーが存在してくるし、勝利至上主義が持ち上がってくる。

同じ目的を共有することまで批判するものではないが、しかし、野球の持つ面白さや、創意工夫をする面白さ、楽しさを果たしてどれだけの野球部監督が意識しているだろうか、という事に関しては疑問を解消できない。

奈良桜井高校の野球部の良さを他の高校野球チームも見習う余裕があるといいと思うのだが、やはり勝利至上主義がまかり通るのだろうか。

終わってしまった夏、だが… [スポーツ]

毎年、この頃になると、一度喪失感のようなものに襲われる。
いや、これは私だけではないと思う。

何ということはない、母校の状況がそうさせるのだ。

どうにも、おバカ教師連中と学校のあり方に我慢がならなくて中退した身でありながら、在学していた高校の高校野球の成績が、夏と秋には気になる。

母校は甲子園出場経験があるので、夏の高校野球シーズンになると、勝ち上がりが気になる。出場経験があるといっても、私が小学生の頃に強豪校だっただけで、私の頃は、入学前年に野球部内での暴力事件で出場停止になっていたり、芳しい成績は収めていなかった。

それでも地区の強豪校として復活し、甲子園に出場していなくても、大体毎年のようにベスト8近くには行く。ということは甲子園に行く可能性もある、という事で、つい、予選の成績を見て期待してしまうのだが、敗退とともに私の夏は一度終わってしまうのである。

全国の甲子園出場校が決定するとまた、夏が復活するのである。今度は郷土代表が勝ち抜くことを期待して。だが、郷土代表がそのまま勝ち上がることは少ないので、自然、地区レベルまで応援が広がる。

郷土代表が負けて2度目の夏が終わるのだが、勝ち残りの高校の中に話題校があると、何となく、夏が続いている気がするものである。

という事で、甲子園出場校が続々と決まっている中、気分転換で話題を拾い読みしていると、決勝まではまだ間があるのに、勝った方も負けた方も選手が泣くという試合があり、まだ予選ながら、感動の試合だったらしい。

高校野球に関しては一家言あるが、そんな事、関係なく、こういう事もあるのかという試合、時間のある人は見て損はないと思う。

試合は甲子園出場経験もある、地元の私立強豪校の福岡工大城東の自責点0.0のピッチャーに抑えられて失点5、得点ゼロで9回の裏を迎えた門司学園の攻撃という場面(末尾のリンク)。

なお、学園と学校名につく高校は通常、私立だが、東大野球部出身者が監督として甲子園出場した経験もある埼玉の伊奈学園総合高校の例でもあるように最近は県立の学校でも学園と付く学校があり、門司学園もそういう学校らしい。

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&frm=1&source=web&cd=9&cad=rja&ved=0CGQQtwIwCA&url=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D86_lNKiPEm4&ei=L0zxUYL3EoHxkAXpt4BA&usg=AFQjCNGXyz3QMMqGQZjJe8jc6QucOwL1lw&sig2=oNTk6AnTAtV4RwnKa8MVMg

猫ひろしのオリンピック出場問題 [スポーツ]

まあ、あんまり取り上げたくなるようなものではないが、所轄組織から正式に裁定が出て出場できなくなって、かえってよかったのではないかと思っている。

カンボジア国民の中で出たい選手がいなかったり猫ひろしが出場する事によりカンボジアの国益にかなうと言うならば、カンボジア人もそれなりに納得するだろうが、まだ、国自体がそれどころではないという中で、カンボジア人の中にマラソン競技で出場したいという選手がいたり、あるいは猫ひろしの記録を上回る選手がいるのであれば、無理を通すようなものではないと思う。

日本にもサッカーなどで日本国籍を取って、日本人として国際大会に出ている選手もいたり、以前はそういう選手が多かったが、そういうケースではあまり日本人の中に反対の声はなかったように思う。それは、本当に、その時だけという事ではなかったし、本人の帰化で、日本のその競技における競技力が向上したり、その個人の名誉欲だけの話ではなかったからである。

しかし、猫ひろしの場合、どう考えても単に個人の売名行為そのものでしかないのではないかというところからの出発であり、そもそも本来であれば、日本人として日本国内で他のランナーに勝って出場権を得るというのが筋なのではないだろうか。

他国への帰化で出場する場合、請われて出る場合と、実力がありながら、他の要因で出場機会を阻まれて他国からの出場機会を狙うというものがある。後者の場合でも、帰化先にとってメリットがあるからこそ、出場できるのであって、とても猫ひろしの場合は、そのどちらでもないことはわかりきっている。

ごり押しは相手国に対して傲岸不遜としか映らないだろうし、この裁定はよかったと思う。最近、日本で出られないからと他国からの出場を狙う選手もいるようだが、高見を目指す事は悪いことではないけれども、個人の欲だけでそういうことを考える風潮には賛成できない。

ただ、見返してやろうという反骨精神から他国に行ってまでもメダルを取る選手は応援したい。何故ならば日本の競技団体で、不透明な選考をしている団体が少なくないからである。しかし、純粋にスポーツが好きでスポーツをやる素地も残しておいて欲しいというものが、オリンピックには無縁だった私にはある。

そう言えば、私の高校の同級生子供が今度のロンドンオリンピック出場が決まったが、メダリストの父親という事になる。まだ競技も始まっていないうちから、というものではなく、世界レベルの競技なので、もうメダルは決まり。

同級生本人も高校時代というかもっと小さい子供の頃からやっていたわけだから親子二代の宿願が実ったというところだろうか。同じオリンピック出場を目指すにもそれだけ長い努力の積み重ねで出る人もいるという事だ。

サッカーアジアカップに思う [スポーツ]

以前にも書いたが、私はサッカーファンではない。だからワールドカップといえどもわざわざサッカーの試合を見るということはしない。ただ、得点や得点経過を見るとかいうことはある。

そういう意味で、今回のアジアカップの準決勝の日韓戦、決勝の日豪戦を開始から終了まで見たということではなく、新聞を見ながら、パソコンでの作業の途中で、テレビのスイッチを切り忘れて、盛り上がった場面だけ、アナウンサーの声につられて、つい顔を上げて見た程度というところである。

そういうことなので、韓国の選手が猿の真似をしたところは、たぶん、別のチャンネルでそのもの自体を見ていなかったと思うが、勝負が付かず、延長になった時に、日本選手がゴール近くで倒れた時に、韓国選手がボールをフィールドから蹴り出し、対応できるようにした。

少し前なら考えられないと思うのだが私の認識不足だろうか。プレー自体は私の嫌う、足を引っ掛けたり、引っ掛けられた振りをしたりという、そういう行為が日韓を問わず、両国の選手が行っていたので、その事をもって、どちらかの国を非難するという気はない。

だが、試合を止めた韓国選手のフェアプレーと再開後に日本選手がボールを韓国に返した行為はサッカー選手のアンフェアな行為がサッカーを嫌う元になっていた私には新鮮な驚きであった。と同時に日本に何が何でも勝って欲しいという気のない自分がいたことも、結果で勝ち負けが付いたが、スポーツのよいところがサッカーにもあるんだと、感じた次第である。

決勝はこれも結果で日本が勝ったが、もつれ合うシーンで必ず、先に立ち上がった選手が相手の選手に手を貸すシーンがあり、サッカーもようやく勝ち負けよりもフェアにゲームを楽しむというスポーツ本来のものが出てきたのかと思う。

こういう良いものは、皆に真似して欲しいし、こういうゲームとおかしな民族意識の高揚の手段としてスポーツが使われることのない気持ちを子供達には見てもらいたいと思う。

141メートル [スポーツ]

最近不愉快なことの中に、ひじょうに下らない、女性グループの売り出しに乗ってしまったテレビ業界の事がある。
 かつて、フジテレビでおニャン子クラブなるものを仕掛けた秋元康という人物が、モーニング娘。なる、つんくという人物の仕掛けに触発されたかのように、再度、AKB48なるグループを仕掛けて、まさか、皆さんがそういうものまで受け入れるとは思わなかったが、今、テレビのチャンネルを変えてもNHKを入れて3局で同時進行だ。

この国は腐っている、そう言いたいが、そのNHKのスポーツ放送で取り上げられていたのが中学2年生の女の子だ。
同じ女の子でもこちらの方が爽やかだし、見ていて楽しい。

先週末、民放テレビ局主催のスキージャンプ競技で男子選手を上回る飛距離で優勝した女子選手が中学2年生の高梨沙羅選手で、その時の飛距離が141メートル。以前、活躍した秋本正広選手もびっくりの飛距離で惜しくも決勝では負けた高校1年の伊藤有希選手も準々決勝、準決勝では140メートルに迫ろうかという大ジャンプを連発し、139.5メートルの飛距離を記録している。

誰が誰だかわからない集団で出てきて特徴のない歌や踊りをやられるよりは、ひたむきに競技に没頭する女の子の方が輝いていて、見ていて感動をもらえる。

明日は都道府県対抗女子駅伝もあるが、新しいヒーロ-、いや女性だからヒロインなのか、でもヒーローと呼びたくなるくらい、今や女性アスリートは男性顔負けの活躍をしてくれる。スキージャンプの中継はどうだったか。ウィンタースポーツ盛りだくさんの時期に下らない仕掛けに踊らされて時間をロスする気にはならない。スキージャンプのテレビ中継にも女子部門が外せなくなった気がする。

斎藤佑樹投手入寮 [スポーツ]

昨年、ドラフトで日ハム入りが決まった斎藤佑樹投手が今日、鎌ヶ谷市の日ハム二軍の寮に入った。
報道陣やファン、近所の人達が見守る中入寮した斉藤投手は笑顔でファンに答えていたが、今からプロとしてのファンを大事にする心構えができているところがりっぱである。

最近、そのような対応ができた選手を見たことがない。
ジャーナリストの鳥越俊太郎氏も齊藤投手に関しては、一プロ野球選手に留まらない能力を感じさせる人間の幅があると褒めていたが、なかなか若いのに物怖じしない、かといって図々しさを感じさせない爽やかさのある好青年である。

体格的にプロの投手としては厳しいものがあるかも知れないが、同一リーグにはソフトバンクの和田という大学の先輩が頭脳派の投手として活躍しているので、頭脳明晰なる斉藤投手にも参考にはなるはずだ。多くの野球ファンが活躍を楽しみにしていると思う。私も混パは歓迎だ。齊藤選手のファンとして見る楽しみも今シーズンはできたかもしれない。

高校野球と特待生 [スポーツ]

斎藤佑樹投手のすがすがしさを書いたが、他方、あまり応援したくないことも高校野球にはある。これぞ、野球という技、力を見るならプロ野球だと思う。イチローも打撃だけでなく、レーザービームといわれる肩で見せる野球を披露しているが、しかし、野球の醍醐味がそれだけなら、高校野球に人はそれほどの思い入れをする事はないように思う。

牛若丸ではないが、判官贔屓とか日本人の心というよりは、人間として胸を打つものが高校野球には備わっているという事だろうと思う。ところが、それを無視するかのような風潮が出てきたので、高野連が特別委員会を設置して諮問し、作ったのが指針という形の特待生制限である。移行期間も含めて、運用し、その後の見直しを含めて、正式に人数制限を打ち出すという事である。

現在、その人数は各学年、5人という事になっている。高校在学は3年間だから、都合、15人が最大一チームで編成できる。つまり公立校のように一般入試で入った生徒の中からチームを編成して高校野球予選に参加するチームと特待生を餌に生徒を集め、そういう生徒でチーム編成した私学が同列で予選に参加するというおおよそ、スポーツフェアな精神の対極にある構図の中で高校野球は行われているのである。

学校側の思惑とは別に、生徒の側のいいチーム、いい指導者の下で野球を学びたい、そういう思いは理解できるが、しかし、現実はあまりに学校の売名行為に利用されている気がする。特待生で入学した生徒は、チームにとって戦力にならなかった時点で、チームにも学校にも必要とされない生徒という事になるのである。

これは、プロ野球の世界ではないだろうか。少なくとも高校野球は教育の一環としての位置づけになっているのであり、主役は監督でも学校でもなく、生徒なのだ。本当に手腕のある監督なら、特待生として全国から生徒を集めるのではなく希望してきた生徒の能力を引き出して勝てるチームを作るだろう。

齊藤君のいた早実とマー君のいた駒大苫小牧の決勝戦、そしてマー君が最後に空振りで勝負が決した時に打席からベンチに向かうマー君の笑った顔が、力を出し尽くした同士の本当にスポーツの良さを感じさせるいい場面で、これはテレビで見ていた全国のファンの心に長く留まるシーンだったと思う。そういうことの裏で、特待生制度の不公平感が表に出ないようにしてもらいたいと思う。
前の10件 | - スポーツ ブログトップ
メッセージを送る