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ずるい事 [報道]

電通の新入社員の自殺から電通という会社の負の体質が色々と報じられ、それをきっかけに行政が動き出したが、日本人社会は、そういう事の起こる体質だっただろうか。

研修という名の発展途上国からの研修生受け入れの農家、企業でも似たようなことがずっと報じられてきている。つまり日本人の雇用であれば派遣等短期であってさえ時給800円は払わなくてはならないところ、相手の足元を見るかのような低い給与で働かせている。

研修などというのは全くの名目であって、実質は発展途上国からの低賃金労働者の出稼ぎ、というのが実態である。それでも自国で働くよりは金になる、そういう事で我慢している労働者も多いらしいが、本来の技術習得という観点から外れたままにただただ、労働力としてしかあてにされていない、という実態に逃げる労働者も多い。

最近聞かなくなったが、一時期、日本で悪いことをする中国人の多くが、研修生名目で日本に入国、その後、研修などではなく単に、低賃金労働者としてしか見られていないという事で、逃げ出してそのまま、日本国内で犯罪に手を染めてしまっている、そういう事が多く報じられていたが、いまだに日本のやくざ紛いで報じられる中国人が多いのは、その後もおかしな研修制度が続いている,その影響か、と見てしまうがどうだろうか。

この研修制度、お互いの思惑が一致してなどというものではなく、単に低賃金労働者を確保したいという農家、企業の考えを行政が、それと知りながら、放置しているに過ぎない。

先月、レタスが400円近い値を付けたことがあった。立派なレタスならまだしも、以前のものと比べて、お世辞にも立派とは言えないものである。それとなく見ていたが、買い物客は皆素通りである。昼食には必ず山盛りのレタスを食する我が家でもさすがに、この時期、野菜ジュースや他の葉物で代替したが、高くても買う家庭はあるだろう。

農産物にしろ工業製品にしろ適正価格というものがあると思う。無理な低価格販売のために、その犠牲を他国からくる研修生という名目の低賃金労働者に強いるのは筋違いである。研修は研修で、しっかりその目的を果たすべきであり、嘘で人を釣るべきではない。

いつから日本はこういうずるい事を許す社会になったのだろうかと思う。売るために低価格にする、そのこと自体は許されない事ではなく、むしろ戦略としては当たり前だと思う。しかし、その手段としてやっている事が、情けない。こんなもの戦略でもなんでもなく単に、弱い者いじめである。

 そういう意味で、母子家庭で育ち、母親に楽をさせたいと、懸命に勉強して世間が称賛する東大という大学まで出た、その新入社員を広告業界の花形と世間に知られた電通という会社は使いこなすどころか、花開く前に散らせてしまっている。東大に入る、そこまでの過程で誰もその人物を非難する話ではないと思う。そういう頑張り屋の新入社員を自殺に追い込む企業風土とはどういうものだろうか。

先輩社員のみならず、そういう風土を看過してきた経営者に責任がないなどとは誰も言うまいが、日本の経営者も、また、おかしな風潮を看過している企業社員も、本来の働く意味合いを今一度考えてみてはどうか。

オバマ大統領の広島訪問 [報道]

オバマ大統領が現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問するという事で色々論議があった。
 日本のそれも原爆に被災した人や家族は謝罪の意思を伝えてほしい、そういう思いが強いと言い、一方アメリカ側では、特に米軍として戦った元兵士の大勢は原爆投下が正当な軍事活動であって、オバマ大統領の広島訪問が謝罪ととられることを危惧しているという。

 ふだんソネットのブログを見ていると、違うなあ、そう思う内容のブログをよく見るので、逆に言えば、私が書いていることに異論を持つ人たちもかなり多いと思う。それを承知で書かせてもらえば、前述の話、そもそもどうであったのか、そこからの話ではないか、そう思うのだ。

 このブログを読まれてる方は私が警察官や検察官に嵌められて罪に落とされていることご存知と思うが、その程度でも私は彼らをこの私の拳で撲殺したい衝動を抑えられない。つまり私が広島で原爆投下の被害に遭ったとして、その時に私に反撃する力、すなわち核のボタンを押せる状況があれば、当然押しているのではないか、そう思う。

 つまり当事者には第三者にはわからない、それほどの思いがある、そういう事なので私がここに書く事、被爆した人たちの神経を逆なでするかもしれない。

 謝罪? 戦勝国が敗戦国に謝罪する、そういう事はないだろうと思う。まして国家として決定した作戦遂行上のことであればなおさらだと思う。

 謝罪という話であれば、私も長く誤解していた、無差別爆撃、それを行っていることと繋がるのだが、これは広島、長崎に限らず、いわゆる東京大空襲というものが軍事拠点というよりはむしろ民間を対象にしたとしか言いようのないナパーム弾攻撃が主であったことなどから、これらが当時の国際法でも違反している、こういうことだろうか。

こういう事、戦後、日本は全く問題にしていない。日本本土空襲が行えるようになってからアメリカの担当司令官は軍事拠点だけに爆撃対象を限っていたもの、米軍内で生ぬるいとして、この立派な司令官は更迭され、無差別爆撃を行った後任の司令官は米軍内で評価されたという。

こういう国の作戦だから、当然おかしなこともあったと思う。つまり戦勝国であっても敗戦国に謝罪しなければならないもの、ということなのだが。

しかし、公平に見てみよう。では日本は誰にも非難されないような戦争をしていたのだろうか。もちろん、中国のようなあらゆることを自国に都合よくねつ造する国の話など一顧だにする気はない。だがしかし、しかしである。日本も中国国内で重工業地帯への無差別爆撃は行っている。

原爆という事に限ってみよう。アメリカは一方的に非難されるような戦争をしていたのか? たぶん、たぶんと書いたのは私がその当時に生きていたわけではないからだが、戦史を事細かく見ていった人は皆ご存知だと思うが、戦争は兵器開発競争の側面がある。

そして原爆もどちらが先に開発したかという事であって、その開発競争に日本が後れを取った、たったそれだけのことに過ぎない。日本が先に原爆を持っていて、だが、使用した時の、その重大さに使用をためらった、そういう事実があれば相手に謝罪を要求する、そういう事もおかしくはないかもしれない。

 だが、日本は後れを取った、たったそれだけの事。もし謝罪を求めるならば、それは同じ日本人をこういう悲惨な目に導いていった政府、軍人、財閥そういうところではないだろうか。

原爆がいきなり落とされたわけではなく、それまでに降伏勧告がなされたり終戦に向かって将棋で言う詰めの動きがあったものを全く感じ取れない軍人や政府関係者だった事、つまり戦争などやってはいけないレベルの軍人を野放しにした事や、本気で戦争をやめようと動かなかった政府関係者こそが謝罪を問われるべきだった、そういう事だろう。

 時の天皇陛下は国民に謝罪をしている。がしかし、天皇の意向を無視するかのように先走っては、事後承認させる形をとっていた大本営の連中他軍幹部や政府要人からは日本国民への謝罪がなされていない。

 日本の一番長い日という映画でお馴染みの無条件降伏受け入れの玉音放送のレコードを奪ってまでも戦争継続しようとした軍人がいることを考えれば、従軍していたアメリカ人が原爆投下を正当化するのも無理からぬ話ではある。日本軍兵士の犠牲者が多いとは言え、終戦間近の日本軍のやり方は捨て身の特攻作戦なのだから米軍兵士だっていつまでも従軍して命を落としたくはないだろう。
 
 結局、戦争は人を正常な状態でなくさせるものであり、いかに良識をもってしても少数派であれば、逆に国賊とされてしまうものでもあり、両国民にとって不幸なものであった、そういう事ではないのだろうか。

公私混同 [報道]

都知事が週末に自身の別荘への往復で公用車を使用していることの是非で別荘を含めてその往復の途上も公務であると、問題ないことを主張している。

人によっては都内でなく神奈川県、それもすぐ隣が静岡県という、そのような場所に防災責任者である都知事が週末毎に行くこと自体問題だ、としている。

まあ人間の数だけ意見はあるだろうが、日本の首都の知事としての格とか体面がどうだとか、そういう事で航空機ファーストクラス搭乗が当然だとか、スイートルームあるいは会議室付きだとか、それが当然のごときホテル宿泊だとか、こういうのは庶民感覚とは合わないのではないだろうか。

まあ、私なりの行政というものに関する考え方で言えば、私に行政を任せていただければ、皆さんには、こういうものを提供したい、そのように訴えた内容によって行政というもの選挙民に付託されれば、選挙民との契約を守る範囲において、どれだけ贅沢しようが関係ない、そう言えるのだが、まあ、私ほどの能力を備えた人物などそうそういないだろうから、どう贅沢しようが俺の勝手などとほざいてもらいたくはない、これが現在の都知事の行状に対しての正直な感想である。

公人となればなるほど李下に冠を正さず、であり、公私混同を疑われるようなことは厳に慎まなければならない。ところが何を勘違いしたのか現都知事は自らの職務内容が高尚であるかのような論理で公私混同を正当化しているのだが、このあたり、単なる俗人でしかない。

私が冤罪で留置されていた時、李下に冠‥で、同乗していた母親を留置場には呼ばなかった。私は事実しか述べていないが、口裏合わせなど疑われる行為をしなかった、そういうことである。

対して、栗田健一を始めとした裁判官たちはどうしたか。他に類を見ない不当な拘束命令を出し続け、その間、警察、検察はでっち上げをしていたのだが、彼らには都知事と同じように民に主権があるという感覚がなく、自分たちこそが選ばれた人間であるという庶民を見下した感覚しかない。

彼らの立場で言えば李下に冠を正さずとは、疑われるようなことをしない事、すなわち、自分たちは聖域にいるから、何でもあり、どうにでもしようがある、などと当事者たちから疑われるような状況を作らない事である。

しかるに、裁判官たちは彼らが間違った判決を下しても、何の責任も負わない、そのような裁判当事者からすれば理不尽な中で神であるかのような傲岸さをもって判決を下している。有罪の人間を無罪にしても、それが実害がなければ、その責任を問うほどのこともないかもしれない。実際には被害者が存在したとき、被害者側は納得できないだろうが。

だが、無実であるのに、そのおつむの低さゆえの、勝手な理屈による理不尽な判決で無実の人間を有罪とした場合、その責任を問われないということ自体、おかしなことではないだろうか。

裁判官にとっては、李下に冠を正さず、すなわち自身の出世や保身のために検察や行政にすり寄っている、そのように疑われることなのだが、なんと、そういう事が現実の裁判では多いだろうか。

かれらのおつむの中には自分たちが庶民とは違う、つまり特別の待遇が与えられるべき、そういう考えが流れている。
日本人にはいまだに特有のお上が偉い、そういう感覚があるようだ。

もちろん庶民の側がそういう感覚であっても行政を負託される側がお前たち庶民とは俺は違うんだぞ、そういうものをもっていては、その時点で公務員としては失格なのだが、もし、お前たちとは違うんだ、そのように私のような感覚を持つならば、そのプライドを見せる場は贅沢三昧をすることではなく、余人をもって代えがたいという実績を見せることではないだろうか。

自分たちは聖域に身を置いて偉そうに嘯く裁判官たちと同様、行政マンの長もどうしてこうも意識の低い連中ばかりが目につくのだろうか。

家族帯同で宿泊したホテルのその宿泊した部屋で政治がらみの話を身分を明かせない人たちとしたから政治資金規正法に会議費として出費することが問題ないなどというのはまさしく驕り以外の何ものでもないし、こういう公私混同をする人間こそが、政治を庶民から遠ざけているのではないだろうか。

新聞ではわからない事実。高梨沙羅選手の場合… [報道]

女子ジャンプの高梨沙羅選手、今シーズンのワールドカップの総合優勝を先の大会で決めたが、本当にどれだけ凄い内容であったかは、新聞記事からは分からない、いや言葉だけ凄いようで、実は本当の実力は伝わっていない。

自身がとんだ目に遭った交通事故での報道が被害者、加害者が逆転し、さらに被害者なのに有罪にされてしまったように、警察発表、あるいは他社報道記事をそのまま転用など、悪い事でもおかしな報道が目立つ新聞記事。

売らんかな精神で引っ張るだけ引っ張ったり、いかにも金メダルあるいはメダルが取れる実力があるかのように期待ばかり高めた割には、結果が伴わずにファンから選手やチームに対するバッシングに変えてしまうような報道もスポーツ選手の戦績を伝える中にはある。つまり事実や実体がなかなか伝わらないのが映像抜きの報道だ。

さて、女子を含めてスキージャンプの場合、新聞記事では、いやテレビでも基本は順位がメインで、優勝者や上位日本選手の一回目、二回目の飛距離が付け加えられる程度だ。そうすると例えば高梨沙羅選手の場合であれば二位の選手と飛距離であまり差がない場合などもある。

二位の選手とあまり差がなければ圧倒的とか、凄い選手とかそういう形容詞はふさわしくないのでは、そう思うのが普通ではないだろうか。もちろん、勝ち続けること一つでも凄い選手とは言えるのだが。

しかし、実際の大会の映像を見れば、飛距離に差がない事の意味は他の選手達よりもスタートゲートが下だったり、着地点の傾斜が急激に起きてしまって足への衝撃が大きくなるジャンプ台(つまり本人の潜在意識として微妙に抑えるものが出ている)だったりすることがわかる。

スタート地点を他の選手よりも下げるという事はジャンプ台から与えられる初速が下がるという事であり、それだけ飛翔のエネルギーが小さくなり、遠くに飛ぶ力がなくなる。それでも他の選手よりも遠くに飛んでいるという事であり、着地点が起きていることなども含めて、こういう事は成績の数字には出てこないので新聞記事だけを見ても、高梨選手の凄さはわからない。

ジャンプには距離点と飛型点というのがあって、高梨選手の場合、飛型点が今一良くはないのだが、しかし、これも本当はおかしな点なのだと思う。
着地を含めた飛型点に定評のある選手であっても、その選手の想定よりも着地点近くで向かい風を受けて飛距離が伸びた場合、慌てて着地すると一足ランディングと言って両足を揃えた形で着地する。

これは人間の基本的な防衛機能が働いて一番安全な着地、すなわち一番足に衝撃の少ない着地姿勢になる、これが両足を揃えての着地になるのだが、スキージャンプは、テレマーク姿勢という足を前後に開いて着地する姿勢を要求し、これが高い飛型点の必須となっている。

だが、考えて欲しい。ジャンプ台から飛び出す時の速度は女子選手でも90キロ未満とは言え90キロに近い速度だ。これが風による揚力を受けて落下しながら前方に進むのだが、着地点では数キロなどという速度でないことは転倒した選手の状況でも分かる。

両足が揃っている場合には7,80キロの速度でも曲がったり、かなりスキー板をコントロールできるが、両足が前後している場合、速度に対するバランスを取るのが難しく、それも数十キロの速度だと片足を取られた場合の立ち直りどころか足を怪我しないよう板部分を持ち上げるのもスキー板が大きく重いジャンプ競技では大変なのだ。

テレマークの姿勢というのは両方の足の膝が同じ角度での着地になる事はほとんどなく、膝の角度が違う曲がった状態で着地する。それだけ膝に掛かる衝撃は大きいという事だ。しかもうまく力を逃がす姿勢どころかしっかり固定した状態で抵抗する力を持つこともできないというのがテレマーク姿勢なのだ。

スキージャンプで着地でのテレマーク姿勢を要求するFISの考えが分からないが選手の身体的負荷を考えた場合、本当に感動を与えるジャンプを選手に見せて欲しいならばせいぜい飛翔時の飛型と着地で転倒したかしないかに絞るべきなのだと思う。

同じサラでもワールドカップ発足時のアメリカのサラ選手や現在高梨選手に次ぐ順位にいるオーストリア選手という上位を経験した選手が足の故障で手術をしたり、出場できないというのも競技主催者が考えるべきものであり、日本の高梨選手ばかりが優勝するから、競技内容を変えようなどと馬鹿な事を考えるのがFISの役割ではないと思うのだが、どうだろうか。

だいたい欧米の長身選手に有利にと日本選手が活躍しだした途端にルールを変えて、それでも活躍する小柄な高梨選手がどれだけ凄いのかはFISの役員が一番分かっているべきもの、それをさらに、まだおかしな事をするなどスポーツに関わる人達とは思えないのだが、新聞・テレビでの報道ではこういう事、皆さんには伝わらない。

そして、こういう怪我と隣り合わせの中で高梨選手は抜群の成績を残している。それでも彼女は自身のジャンプで皆さんに感動を与えたいと、より高見を目指して頑張っている。

これを知れば応援せずにはいられない。


小保方さんの話の怪 [報道]

科学の世界の話なのに何だか犯罪扱いされるような、取り上げ方を含めて、私には何だか、違和感のあった、一連のSTAP細胞の話。あまりこういう騒ぎは私の好む話ではないので、脚光を浴びた当初から距離を置いたり、おかしいという話になった時もほとんど記事も読まなかったので、この話に触れると事実関係を外す可能性があるので、さらりと読んで欲しい。

私は中学生レベルの理系の人間なので、仕事にしろできない事も多く、したがって、できない事はできない、そうはっきり言う方だったが、できるかどうかわからない事も多かったので、そのニュアンスが伝わらない事のストレスも結構あった。しかし、わかる事もあるので、そういう事ははっきり言う方だった。

だが、日本の社会ははっきり言う事を嫌がる社会のようで、そういう意味では私のような人間は企業社会の中では嫌われる方の口なのだろう。まして顔を見れば、男とは言え、決して可愛いと言うよりは可愛げのない方に分類される口である。印象だけで陰口を叩かれることも多かった。

実体のない、言葉遊びのような、あるいは声の大きな方が勝ちなどという低次元の話と違い、科学的なことには物証が伴ってしまう。だから、あると言えばある、そういう事になってしまう、これが私の感覚なのだが、その意味で、STAP細胞の再現実験で再現できなかった小保方さんに何が起こったのだろうかと、思ってしまうのだ。

もちろん、批判、非難している人達の言い分も理解できる。
ただ、私が理系分野で仕事をしてきた経験では、ないものをある、などと言えばいずれ、ばれて自身破綻してしまう、そういう事になるので、ないものをあるなどとは、通常、言わないのだが。

かつて、私はある製造プロセスで新方式の導入を担当したことがあった。新工場に新方式を導入した生産ラインで、生産の試作をして、製品の評価をし、その新方式で製品ができる事を確認して、さあ、量産化に向けた生産ラインの調整をしよう、そういう時に、たまたま私が出張で留守をした日に、一緒に、新方式導入を担当していた他部門の管理職が功名に走り、管理職全員の総意、そういう事で私外しをしたことがあった。

名目上の私の上司もその話に噛んでいた。しかし、私がバカだと思ったのは、私外しをやっても私の部下まで使わなかった事だ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎かったかどうか知らないが、彼らを使わないと製品はできないのに。つまり我々の仕事はそれだけ多くの人間に見くびられていた、そういう事だった。

結果、事業部としては高額の投資をした生産ラインが1年も動かず、名目上の私の上司が、最後に泣きを入れてきた。

小保方さんの話は、誰にでもできるかのような話から出発し、私の話は、ちゃんと内容を把握しなければ同じ技術系でもうまく扱えない、そういう差がある。ノウハウを知っても条件が変われば再現できないことも多い。だからノウホワイが重要なのだが、STAP細胞を作り出す事については、そこが弱かったのではないか、そう思っていたので、私はないものをある、そう言ったとは思えなかったのだが。

本人達がその後、どのように検証していくか、あるいはもう検証しないか、知らないが、現象的な事で似たものを勘違いしたのか、とにかく、レベルが違うとは言え、同じ理系に類する仕事をしてきた私としては、頭から否定する気はなかったので、何故、こういう事になったのだろうか、結果を見て不思議なのだ。



外構工事が始まり、立ち会ったり、契約外の事を私自身が同時並行してせねばならず、年内、ブログ更新、皆さんのブログ訪問がおろそかになります。

ああ、情けなや、ノーベル平和賞! [報道]

ノーベル平和賞の今年の受賞者の一人は史上最年少の17歳。

私はノーベル平和賞というものとは別に、この受賞者である少女のおかれていた環境を思うと胸が痛んでならなかった。
助かりはしたものの、だからとそれで一安心という環境では未だにないことも残念でならない。

私の中では宗教というものが生命を尊重する為の人間の行動の表れの一つ、そういうものであったが、何と、自らが信じる宗教のために、その教義を勝手に解釈して合致しない人間に対しては死で報いるという、何と傲った、畏れ多い業であろうか、そういう狂信的集団の標的となる環境下に未だにいるという事、何とかならないものだろうかと思う。

それにしても17歳の少女にノーベル平和賞なんて、なんて大人がだらしない、そういう事ではないだろうか。だが、待てよ、である。

そもそもノーベル平和賞なるものが存在する事自体、人類としては恥ずかしい事ではないだろうか。
受賞者自体を貶めるものではないが、ノーベル賞に限らず、このような賞が存在する事に人類が恥ずかしさを覚えないと、本当の繁栄はやってこないのではないだろうか。

授賞の側が後で悔やんだかどうかは知らないが、受賞者の中には平和賞としてはふさわしくないのではないだろうかと、後でとかくの批判が出てくる人物もいたりで、単に個人の名誉欲の対象になってしまう時もあったりで、そういう事も含めれば、こういう賞はなくなるに越したことはないと思う。

日本は核もそして能動的軍事力も持たない国として戦後から現在に至っている。
世界一の軍事核大国であるアメリカの大統領などよりは日本の首相の方が平和賞受賞者としてはふさわしい、そう思うのだが、アメリカの大統領であるオバマ氏は核廃絶を言うだけで、方向性を示したということが評価されてその実績もないままに受賞している。

日本にしても平和賞を受賞した首相が、とても平和を愛していたとは思えない人物だったし、日本のジャーナリズムがいくら稚拙とは言え、国民に対して自分の言葉が直接伝わるようにしたいと、テレビ以外のマスコミを排除して放送したことは何だったのだろうかと思う。

確かに、一言一句新聞が首相談話として載せるケースもあるが、通常は簡略化して掲載する場合も多かったので、いわゆる新聞社なり記者なりの意向が反映された記事になって、国民に誤解される、という理由は分かるが、ジャーナリズムの拒否、つまり知る権利の否定という面はあった。

批判勢力の否定は平和主義とは一線を画すと思うが、同じ日本人からも、疑問の声が出た平和賞受賞だった。そういう事を考えると、やはり、こういう賞の存在というものが、無条件で受け入れられるものではない気が私にはする。

まあ、野球とか、数字で結果が残ったようなものは、首位打者賞など、そういう賞としてふさわしいと思うが、私には平和賞というものがしっくり感じられないのだ。

私には分からない選挙情勢 [報道]

安倍自民が300議席を超す圧勝という予測が新聞で出ていたが、一方テレビではGDPが二期連続してマイナスだと言い、安倍氏の言う話とは異なっている。

賃金がアップしただの失業率が改善しただの、そういう話が政府側から出てくるが、いずれも内容を丹念に調べてみれば、統計の対象が限定されていたりで国民が知りたい日本全体とは言えない内容だったり、非正規雇用が増えたり、国民が求める内容ではない数値を出している。

つまり雇用が改善されたと言うが100万人増えたというそれ以上に120万人非正規雇用が増えている。また、名目賃金が0.5%増えたと言っているその裏で物価が2.3%上がっている。つまり実質賃金は1.3%下げられているのと同じ。これって給与生活者の話だから、我が家など年金で生活している家計は、もろ2.3%の物価上昇でより苦しさが増している。

私は思うのだが、政権政党があれだけの話をして政策実行して、これか、というものがあるのに、何故、こういう新聞報道になるのか。結局、マイナスの選択で、民主党よりは自公政権の方がいいか、そういう選択なのだろうと思う。

しかし、民主党政権で菅、野田と二代続けておかしな政策を出したことが響いて悪い印象しか残っていないが、経済状況は経済にカンフル注射を打った安倍政権よりもよかったのではないだろうか。

古い感覚で円安を誘導したアベノミクスだが、円安とは我々が一生懸命に自国通貨の価値を上げてきた、それを台無しにしているという一面もあることを忘れて欲しくはない。

一生懸命に働いてその貯めた金で毎日の生活を送る、そのつもりが円安で日常的に必要な電気やガス、燃料などに加えて、食品価格まで上がっていけば、生活が苦しくなるのは当然。

デフレ是正のためにと動いても、かつて我々が老後のためにと一生懸命働いて、さあ、年金が受けられる、そう思ったら、一部の企業家や資本家のためだけに経済が動いてしまって、我々の一生懸命働いた分が8割とか7割とかに目減りされていたらどうだろうか。

それでもなお、景気を回復させて、国民を潤す政策を実施したと言えるのだろうか。いや、現役世代だって、これまで一生懸命働いた分は目減りしている事理解できているだろうか。

これで圧倒的支持を与えるというのだから、日本人てのはとことんお人好しだと思うのだが、騙されているような統計値を出されても支持が拡大するなんて、私には信じられないんだが、日本人とは、そんなにバカなのか、あるいは、もうどうでもいい、そう思っているのか。

300議席を超す勢いという、その一方で支持率は過半数さえ超せていない。この事も放置してはいけない事項なのだが、選挙制度の改善の余地はいっぱいある。しかし、儲けたと思っている政党が、これを是正しようという動きはしないだろうと思う。

しかし、選挙制度を国民の声が反映する形に改善していくためにも特定政党の一人勝ちはよくないと思うのだが。

赤信号、みんなで渡れば恐くない?! [報道]

10月31日付け新聞記事に福島原発の溶融燃料について、1号基の核燃料取り出しが当初計画よりも遅れるという見通しが出ていた。5年ほどと言うが、それについても記事では疑問符が。

さて、この中で溶融燃料の重量が三基で約450トンと出ている。単に数字だけだとイメージが湧かないが、皆さんの周囲にあるもので換算すれば2000ccの、それも豪華装備の乗用車300台分、と言えばいいだろうか。もちろん重さであって容積ではないが、それにしたって、それだけの強烈な放射線の発生源である物質を、どのように環境に対して無害化するのだろうか、というものがある。

無害化の前にまず、取り出し等それらのハンドリングが必要だが、それさえも目算は立っていないはずであり、そういう現状を抱えながら、東電以外の電力会社が未だ、原発を再稼動させる目算であるという。さらには海外にまで輸出を計画しているが、日本でさえ、事故に対して何ら手を打てなかったのに、輸出先で事故が起きた時にどう収束させるのだろうか。

所詮、電力会社の経営トップなどはサラリーマン経営者の一人に過ぎない、そういう事を彼らの態度が示している。現在の原発を全て廃炉に持っていこうとした場合、債務超過で会社が潰れるから原発を資産として活用せざるを得ない、などという本末転倒の話もある。

社会に対して責任を負うという本当の経営者であれば、こういう時だからこそ、特別立法あるいは時限立法などこれまでもあった、救済策を訴えて、原発を速やかに廃炉にもって行くようにし、一方、今後の安定した電力供給の方策を講じる、こんな事、中堅企業の経営者クラスはそれこそ死活問題でやっていると思うが、悪い事でも横並びで、他も再稼動をやるならば、できるということだろうか。

福島原発の事故処理で多くの作業員が被曝しながら収束に向かって日々、汗をかいている中、同様事故が起こらないという保証がないのに、何故、自分たちが責任を負えないものを世の中に存在させられ続けるのか、私には、こういう連中の神経が分からない。

中国、油断も隙もならない! [報道]

Baidu IME日本語入力ソフトが送信しない設定にしているにもかかわらず、外部に送信していることが分かったと報じられました。

百度と書かれた中国の最大手検索サイト企業の日本語入力ソフトですが、入力画面等かわいらしく書かれていて、先日私が書いたハニートラップではありませんが、裏から見た中国の実態がよく現れているような、そういう画面で一見、可愛らしく、そんな恐ろしいことが裏で行われているような感じがしませんが、実際には、普通にワープロとして書いた文章等が勝手に中国百度社のサーバーに送られていた、という事です。

報道では200万ほどのユーザーがいる、との話で、もしやと、チェックしてみました。

何故ならば、警察や検察、裁判所の悪口(実際は事実を書いているだけですが、その事実とは彼らの悪行ですから、悪口となってしまう内容ですね)を書くと、パソコンの調子や状況に変化が起こるのと同様に、中国関連でもおかしなことや、リモートログインが疑われるような事が、過去に、頻発して起こっています。

ソフトのアンインストールに行くと、Baidu IMEというソフトがしっかりインストールされていました。
自身では色々、危惧することがあったので、こういう類をインストールした記憶がない、と言うよりはしないようにしていたので、驚きです。

こういうのはこのソフト単独ではなくて、他のソフトと絡んでインストールされる事がありますから、何やら、やられたのではないかと思います。

アンインストールも未練たらしい表示でしつこく留まろうとしていましたが、実際にどういう形でそれらの情報が使われるのか、相手が中国ですから、わかりません。

私も自分から悪意を相手に振り向けることはしないというか、むしろ辛口のブログを書いている割にはお人好しと友人から言われてしまうタイプなので、こういうのは我慢なりません。

やっぱり中国、中国人というものに関して、無防備では危ないな、そう思うのですが、しかし、日本の中にもお年寄りを食い物にしようと身内を装った詐欺行為だけでなく、悪意に満ちて人を貶めようとする検察、裁判所のような、日本人が普通に信用している組織が国民を裏切っているというものもありますから、本当に何が進化したのかわからない人間社会ではあります。

こういう事、中世ではいっぱいあったんだろうな、そう思います。ですからユートピアなるものが語られたんでしょうが、こういうものを見ていると、私もユートピアなるものをどこかに建設して悪意に満ちた世界とは縁を切りたい気がします。

こういう人、尊敬するよ。 [報道]

私は裁判を通じて警察、いや、これは一般庶民が尊敬できる対象として見ることはないかもしれないが、検察、裁判所そして弁護士という普通の人のみならず、高等教育を受けた人でもなかなか受からないという司法試験を合格した社会的に地位があるとされる多くの人物にあったが、なかなか敬服できるような人物には出会わなかった。

いや、逆でむしろ軽蔑に値する人物が殆どであったと言った方がいいであろうか。
社会的地位が人間としても一般人よりも優性、そう考える人達である。

しかし、これまでも書いたように、彼らが合格したという試験は人間としての優性を表すものではなく、たかだか与えられた範囲の中で既知のものを引っ張り出す、つまり暗記能力に類するレベルを競う程度のものであって、人間としてどうあるべきかとか、人間としての本質を問う試験ではない。

たかだかその程度のものに合格した程度、そのようには合格した人達は思わないであろう事はわかる。それだけ大変な試験に合格したのだから、それに合格しなかった人や受けるレベルにもない人達とは違う、そのようにプライドが思わせることも理解できる。

しかし、小学生程度の事を私の事案を担当した検察官3名、裁判官の最高裁裁判官を含む20名近くが理解できなかったということも事実である。理系に特化した内容ではなく、小学生レベルの知識さえない、というのは一般人として常識に欠けるという意味でもある。

農民の権力家という言葉があるが、権力とは無縁の虐げられる立場であった農民が、一度、権力を握ると、、それまで自分が置かれていた立場を含めて全体を見渡して改善するよりも、自身が権力を振るう立場に固執してしまう、というものである。

私から見ると国家権力に属する検察、裁判所の連中が、まさしくそれで、人を見下すような態度を取っているが実はゲスでしかない。彼らからすると私は底辺に位置するくせに権力に逆らった犯罪者、そういう事なのだろうが、そういう彼ら風の見方で言えば、今の皇室よりも神武天皇に近い名門の家の血を引く私の目から見れば、やはり出の悪い人間は、権力に固執するんだな、そう思う。

さて、本当に人間として尊敬すべきは、という事をしている人達が世の中にはいっぱいいるのだが、偉そうに言う私は実は、何もしないあるいはしないで済む社会が理想、などと自身の怠慢をそのように嘯いていたかも知れない。

だが、現実には、社会的弱者がどうしても発生する。そこへの思いを馳せる気配り心配りが足りていない。今は確かに無収入なのだが、給与の金額に頓着しなかった時、薄給だと自認していても、薄給なりに困った人達への気配りはできたはずだと思う。

実は、お人好しの母や、妹などはそういう事やっていたようだし、災害被害者などが出ると、すぐにそういう事に言及する。だが、タイガーマスク現象におけるような児童相談所等にプレゼントなどをしている人の背景を聞くと、私はいたらないなあ、全く人間として根本ができていないのではないか、と自身の反省しきりである。

東日本大震災の時は、気持ちだけでもと真っ先に寄付をしたが、本来、困った人達への継続した支援をどのようにすればいいのか、そういう事を考えて行動しなければならないはずだが、私の場合、理不尽な事への正義感が優って、ゲス野郎達を泥にまみれさせてやる、そういう気持ちが優ってしまっている。

その私の目から見て、この人達は私とは違うんだなあ、尊敬するよ、という事、今年もテレビで報道された。この話を聞く度に何故か、胸に詰まる思いがするのである。
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