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真剣に考えてほしい事 [司法]

今、政府が通そうとしている法案。
以前から何度も名前を変えたり、色々手段を講じて通そうとしてきたものだ。

その都度、猛烈な反対にあって廃案になってきたもの、それが何故、今、通ろうとしているのか。

もう、何度も書いているから、またかと思われる御仁も多いだろうが、私の事案、真剣に考えてほしい。

前方にいる(前方横断歩道横断中、と検察はしている。そんな事はなかったのだが)自転車乗車の人間に対してわき見をした私が制動操作を講じることなく自車右前部を衝突させて、自転車もろとも乗員を前方に跳ね飛ばした(7.1m前方へ)、と起訴されて、最終的にこの事が否定されることなく、最高裁で上告棄却の上、有罪確定となっている。

どこの世界に前方にいる相手に対して車の右側をぶつけられる人間がいるのか?
科学的に全くあり得ない、こんなことで人を罪に落としていいのか?

交通事故というと、あんたにも落ち度があったんだろうとか、相手が自転車であんたが車なら、罪に問われるのは当然だとか、多くの人は、内容など関心なく、一般的な構図に当てはめて、罪をひっかぶったって、たいしたことはない、などと見てしまう。

理系出身者の友人でさえ、漫然と裁判を見ていたくらいだから、多くの人は内容を把握することなどしないだろう。つまり、ひとたび、罪に問われれば、被告人という立場に置かれた人物は圧倒的不利な環境下で、ひたすら我が身の無実を訴えなければならない。

さて、科学的に、検察の嘘を暴いてさえ、罪に落とされてしまうのだから、今、政府が通そうとしている法律、通ってしまったら、どうなるのか?

何ら具体的な事実なしに、おおよそ印象だけで有罪に落とされてしまう。
これ、戦前の治安維持法そっくりだ、そういう話が以前からあったのに、今、そういう危惧さえも出てこない。一部、マスコミの人間が騒いでいるが、それが国民全般に伝わらない。

そりゃそうだろう。マスコミ自体がふだんからジャーナリズムとかジャーナリストたる自分たちの行動主張を国民全般に真剣に受け止めてもらえる行動をしてこなかった、その報いが、今、こういう形で表れている。

面白くもない能無し芸人たちの内輪話に終始する多くのテレビ番組や、一部の芸能事務所に魂を売ったかのようなテレビ・新聞の報道ばかりでは、まじめな話が国民に受け止められるわけがない。

まじめな話をしようとすると、「面倒くさい」その一言で話を遮られたり、「面倒くさい人」という形容で敬遠される社会では、必要な事が社会で語られない。結果、一部の人間を利するものばかりが社会でまかり通ってしまう。

今回の法案、戦後、何度も廃案となったり、通過させてこなかった先人たちの、経験からくる危機感を、今、私たちは台無しにしようとしている。つまり、無知無能を我々世代は実証しているわけだが、毎年3000人を輩出するという東大を頂点とした学歴社会が、社会の進化に貢献しないどころか、今まで積み重ねた文化までも壊していく事、わかる人がどれだけいるのだろうか。

東芝、困ったもんだ [経済]

ブログ、再開しだしたら途端に重症とも言うべきパソコンのトラブルが。おかげでインターネット接続だけで半日以上かかった上におかしな警告が。

これを見ると、やはりどこかで監視して何やら悪さをしているのがいるのではないか、そう穿った見方をしてしまうのだが、さて、どうなのだろうか。

まあ、お決まりの無能経営者による経営破たん、その典型とも言うべき東芝の危機なのだが、色々事業の身売りをして凌ぐらしい。

だが、結果としてどれが東芝本体なのかわからなくなってしまう感がある。

原子力事業を経営の柱に、そういう趣旨でアメリカのウエスチング社買収までは見かけ上、誰も異議を唱えなかったと思う。

私もかつてのウエスチング社の実力を知っていたので、悪くはない買収かと思ったのだが…。

東日本大震災とそれに伴う福島原発の事故は東芝にとっては予期せぬ事故であり、それについては同情の余地はあると思う。

しかし、数字合わせのための粉飾や子会社であるウエスチング社のコントロールができていないなどは、企業経営者として恥ずかしいものだ。

そういう事の結果として半導体事業の身売りをして負債の処理を考えているという事だが、半導体事業は、一私企業という観点で考えてほしくない。

産業のコメ、そういう観点で国策事業として半導体産業には黎明期から多額の税金がつぎ込まれて、多くの電子企業はその恩恵を受けている。半導体事業を手掛ける企業などは、直接的に支援を受けたと言って過言ではない。

そういう事業を赤字の補てんにと、国外企業に簡単に売っていいわけがない。こういうところが、社会の一員であるという企業のおかれた存在を認識していない経営者が多すぎる、そういうことに繋がるし、また、その認識をしていないからブラック企業とか社員を自殺に追い込む企業まで現れてしまう温床となっている。

経営者になってほしい人材を会社から追い出し、なってはいけない人物が経営者になっている、これが今の日本の企業社会ではないだろうかと思うのだが、過去に自分たちが受けた過分な報酬を返してまでも税金で育てられた事業を簡単に国外企業に手放してほしくはない。

国外企業への半導体事業の身売りをするような近視眼的企業ならば、国民としては、そんな企業に存在してほしくはないし、東芝バッシング、起きても不思議ではないと思う。なりふり構わずと言ったって、程度問題という事だ。できなければ、さっさとそれができる経営者に代わればいい。

性根の補足 [所感]

前のブログで全く無名どころか、いわゆる学歴のレベルでは劣等生ともみられている私が、首班を担うべきもの与えられたら、今の政党政治家など及びもつかないもの打ち出していく、そういう話の中に、裏付けとして日本の代表的なビジネスマンの親戚であること書いたが、これ、すなわち、性根としての話であり、単に血の話ではない。

私が持ち出した人物、封建時代に御用金を命じられて「ありがたくお受けしろ」そのように命じた人物に言われて、腸が煮えくり返った、とか。

御用金とは何ぞや?
幕府に金がないので、当座資金として、命じられた金額を幕府に差し出せ、そういう事であり、名目は借金という事らしいが、返却というあてのない金である。上杉鷹山が藩財政を劇的に改革したなどとして名君の呼び声が高く、また、そういう事の知識があると、偉そうに言っていた経営陣の人間なども知っているし、また、小説になったりしているが、彼もどれだけ商人から借りた金を踏み倒したか。

これすなわち、封建時代だから通ることである。今は? 当然のことながら通る話ではない。ところがぎっちょん、今、日本の財政が破たんに向かっているという話、御用金を借り受けるのと同じなのだ。

消費税がいくらだとか、これ強制的な徴収であり、決算時にあまったからと、国民に返される事のない金である。
こんな事なら、出資してくれたらそれに対して利子を付けて返す、そういうところが現れれば、そちらに金を回したいものである。それも偉そうに、しかも横柄な態度で借り手がふんぞり返って貸し手が地べたで平伏するなどおかしなものが御用金だったことを考えれば、特筆もののシステムである。

江戸幕府という封建時代から明治維新による欧米の近代制度あるいはその統治システムの真似事が導入されて、これだけ変わったのだから、当たり前のように徴税し、あるいは増税していく今の政治、おかしくないだろうか?

国民に縛りを入れるのではなく、政治にこそ縛りを入れ、税負担の見直しを常にしていく、これが国民から負託を受けた政権の義務であり役割である事、わからない政治家を国会に送っている国民の甘さ。

そういうものを見てきた私には性根の部分で上記、わが親戚の性根が身に沁みるのだがわかる人がいるだろうか。

性根に流れるもの [所感]

元官房長官を父親に持つ国会議員が政務官を辞したが、その後、所属していた自民党も辞めて、音沙汰なし、公に顔を出さないという事がマスコミ話題になっている。どうやら国会議員までは辞めたくない、そういう事の意思表示の表れらしいが、その意思表示は一方通行の手段のみを使っているらしい。

問題の根幹、つまり女性問題だが、父親であった官房長官よりも同僚国会議員に受けがいい、そういう事でエリートコースを歩んでいたらしいのだが、女性問題で官房長官を止めた父親のこともあって「血は争えない」そういう評価になったらしいのだが、そんなもの、昨日今日のことではないはずなので、まあ、同僚という国会議員や政治評論家という人種が人を見る目がない、そういう事ではないだろうか。

さて、その人を見る目がないという事で残念なのが、民進党の幹事長人事なのである。
これも、その性根という観点で見ると、何だろうか、そういうものがある。

昨年のブログでも小池百合子氏と並んで蓮舫民進党代表のことを活躍する女性として持ち上げた私としては、残念な事なのだが、親しいとか、世話になったとか、そういう事が能力を正しく評価するというものよりも優先するのが政党人事らしい。

この時点で、蓮舫氏については、残念、そういう事になったのだが、しかし、持ち掛けられた側として、固辞するという手もある。固辞ではなく、自分には、やっぱりそういう能力がある、そのように誰からも見られるというものを誇示したかったのだろうかなどと、まあ、低次元に見てしまうのだが、民進党の現幹事長、どういう性根をしているのだろうか、そのように思う。

消費税の増税についても、あれだけ反累進課税であり、格差の拡大につながる、そういう話があったもの、一般市民から支持を受けるべき政党の代表になっていながら、強引に推し進めたり、その一方では官僚に丸め込まれて公務員宿舎の建設に許可のサインをしたり、全く無能でしかなかった、民主党の政権から滑り落ちる戦犯の一人である事、全く認識していないのだろう。

つまり性根のレベルで、この人物おかしいのだが、舌禍で大臣その他政府要職を辞職している自民党議員と、どこが違うのかわからない。

こういう人物を見るたびに、私だったら(政府首班として)、そういう思いが湧いてしまうのだが、たぶん、小池百合子氏は別として、私以上に清廉潔白でベターな政策を実施できる人物はいないと思っている。

まあ、私自身が金銭欲がなく、そこそこ食えりゃあいい、そういうもの、もう既に財産形成には遅い年齢なので、余計に一般庶民から見れば法外な収入を税金から得ているくせに、その一般庶民を下に見ることに慣れきってしまっている、既成政党の政治ではできない、そういうアイデア、政治家というおつむの悪い人種ではないからこそ、提案できることてんこ盛りなのだが、日本の歴史上一番のビジネスマンの親戚だと言えば、少しは信じてもらえるだろうか。

もう封建時代ではないのに、近代政治と言いながら、国民に縛りを入れる封建時代への逆行を政権政党の議員自身が感じないのだから、まあ、政治が劣化している事、神と、一部の人間のみぞ知る、そういう事だろうか。しかし、頭の悪い連中のおかしなものに巻き込まれたくない、この私の願望は達せられるだろうか。

違和感 [所感]

年始に一発目を書いたが、さて、その後はと言うと、老母の面倒を見る負荷が今までにも増して大きくなり、とてもブログどころではない、というか、精神的に余裕がなくなってしまった。老々介護だけでなく一人で親を見ていられる方、あるいは家族の介護をしていられる方の苦労を改めて思うこの頃というところでしょうか。

我が家、ヘルパーなど外部を頼ったことはないのだが、介護料というのか自己負担が3割になるらしい。私も私の母親も我が家にとっては高額に思える介護保険料を払っているのだが、介護を利用すれば、新たに支払いが発生するので、利用できない。つまり何のための介護保険なのか、そういう思いが強いが、低所得家庭にとっては、違和感のあるシステムでしかない。

さて、その違和感なのだが、最近、色々な事に違和感を覚える。

私は裁判官も絡んでのでっち上げで勝手に突っ込んできた自転車に対しての加害者認定されて、最高裁まで争ったが、最後は棄却であった。つまり上告にあたらない、そういう事なのだが、私は学校で、日本は三審制の国だと、司法について習った。

ところが、この国の最高裁はお高くとまっていて、違憲とか新たな証拠のないものは審議しないというのだ。地裁、高裁がおバカ裁判官てんこ盛りでの間違い判決を出しても、我関せず、それで通るらしい。

では、憲法にかかわる内容のもの、違憲審査をするのかというと、高度に政治的なものに対しては判断しない、こう宣うらしい。何のことはない、サボタージュなのである。こんな連中が庶民など絶対に手にできない報酬を庶民の税金から手にしていると思うと、こんなのでいいのか、そう思う。つまり最高裁を含めて裁判官というものそして裁判所に対して違和感があるのである。

アメリカでは大統領令に対して違憲判決で裁判所が差し止めたり執行停止をしている。つまり政治権力に対して、三権分立らしい機能が発揮されている、少なくともそのように見えるのだが、沖縄の問題など、違憲審査など放棄しておいて権力すり寄る裁判所の連中には吐き気さえ覚えるのだが、これって私だけの違和感だろうか。

テレビで自転車の無謀ぶりの特集が放映されていたが、特集はしても、私のように個人的に暴走自転車の被害で違法な拘束、おかしな損害賠償、そして冤罪である刑事有罪を受けた身にとっては、そういう自転車による被害者を取り上げずに自転車を取り締まっていない社会には違和感を感じる。

とまあ、私にとっては重大事が、他の人には些事なのであろう、どうでもいい事を、そのように反応する連中に、私の再審請求の運動は無視されている。

だが、私にも安倍晋三が出席した会合での”忖度”という言葉を使った事について、マスコミ等が批判気味に取り上げる、こういう事の方が違和感を感じるのだ。

官僚が国民の財産を勝手に値引きして一部の人間の便宜を、それも首相や首相夫人が絡んだ事に対して、勝手にそういう事をするのは間違い。つまりそういう事が分かった時点で、再発防止策を講じるべきなのに、それはやらないで、政局化させているのだが、だからと、それに絡んだ”忖度”という言葉を安倍晋三が使った事に対して、殊更取り上げるまでもない、というか、敵もさるもの、そういったところではないだろうか。攻める方もマスコミもそのくらいの度量は持て。全てにおいて子ども化した社会に違和感を感じるのだ。

年頭のご挨拶 [日記]

少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

今年のブログ書初めです。

昨年末、老母が食事のトラブルで寝込んでしまい、いつものトラブルと、回復するのを待っていたところ、深刻な症状に陥り、慌てて、かかりつけの医院に連絡して薬の処方をお願いしたところ、本人の症状を見ないと薬の処方はできないという。

まあ、妥当な回答なのだが、本人は既に飲まず食わずどころか十回近い吐瀉を繰り返しており、歩くどころか起き上がることもできない状態。

年末で多忙な中、束の間、休んでいた身内を呼んで何とか、掛かりつけの医院に連れて行ったが、エコー診断レベルでは手に負えないとの事で、急遽、救急車の手配という事になって、何とか、以前に入院したこともある病院に搬送してもらった。

救急対応という事で、暮れの忙しい中、医師には夜遅くまで内科、外科と診察してもらって、数日の入院の結果、ギリギリ大晦日という時期に退院できる形になったが、結局、年末の大掃除は中途半端で、家の中は、入院に必要なものなど、探し回ったり、逆に入院から、退院で持ち帰ったり、散らかりまわった状態。

例年、何とか大掃除をしている身からすると、この状態は気持ちが悪くてしょうがない。
ギリギリの退院で、老母も家で正月を迎えるという事もあって、慌てて、正月用の食材を購入したり、煮込みや黒豆など作ったり、まあ、これだけ忙しい年末・年始は経験したことがないが、結果として年末に、無事な一年であったと思えればいいのだが、さて、皆さんの年末年始はどうでしたでしょうか。

良心のなくなった自民党政治 [政治]

いよいよ今年も押し詰まり、一年の垢を落とすべく、いろいろ忙しい中、何とかこれだけは書いておきたいと思う事があったので、時間のない中、乱筆(ワープロだから関係ないか)乱文で失礼とは思ったが、アップする事にした。

2016年の年末を控えて、国会会期末に合わせるように自民党が、ばたばたと通した法案とロシアとの首脳外交。

違和感を感じた人も多かったと思うのだが、その違和感が、何故か、政治の舞台に反映されるような声となっていない気がする。

以前、竹中平蔵という人物が、派遣業をニュービジネスとして、その派遣業で名を売ったグッドウィルの社長をニュービジネスの旗手と持ち上げて握手している写真雑誌に載っていたことがあったが、派遣業は江戸の昔で言えば、口入れ屋であり、わずかばかりの手間賃で稼ぐ底辺の人たちの上前を掠め取る仕事として、世間では受け取られていた。

つまり、まっとうな人間ならば、汗水たらして稼いだ人たちの、わずかな手間賃からさらに上前を撥ねるような搾取する仕事を業としてやろうなどとは考えない、そういう口入れ屋稼業が一時期はヤクザ、暴力団の資金稼ぎとなる肉体作業の手配師の仕事を反社会的な行為として禁止してきたという歴史を無視して、竹中平蔵が何を勘違いしたか、ニュービジネスなどと称して、派遣業の対象業種拡大を図り、国民の中の格差拡大をもたらしたというわけだが、その張本人がその派遣業の真っただ中にいる企業の顧問、のちに会長として多額の報酬を受け取っている、というまことに、まっとうな人間ならば恥ずかしいことをしたのだが、そういう事、この国では、非難もしなくなっている。

大臣という職権を利用して派遣業に便宜を図って、後に、その中の一社から報酬を受け取るのは、収賄とは違うのだろうか。

このようなことを平気で行う自民党という政党だからなのかもしれないが、カジノ法案を簡単に数の力で通してしまった。

ビジネスの世界では、ウィンウィンというのが、取引する双方でお互いに満足するビジネスという事になる。つまり物の交換、物とサービスの交換等において、納得する取引という事になるのだが、カジノの場合、どうだろうか。

純粋に、プレーを楽しむという人たちが全くいない、などとは言わない。しかし、その多くは射幸心ではないが、多額の金を得ることを目的として、時間と金をつぎ込み、結果として満足感を得られないすってんてんの状況でカジノを後にする、そういう事ではないだろうか。

いわば、多くの人の不幸を代償に売り上げを上げるというのがカジノである、ということであり、それを日本観光に訪れる外国人観光客を対象に導入する、という。東京オリンピック招致で語られた「おもてなし」が、このカジノの考え方のどこにあるのだろうか。

他人の懐を貧しくさせてまでも自らは潤いたいというのが、日本の心なのだろうか。このどこに「侘び寂び」の文化があるのだろうか。

本当におもてなしの心があるならば、安くていいものをサービスして喜んでもらえれば、リピーターも増えるだろうし、日本という国に行ってみたい、そういう外国人も増えるのではないだろうか。

カジノですった悪い思い出しかないようなものや大型のリゾートの目玉として日本の良さを知ってもらうような機会の失われるものを経済成長の目玉とするなど、いよいよ、この内閣の底が見えた、そういうものではないだろうか。

さて、その首相自らが企画したロシアの大統領との首脳外交。外国から見たら、どのように映っただろうか。
 EUはロシアによるウクライナのクリミア併合を非難して経済制裁を加え、さらに強化しようとしている。EUやウクライナから見れば、日本の行為はスト破りに映らないだろうか。日本とて、ウクライナという国の置かれている立場が他人ごとではない事を思い浮かべるべきである。

 決して拡張主義を悪い事と認めようとしないどころか、他国を非難する一方で自国は軍国主義をひた走っている中国。今にも尖閣に上陸して既得権化しようとしている中国という国の、そのターゲットとなっている日本が対中経済制裁を国際社会に訴えて、それを無視するかのように自国の利益だけ考えて行動するEU諸国が出てきたら、どうだろうか。

 中国の日本に対する無礼な行動があってさえ、フランスやイギリスなどが対中貿易を拡大しようと首脳外交をしていたのは、ほんの数年前であり、我々日本人は嫌な思いをしたはずだと思うのだが。

 心ある人であるならば安部の首脳外交、眉を顰めているだろう。自分たちの故郷を追われた北方領土の住民の心情を慮らないわけではないが、ロシアの前身である旧ソ連による関東軍やその軍属のシベリア抑留では北方領土住民の人口をはるかに超える死者を出している。

 東京裁判では旧日本軍の捕虜虐待が問われ、前線の兵士達がその罪を問われて処刑されている一方で、旧ソ連の、シベリアに抑留された、捕虜ともいうべき旧日本兵やその軍属に対する非人道的な扱いについて、問題にされていない。日本が問題にしなくてどこの国が問題にするだろうか。日本国政府として、どのように考え、どのようにしていくのか、はっきりとさせるべきことだと思う。それができていないのは、先の大戦の総括を日本が全くしていないからではないだろうか。

自民党には、先の大戦の総括をされることで困る人物が多数いた、その事と総括が行われてこなかった事とは、無縁ではないと思うが、そのように自分たちに都合の良い事ばかりしてきた政党が果たして本当に政権政党としてふさわしかったのか。

かつて東条英機の孫なる人物がマスコミに出て、偉そうにいろいろ述べていたが、同じように見ると、旧戦犯の孫が、その祖父と同じように日本を危険な国にもっていっている気がしてならない。

そして一番、信用のできない国の一つであるロシアに経済協力するという。経済協力する対象に、北方領土も入っているらしいが、経済的に価値が上がった地域を他国に引き渡すなどあり得ないのではないだろうか。まして自国の利益優先で国際的な条約を反故にして他国に攻め入った旧ソ連の後継国であるロシアなど信用するほうがおかしい。

平和国家らしくはないが、例え百年、二百年、いや千年掛かろうと日本は北方領土を取り戻す、そう宣言して軍事的圧力をかけ続ければいい。北方四島が日本の領土というならば、これの奪回は日本国憲法や国際法で保障される自衛権の行使に他ならないのではないだろうか。

そういう論議をもっと日本国内で活発化させてこそ、ロシアへの圧力となる。当然、そのような地域に民間のロシア人が住み続けようとか、あるいは入植しようなどとは思わないだろう。

大国ロシアなどとロシア人自身や日本人も思っているかもしれないが、国土面積はともかく、人口では1億3千万弱と、1億4千万強の差。思うほど人口では差がない。ましてやGDP比では4兆1千億ドル強の日本に比してロシアは1兆3千億ドルと3兆ドル近い差がある。

どう見たって大国と言うなら、ロシアよりもむしろ日本のほうだろう。ロシア人のほとんども、そういう日本の実力を知らないからこそ、甘い事を言ったり、ロシアの固有の領土だなどと、事実を知ろうとせずに、日本を見下した発言に繋がっている。

そういう国を相手に、遊ばれるような外交などするべきではない。抑留されて彼の地で亡くなった日本人に失礼というものである。外交官がしっかりと外交官らしい仕事をしていれば、その積み重ねで、プーチンのような態度はとれない、そのように一般のロシア人もその代表である大統領も取れなくなっていたに違いない。

ロシアと日本の、GDPを始めとする国力の差は、今後もどんどん差が開くことはあっても縮まる事は当面ないのだから、何を焦っておかしな外交をやるのか。これはもう、ただただ安倍晋三という人物の個人的な利益(自身あるいはその祖父や父親の評価を含む)に依存すること以外何物でもないだろう。

ずるい事 [報道]

電通の新入社員の自殺から電通という会社の負の体質が色々と報じられ、それをきっかけに行政が動き出したが、日本人社会は、そういう事の起こる体質だっただろうか。

研修という名の発展途上国からの研修生受け入れの農家、企業でも似たようなことがずっと報じられてきている。つまり日本人の雇用であれば派遣等短期であってさえ時給800円は払わなくてはならないところ、相手の足元を見るかのような低い給与で働かせている。

研修などというのは全くの名目であって、実質は発展途上国からの低賃金労働者の出稼ぎ、というのが実態である。それでも自国で働くよりは金になる、そういう事で我慢している労働者も多いらしいが、本来の技術習得という観点から外れたままにただただ、労働力としてしかあてにされていない、という実態に逃げる労働者も多い。

最近聞かなくなったが、一時期、日本で悪いことをする中国人の多くが、研修生名目で日本に入国、その後、研修などではなく単に、低賃金労働者としてしか見られていないという事で、逃げ出してそのまま、日本国内で犯罪に手を染めてしまっている、そういう事が多く報じられていたが、いまだに日本のやくざ紛いで報じられる中国人が多いのは、その後もおかしな研修制度が続いている,その影響か、と見てしまうがどうだろうか。

この研修制度、お互いの思惑が一致してなどというものではなく、単に低賃金労働者を確保したいという農家、企業の考えを行政が、それと知りながら、放置しているに過ぎない。

先月、レタスが400円近い値を付けたことがあった。立派なレタスならまだしも、以前のものと比べて、お世辞にも立派とは言えないものである。それとなく見ていたが、買い物客は皆素通りである。昼食には必ず山盛りのレタスを食する我が家でもさすがに、この時期、野菜ジュースや他の葉物で代替したが、高くても買う家庭はあるだろう。

農産物にしろ工業製品にしろ適正価格というものがあると思う。無理な低価格販売のために、その犠牲を他国からくる研修生という名目の低賃金労働者に強いるのは筋違いである。研修は研修で、しっかりその目的を果たすべきであり、嘘で人を釣るべきではない。

いつから日本はこういうずるい事を許す社会になったのだろうかと思う。売るために低価格にする、そのこと自体は許されない事ではなく、むしろ戦略としては当たり前だと思う。しかし、その手段としてやっている事が、情けない。こんなもの戦略でもなんでもなく単に、弱い者いじめである。

 そういう意味で、母子家庭で育ち、母親に楽をさせたいと、懸命に勉強して世間が称賛する東大という大学まで出た、その新入社員を広告業界の花形と世間に知られた電通という会社は使いこなすどころか、花開く前に散らせてしまっている。東大に入る、そこまでの過程で誰もその人物を非難する話ではないと思う。そういう頑張り屋の新入社員を自殺に追い込む企業風土とはどういうものだろうか。

先輩社員のみならず、そういう風土を看過してきた経営者に責任がないなどとは誰も言うまいが、日本の経営者も、また、おかしな風潮を看過している企業社員も、本来の働く意味合いを今一度考えてみてはどうか。

スポーツ馬鹿と錦の御旗 [所感]

タイトルを読むと、なんと過激な、そう思われる向きが大半かもしれない。

まあ、そのくらいの過激な言葉を使わないと、声が関係者に届かないかもしれないので書いたのだが、あまり読者のいない当ブログでは所詮遠吠えに過ぎないか。

オリンピック会場の整備費が当初予算の7000億余から3兆円を超すという試算で小池都知事の見直しの動きに対して組織委会長の森喜朗元首相やボート競技の日本組織の代表あるいは国際競技会の代表からそれを抑える発言があった。

以前にも書いたが、日本のスポーツ選手がなかなか政治的発言をしない、この事に私は違和感があるのだが、スポーツ選手と言っても人間である事、暮らしているのは一般社会の中、そして毎日、買い物はするだろうし、食事もする、そういう事を考えると自分たちの暮らしに影響する政治に無関心、そういうわけにはいかないはずだと思うのだが。

それともそういう事を考える脳の部位までが筋肉に変わってしまった、いわゆる筋肉馬鹿、そういう事なのか。いやいや、そうではないだろう、そう思う。スポーツ選手が政治的発言ができないようなそういう環境がある、そう見た方がよいのだろう。

先のリオ・オリンピックの壮行会で森元首相が選手の中から“君が代”を力強く歌う声が聞こえてこなかった、という趣旨の苦言が呈されたが、スポーツ評論家の玉木氏が君が代は皆が大声で斉唱するような歌い方には似合わない国歌だと森元首相の発言に逆に苦言を呈していた。

私も同感だ。残念な事に、この発言に影響された日本選手が表彰台で君が代を歌っていたが、せっかくの金メダルを台無しにした感があった。対してアメリカの水泳選手のフェルプスは自国国歌を歌っていなかった。しかし、だからと国歌を軽んじていたわけではなく国旗を見つめ胸に手を当てて国歌をじっと聞いていたが、今まで、日本選手のほとんどもそうであったし、その方が自然だと思うのだが、こういうもの、どうこうしろ、そのように強制するものではないだろう。

そういう事に影響するようなことを組織委員会の会長が言うべきではない。それこそアスリートファーストの精神をひっくり返して役員が先行するようなスポーツ界、そういう事になるのではないだろうか。だから選手たちが本音を語りにくい土壌が生まれる素地が日本のスポーツ界にはある、そういう事だろう。
フェルプスが歌っていなかったから、国旗や国歌を軽んじていたなどと批判する人物など一人もいないと思う。たった一人の人物が、例えば、オリンピックの組織委の会長、そういう立場の人物が言ったから、それで右に倣え? おかしな話だ。元スポーツ選手であったかもしれないが、現役ではない、スポーツの精神を本当に理解しているとは思えない人物が発言したら、右へ倣え? スポーツはそういうものではない事、逆に示してもいいと思う。

元首相ならば現実的なマネージメントという観点も組織委員会のトップとして、しかも都から委託された組織のトップであるならなおさらであるはずだ。であるのに、今更、という言い方で予算の精査どころか、見直しの動きにブレーキをかける、おかしな話だ。

こういう事など見ると、やはり森喜朗という人物、密室でしか首相になれなかった、その程度の資質の男、そう見られても仕方がない。

スポーツ選手だから一般常識もない、そのように軽んじられる、そういう事があってはならない。だが、選手の側もそういう環境下にあるからと、何も発言しなければ、相変わらずの筋肉馬鹿、そういう見方しかされない事も確かだろう。
リオ・オリンピック壮行会での森発言は逆にスポーツ選手が人並みの政治的発言をしていけるいい機会だったと思うのだが、黙ってそれに従ってしまっているさまは、自分たちで首を絞めた感がある。

私がここのブログで現首相の安倍や元首相の森を批判したから国賊であるとか日本という国家を軽んじているなどと短絡的に見る人はほとんどいないだろう。私はおかしなことに対しておかしい、そう書いているだけであり、日本を取り巻く韓国中国、北朝鮮など、日本よりもおかしい国はいや、国民も含めてだが、より厳しく批判している。
日本国民とか何とかよりも先にまず、人間としてどうか、そういう事の方が気になるのであり、森元首相なども日本人として云々より先に、人間としてどうか、そういう視点で見てしまうからである。

小池都知事がで、東京オリンピック予算の見直しに着手した事への批判の錦の御旗が、東京オリンピックを成功させよう、その言葉であり、今までどのように決めていたかという透明性を欠いた事への反省はしないで、見直しとか批判という事に対しては、錦の御旗に対して、いかにもそれを失敗させようとしているかのような言い方をするのだが、そのような過剰な出費で、本当に都民が祝える、あるいは喜ぶオリンピックになるだろうか。

組織委員会なども我々から見ると立派過ぎると思うビルに入っているらしいが、オリンピックの御旗の元ならば何でも通る、などという時代ではない事、組織委員会こそ肝に銘じてほしいものだ。

完全予約制 [日記]

後期高齢者医療費の特別割引が廃止されるという。医療費の増大は医療を受ける本人だけでなくそれを支える社会保険にとっても重大なものだと思う。
 
 さて、そういう社会背景がある中、車の6ヵ月点検を受けるために販売店のサービスに持っていく2日前に、久しぶりの洗車を行った。久しぶりという事もあって、終わってみると3時間も掛かっていた。

 さて、その翌日、思ったよりも暑かったのだが、水分を補給しなければと思いつつ、結果として水分補給が少なかったのだろう、翌日の朝食後、車をディーラーに持ち込めるように準備をしていて、下腹部に鈍痛を覚えだした。

 これはまずい、そう思ったが、後の祭り。何度も経験したことのある激痛へと変化していったが、車の6ヵ月点検の事もあり、何とか落ち着くところに、そう思って色々と体を動かしてみたが、激痛からは逃れられない。

 結局、若干気温が低い中、油汗と吐き気と下痢気味への対処で、パンツ一丁になってタオルを巻いて頑張ったがもういけない。あちこち体の不調があっても寿命と、達観して医者にかかる気がない事、自ら縛りとしていたのだが、さすがに、この激痛に耐えられずに、以前通院していた医者に、タクシーを呼んで、駆け付けた。

 ところが、である。「当院は完全予約制なので予約がないと受診できません」受付でこう言われた。以前掛かっていた事や、他の医者でなくわざわざそこに来た、そういう事を伝えて割り込む形で2時間後のところに割り込む形で入れてもらったが、痛さには波がある。

 待合室で待っている間に、どうにも耐えられない痛みに襲われて、状況を確認に来た看護師に改めて、早めの受診を頼んだ。「楽になれる姿勢でお待ちください」そう言われて待合室の長椅子に横になった途端に、すっと憑き物が取れたような感覚で楽になり、しばらくして名前を呼ばれて診察してもらったが‥。

「うちは完全予約制なんだから、痛いときにだけ来るな。(カルテを)見れば2008年に来ているが定期的に診察を受けていればこういう事にならない。完全予約制なんだから、自分の都合だけで受診に来るな」とまあ、こういう感じできついことを医師に言われた。

 その時には痛みが治まっていたので「じゃあ、けっこうです」そう言って帰りたかったが、大人げないし、たまたま痛みが和らいでいるだけであって、薬は必須なので処方箋をもらわない事には高いタクシー代を使って行った意味がない。
使用したタクシーの運ちゃん、そして点検をキャンセルしたディーラーの担当者も何度も経験したという腎臓結石。彼らは、注意事項を守って、特に通院しているわけではなく、何度か経験しているという事は、痛くなったら通院する、そういうレベルである。

医院での医師に言われた言葉を老母に話したら、憤慨して早速、他の身内に話して別の医師を探してきた。患者の立場の人間の話を集約すれば、皆、この腎臓結石で定期的に診察を受けている人間などいない、そういう事だったのだが‥。

さて、この病気、医療費の肥大化が問題になっている中で、毎月通って、診察を受けて、薬を処方してもらわないといけない病気なのだろうか。以前、通院していた時の事を思い出したが、検査と称するものを含めて診察と薬代で一回に1万円を軽く越していた。

もちろん、まだ年金などもらえる年齢ではなく母親の介護で仕事も辞めて収入がない中、月一回では済まない医療費が一回1万円を越せば暮らしていけない。たまたま、自分のマンションの内装工事の準備のために三か月以上通院が無理になったために、そのまま通院しなくなったのだが、それから8年、通院しなくても良かった、という結果が残っている。

 他の病気まで否定する気はないが、少なくとも腎臓結石で完全予約制なるシステムに巻き込まれて、毎月通院の義務を課される意味は何だろうか。私の勘繰りは固定客として定常的な収入源の確保がこの完全予約制の意味ではないだろうか、と思う。しかし、社会保険の将来を考えればいや将来ではなく今だって困っているのにこれでいいのだろうか。

 来週の水曜日に急に胃が痛くなりますからその前に予約を取りたいのですが、などというような都合のよい病気ばかりではあるまい。医は算術なり、そう思っている。評判の悪い医師だが、医者としての腕がこちらのニーズを満たせばいい、そういう思いで以前も通っていたが、今回の出来事、あまりいい気はしない。カルテを見れば明らかに私の方が年長である事、医師にもわかっていてさえも、口の利き方が悪かったが、年の話をしなくても対応が悪い、それが母親が感じた医師の素養であった。

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